2009.10.29 Thursday
フォンタナは画布にナイフで穴を開けた作品で世界的に知られたイタリア人芸術家です。日本では中学校・高等学校の美術の教科書に、現代美術の旗手として掲載されています。今読んでいる「瀧口修造全集1」にフォンタナのアトリエに関する随想があって、前にブログに書いたダリに次いで興味津々になりました。「私の印象につよく残ったのはその地下室であった。ちょっと防空壕を想いださせるような、部屋の隅の床板をおこすと、急な木製の階段があって(略)裸電球のスイッチをひねると、かなり広い地下倉庫である。たぶん昔は酒倉だったところかもしれない。壁に沿って夥しい作品が立てかけてある。(略)ともかく私がこの穴倉に案内されたときの印象は、フォンタナという作家の内部をにわかに覗いて見たような強烈な衝撃であった。外に出てみると、窓は相変わらず眼にしみるようなみどりで、フォンタナはまた穏やかな会話にもどるのである。たしかにフォンタナは空間主義宣言などから想像していたよりも、意外に柔和な人であったが、話していると烈しい熱情がちらっとのぞくのが感じられる。」という箇所でフォンタナの人柄をイメージして、もう一度フォンタナの作品をあれこれ調べなおした次第です。
2009.10.28 Wednesday
ブログは万人に公開している自分の日記です。公開していることを知っていながら、自分なりのメモとして書いてしまうことがあります。昨年や一昨年は何があったのかブログを読んで振り返ってみることをよくやっています。というわけで今日の内容はメモそのものです。2週間前に階段から落ちて脚の両膝を擦りむきました。どうも傷が深かったらしく、なかなか治らずにいましたが、最近ようやくカサブタが出来てきました。そこへ再び追い討ちをかける事件が勃発。朝通勤で利用しているバスの座席の角に右膝を思い切りぶつけてしまいました。息が詰まるほど激痛が走りました。それでも我慢して電車に乗っていたら、ズボンが湿っているではありませんか。確認もせず職場に着いたら、脚から血が滴りおちてズボンにこびりついていました。黒っぽいズボンだったので目立つことはなく、自分で応急処置をして、そのまま仕事へ。来年このブログを自分は読むのでしょうか。そういえばあんなことがあったっけ、と思い出すであろう手痛い一日でした。
Yutaka Aihara.com
2009.10.27 Tuesday
愛読している「瀧口修造全集1」の中に、パウル・クレーに纏わることが出てきます。瀧口修造がパウル・クレーのご子息に会いに行き、そこで出会った様々なことが述べられていて、それらをとつおいつ読んでいるとその情景が広がります。自分もオーストリアに5年間住んでいたので、欧州の生活ぶりが実感としてわかります。クレーの作品はデッサンも水彩も油彩も他の画家のように区別できない旨が書かれていて、自分も同じように思っていました。クレーには、大きなタブロー(油彩)が少ないというのもありますが、特異な世界を持つこの画家にとって、デッサンが習作で油彩が実作という定義が当てはまりません。すべてが心象を表す媒体になり、それぞれが感情の昂りを伝えているからです。自分にはいつも脳裏から離れない画家が2人いて、それがクレーとカンディンスキーなのです。これは20代から変わりません。それでついクレーに纏わることが書かれていたりすると、再び頭の中はクレーでいっぱいになってしまうのです。
2009.10.26 Monday
今年我が街横浜は開港150周年を迎えています。先日幕を閉じた「Y150」の観客動員数をめぐっては賛否両論があって、今後の始末を考えるべきでしょうが、横浜の開港が150周年を迎えていることには変わりなく、ここは横浜市民として素直に喜ぶべきと思っています。現在、横浜美術館では表題の展覧会が開催されているので見てきました。江戸時代から幕末の動乱期、そして明治時代の優れた工芸品が中心となった展示内容で、その技巧たるや目を見張るものがありました。当時、ヨーロッパの万国博覧会でこれを見た海外の人々が驚いたことをどこかで読んだことがありますが、今の自分でさえ精緻な造形に脱帽してしまいます。油絵はこの頃西洋から入ってきて丹念にその技法を学んでいる様子が、絵を見るとよく伝わります。光や陰影を捉えて、線ではなく量感として表す西洋技法を、日本人特有の生真面目さで描いています。やはり当時は絵画や彫刻といえども芸術より職人の域で仕事をしていたので、芸術という概念がなかったのか、または育っていなかったと考えるべきでしょうか。あれこれ先祖が辿った道を探っていくうちに、幕府が鎖国を解いて、横浜が開港し、堰を切ったように西洋文化がなだれ込んできた当時の混乱した事情が少しわかったような気がしました。
2009.10.25 Sunday
前に実家の車庫にあって風雨に晒されていた「発掘〜円墳〜」と「発掘〜地下遺構〜」を、今夏大汗をかいて倉庫(工房)に持ってきたことは、いつぞやのブログに書きました。さらに梱包してあったダンボールを全て処分しました。作品は剥き出しのまま工房に放置していますが、陶彫のパーツはやはり梱包しておいた方が無難と考えて、今日は木箱を作ることにしました。「発掘〜遺構〜」は全て木箱にして積んであります。「円墳」も「地下遺構」もそれに習って、合板でとりあえず600mm×450mmで高さ450mmの直方体の箱を15個準備しました。それで済む量ではありませんが、まず似たサイズのパーツから梱包していこうと決めました。今日のところはそんなことを工房でやりましたが、木箱を作るのに時間がかかって15個全ては終わりませんでした。彫刻の制作も進めていかなくてはなりませんが、同時に工房の整理として旧作の保護も必要なのです。これは自分が懸念していることのひとつです。旧作はまだ別の倉庫に保管してあって、出来るなら年内に全ての旧作を工房に収納したいと考えています。そのための梱包材を新たに作ることも頭に入れておかなければなりません。現在の2つの作品を早く収納できる状態にして、次の旧作の運搬に移りたいと思います。