Yutaka Aihara.com相原裕ウェブギャラリー

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  • 「無名性の錬金術師」を読んで
    昨日に引き続き、種村季弘著「断片からの世界」に収められている美術評論で、今回はE・フックスに関するものです。ウィーン幻想派画家として国際的な名声をもつフックスは、ウィーンの多く画廊で銅版画を展示していました。これはハウズナーと前後して半年前のブログ(07.1.17)に書いています。この評論の中で興味をもったのは、ハウズナーとの比較です。ハウズナーの絵は「あくまでも自我への偏執から出発」していますが、フックスは「個性的自我を最初から厳密に排除して」いると書かれています。また、ハウズナーが「主観的象徴体系を展開してきた」のに対し、フックスは「客観的に祖述され、普遍的にすでになじまれている」象徴体系をもっていると比較しています。それはフックスの絵が聖書に基づき、とりわけ黙示録の象徴体系があるということです。風貌もハウズナーと違い、「ユダヤの家父長か預言者のような顔立ち」をしています。E・フックスとはウィーン滞在中にお会いできずにいましたが、郊外にあるO・ワーグナー設計によるアトリエは何度も見ています。恥を忍んで一度訪ねればよかったと今では後悔しています。
    「仮面の迷路歩行者」を読んで
    表題は種村季弘著「断片からの世界」に収められているR・ハウズナーに関する評論です。R・ハウズナーに関しては、今年初めのブログ(07.1.19)にご本人を美術アカデミーでお見かけした時のことや絵の印象などを自分なりに書いてみました。あれからかれこれ20数年が経っています。ここでもう一度例の摩訶不思議な自画像の評論に出くわすとは思ってもみませんでした。著書の中で「きちんとした目立たない服装をして市民生活の無名性の中にあらゆる個性を消去してしまった一人の男」がハウズナーで「タブローにおける執拗な自我への固執は、そのまさに任意のウィーン市民というほかない、実生活上の非個性的な外見とあまりに際立った対照をなしているのだ」と綴られています。特異な仮面性をもった画風で知られるハウズナーは、外見は一般的な市民で、まるで画業とは無縁であるかのようにしているという見解です。自分もウィーン美術アカデミーでハウズナー教授をお見かけした時には確かに普通の人という感じをもちました。この人のどこにあんな幻想的世界が潜んでいるのかと思い、むしろ外見そのものが芸術家然としている人より、隠された深い世界を感じて、これもハウズナーの演出なのではないかと勘ぐったほどです。また別の機会に取り上げてみたい画家の一人です。
    梅雨の季節に「睡蓮」
    パリでまとまった「睡蓮」の油彩画を見るまでは、モネの「睡蓮」をたいして重要な絵画遺産とは思っていませんでした。パリの美術館で観客をぐるりと取り囲んだ「睡蓮」連作を見て、目から鱗が落ちました。まさに水がめくるめく映像のように自分の周囲に近づき、また浮揚する睡蓮の美しさに絶句したほどでした。今日は梅雨らしく雨降りの一日なので、気分を晴らしたい一心で写真家エリザベス・マレーによる「モネが創った庭」をパラパラとめくったところ、自分がオーストリア在住中パリに旅行して、モネの「睡蓮」に遭遇した頃を思い出しました。梅雨の季節にモネの「睡蓮」。これはいい取り合わせかもしれません。                     Yutaka Aihara.com


    久保山墓地の思い出
    横浜の古い街並みが残る中心に久保山墓地があります。久保山墓地は、明治7年に出来た共葬墓地だったようで、戊辰戦争で亡くなった長州・土佐の藩士を埋葬した官修墓地もそこにはあります。関東大震災で多くの人が亡くなり、引き取り手のない人々を埋葬した久保山合祀霊場もあります。第二次大戦のA級戦犯の火葬も行っているそうです。とにかく横浜の歴史とともに久保山墓地も歩んできたと言っても過言ではないと思います。亡くなった義母はこの久保山墓地にある常清寺が菩提寺で、墓地も古い一角にあります。奄美大島から出てきた義母は、横浜に住む義父と知り合い、ここが永眠の地となったわけです。私も母方の実家がこの近くにあって、久保山墓地には幼い頃からお参りに来ていました。私にとっても思い出の多い土地なのです。今日は義母の葬儀を久保山墓地の斎場で行いました。懐かしい風情が漂う墓地で過ごした一日でした。 Yutaka Aihara.com
    泳ぎを楽しむ
    幼い頃から水泳を習っていたわけではなく、特に水に対する興味もなかったのですが、近くにスポーツクラブがあって、仕事を始めてからちょっとしたことが契機になって、以来ずっと水泳をやっています。マスターズ登録もしていて、気が向けばエントリーしています。自分は平泳ぎが得意です。コツを教わったわけではないのに同年代の人より早く泳ぐことが出来るので、大会には平泳ぎで出ています。泳ぎ初めの頃は、力まかせで泳いでいて疲れることがありましたが、最近は身体を大きく使って楽に泳ぐことが出来るようになりました。泳いでいると体調の具合がよくわかります。泳ぎそのものも変化してきて、気持ちよく泳ぐ、泳ぎを楽しむということがわかってきました。日々勤務し、週末は創作行為、さらに水泳というのは大変ですが、泳ぎが楽しくなっている現在は、何とか時間をやりくりしています。     Yutaka Aihara.com