Yutaka Aihara.com相原裕ウェブギャラリー

note

  • Tag cloud

  • Archives

  • インカ マヤ アステカ展
    学校が夏休みになったようで、東京の上野公園には平日にもかかわらず、子どもたちの姿が目立ちました。国立科学博物館で開催されている「インカ マヤ アステカ展」にも老若男女いて、発掘品や映像に見入っていました。自分も理屈抜きで楽しんできました。ヒスイを使った仮面、独特な文様レリーフ、顔のある陶芸品、ミイラなど思わず我を忘れて見入って、中南米の世界遺産の虜になってしまいました。「マチュピチュ」のジオラマや映像を見て、いずれこの空中都市に行ってみたいと思いました。自分の陶彫作品にも通じる世界です。実際に自分の目で見て、空間を体感してきたいと願っています。                               Yutaka Aihara.com
    「青騎士」よりドローネー評
    R・ドローネーはフランスの画家で、カンデインスキーと同じく抽象絵画の開拓者の一人です。「青騎士」にも参加し、同誌にブッセによる評論が載せられています。「外的な自然の模倣的再現を避け、それを自然の潜在的な法則のみを再現する要素によって置き換える試みが、着手された形成過程を論理的に継続するものとしてあらわれる」と書かれています。自然をただ再現して描かず、そこに法則を見つけて描くというわけです。ドローネーの「エッフェル塔」はとくに有名な作品で、見えたものを再構成したような画風です。「都市」をテーマにした作品にも理念の視覚化が見られます。これはキュビズムの影響を受けた「オルフィズム」といわれる画家のグループに入っています。自分も現代社会において、「都市」の視覚化(触覚化)を考える作家の端くれとして、ドローネーが理念を探し求め続けたこと、その過程に注目しています。                          Yutaka Aihara.com
    「青騎士」を読んで
    年刊誌「青騎士」は1912年ミュンヘンで出版された、という訳者の前書きから始まって、この貴重な本に様々な芸術家が評論を寄せています。1912年といえば20世紀初頭。ほとんど1世紀前に書かれたものです。第一次世界大戦で中断し、その後ついに出版されませんでした。「青騎士」出版編集を担当したカンデインスキーのパートナーはフランツ・マルクでした。画家としての才能ばかりではなく文才があったのは、カンデインスキーと同じ資質をもった人だったようです。マルクは第一次世界大戦で36歳で戦死。またマルクの親友で優れた水彩画を残し、また詩人としての才能に恵まれたアウグスト・マッケも27歳で戦死。こんな状況の中で「青騎士」が出版され「青騎士展」があったことを思うと、この時代に彼らがやり遂げようとしたことが生々しく伝わってきます。「青騎士」の新しい思想は、今でこそあたりまえとなったことも多く、また当時を考えると彼らの初心の意気込みや新鮮さもあって、読みごたえのある内容になっていました。
    歯にまつわる(歯無し)話
    今年も空調設備のない作業場で、長い柱を彫り始めています。このところもっぱら木彫に親しんでいます。荒彫り用に丸鑿を使っていますが、鋸が芳しくありません。見ると鋸に歯こぼれがあるのに気づきました。自分は鋸の目立てをやったことがなく、ヤスリもありません。昔、亡父のもとに来ていた植木職人が昼食の休憩時間に鋸の目立てをやっていたのを見ていたことがあります。ひとつひとつ丹念に歯にヤスリをかけていました。自分はなす術も無く、今日はここまでかと思ったところで、左上の奥歯がポロンと取れてしまいました。もともと差し歯だったので、そのまま歯医者に直行し、また元通りに、と思いきや土台が割れていて抜歯しかないと言われてしまいました。鋸といい奥歯といい、歯無しにまつわる話でシンドい一日を終えました。もうこんな話は勘弁願いたいを思っています。           Yutaka Aihara.com
    青騎士・デア ブラウエ ライター
    ドイツ表現主義に興味を持ってから、当時住んでいたウィーンで資料集めをしていた時期がありました。「EXPRESSIONISMUS(エキスプレッショニスムス)」と表題にあった書物をいろいろ購入したものの原書で読む労苦に耐えられず、結局は日本に持ち帰り、我が家の書棚の埃にまみれたままになってしまっています。「青騎士」の画集も原書で持っています。ミュンヘンのプレステルから出版されたものです。関わった画家は画集から察しがつきますが、実際「青騎士」とはどんな運動だったのか、わからないままになっていました。最近、白水社から「青騎士」の翻訳が出て、早速購入して読み始めています。興味を持ってから実に30年が経っています。カンデインスキーやマルクの作品をもう一度見直して、翻訳とともに自分の過去における関心を辿りなおす作業です。今夏はこれを課題にしていこうかとも思っています。