2009.07.03 Friday
書店に入り、ふと捲ったページにあった一文が忘れなくなったり、画廊で、ふと目にした絵画の情景が記憶に焼きついてしまったりすることがあります。コトバは自分が忘却した記憶のどこかと触れ合って、説明のつかない懐かしさが頭を過り、繰り返し暗唱してしまうことがあります。詩的な世界に遊ぶ第一歩かもしれません。つらつらコトバを読んでいくと、詩的世界に彷徨い、自分だけの世界を築き上げて、その中を散歩しているような錯覚に陥ります。それは自分が育った原初的な風景と密接に関わりを持った世界だと感じています。その後の人生で知的に仕入れた世界とは異なり、それは幼い頃に記憶にすり込まれた情景とそこに満ちていた大気であって、五感を通して感じていたことが、コトバやカタチやオトを通して甦るのかもしれません。現代の芸術は哲学的な傾きの様相を呈していますが、そればかりではなく、人の記憶や生理に関わる部分も任なっていると考えます。
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2009.07.02 Thursday
10数年も前に会津で見た不思議なお堂が忘れられずにいたところ、愛読書「奇想遺産」に会津さざえ堂のことが掲載されていて、あっこれだ、と思わず心で叫んでしまいました。「行き帰り別々の二重のらせんスロープを昇降しながら、西国三十三観音を拝礼する高塔形式の仏堂。今は観音像は失われてしまったが、スロープの形がそのまま外壁に現れる異形の大胆さで、抜きんでた存在となっている。」(松葉一清 著)さほど大きくないお堂だった記憶がありますが、木造建築としては、かなり異様な作りで、何だ?これは?と咄嗟に思ってしまうほどです。その頃はまだ自作に木彫を取り入れていなかったのですが、こうした木造建築が自分の頭にすり込まれて、木材の良さを捉えなおすきっかけになっているのではないでしょうか。見慣れた日本の仏塔がドイツ表現主義の絵画のようにギクシャクした感じがいいのです。
2009.07.01 Wednesday
7月になりました。昨夜は疲労でこのブログを書くのもシンドイ思いでしたが、今月から心機一転を図らねばなりません。20日から東京銀座での個展開催、27日には亡父の畑に倉庫が完成し、電動工具等様々な道具や素材を置くことになります。今自宅の小さなアトリエにはそれら道具類が溢れています。実家にも作品や道具類が置いてあります。27日以降に自宅や実家にあるモノを倉庫に運びます。引越し開始です。そこで、収納の他にどの程度の仕事場が確保できるのか、まだわかりませんが、倉庫内外で制作ができるといいなと思っています。新しい職場に来て3ヶ月経ちました。この3ヶ月の間、ずっと広い仕事場の確保を夢に描いてきました。現在建ち上がっている倉庫が自分にとっては夢の空間になるはずと考えています。今月がまさに夢の実現に向けた一歩になると信じています。
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2009.06.30 Tuesday
日記として綴っているブログであるなら、今日は帰宅してから、ただただ疲労感に襲われていたことを書くことにします。特別なことをした一日ではありません。むしろ記憶に留まらない一日なのです。「日常」という空気のような流れの中で、たまに疲労感が残り、これはどうしたもんだろうと思う時があります。今日もそんな一日です。梅雨空のせいかもしれません。処理する仕事量のせいかもしれません。慣れてはきたものの自分の立場上のことかもしれません。まだまだ仕事はやりきれないことが多く、毎日仕事を残したまま夜になると残務を切り上げて帰ってきます。RECORDは何とか出来ていて、ブログもこうして書いています。創作への憧れは枯れずに、週末を待ち望んでいます。今日は心情が吐露されたブログになってしまいました。
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2009.06.29 Monday
21世紀の現在から言えば、20世紀末も19世紀末も同じ世紀末となります。表題は19世紀末を指しています。ひと昔もふた昔も前のことですが、この時代が情緒として生きている街がウィーンなのです。ウィーンは1980年から5年間自分が暮らした街で、カッコよく言えば自分の青春の面影を残す街でもあるのです。以前のブログに、今日取り上げる「マジョルカ・ハウス」のことを書きました。愛読書「奇想遺産」に掲載されているので、再び思い出した次第です。「これまで人間が作った建築のなかに自分たちの求める真実がないと知った若者たちは、過去や異国といった外に探すことをやめ、目を人間の内部に向けた。自分の意識下に地下水のように溜まる造形世界をおそるおそるのぞきこんだ。花が見えた。生殖、成長、死、再生といった生命現象のしるしとして紅色の花が咲き乱れ、渦巻く蔓が伸びていた。」(藤森照信 著)という解説がありました。マジョルカ・ハウスの作者で建築家のヴァーグナーが、同時代に生きた画家クリムトらと過去の様式から分離を目指した革命運動が、今もウィーンにも生きていて、現在もアパートとして使われていることに驚きを隠せません。住んでみたかったと今になって思いますが、当時は爪に火をともす暮らしぶりで、そんな余裕はなかったなぁと振り返っています。