Yutaka Aihara.com相原裕ウェブギャラリー

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  • トイレという名の快適空間
    ヨーロッパ各国からトルコへ旅した時に、便器のカタチが国によって変化していくのを見て、その国の人々の生活や文化をトイレを窓口にして語れるのではないかと思ったことがあります。洋式と和式が違うように、国によってトイレは様々な形態があります。トイレットペーパーがあったりなかったり、水の入った容器が置かれていて、これで尻を洗うのかと戸惑ったこともありました。トイレは何でもない空間でありながら、一部のレストランや店舗ではデザイン性に優れた素敵な空間を演出しているところもあります。とにかくトイレが清潔であると、国、市町村、公共施設、民間施設、個人の家、いずれも居心地のよい所になります。我が家では来客があると、まずトイレの掃除から始めています。外へ出かけた折、そこのトイレで品格を判断することもできるのではないかとさえ思うほどです。トイレという名の快適空間はアートギャラリーにも匹敵すると考えています。
    ベッドの重要性
    大学時代の話です。下宿していた友人宅に招かれた時に、その場に相応しくない立派なベッドがありました。ベッドが立派なのは装飾ではなくスプリングの良さにありました。友人いわく「寝ている時間は人生のかなりの部分を占めている。健康であるためには快適な睡眠を取らなきゃ駄目だ。家具の中で一番金をかけなきゃいけないのは、自分の身体を考えるとベッドのスプリングだと思う。」う〜ん、なるほど。この時のコトバがずっと頭に残り、家を建てた時には、まずベッドのスプリング、そして毎日食事したり語らうダイニングと順番をつけたのでした。今も彼から聞いたコトバ通りだと思います。
    家具へのこだわり
    家を建てた時に、どんな空間を作ろうか思案しました。ずい分前の話ですが、この時が一番楽しかったように記憶しています。多額な借金をしたにも関わらず、家具にこだわりがありました。家具も借金でした。本来なら家の素材にもこだわりたかったのですが、これには手が回らず、フローリングにしろ壁にしろ色調を合わせるのがやっとでした。でも家具は別でした。いくら高価でも所詮家具と高をくくっていたのですが、請求書を見てびっくり。でも無理をして買うことにしました。飛騨の家具メーカーが英国の農村で使われているデザインに着目して作った重厚なダイニングと飾り棚。「プロヴィンシャル」という名がついています。オーストリア人の現代彫刻家のお宅で見た中世の木工家具に魅せられていたので真似をしたのです。でも毎日使っていても飽きることなく、ますますその渋さに魅せられていきます。そう考えれば家具はこれと思ったものを買うべきだと今でも思います。
    365点の連作近況
    2月から毎日描いている平面による小作品ですが、気づけば130点を超えています。今までの作品全てがペンによる線描で淡彩を加えています。毎日あれこれ試行しようと思って始めた連作ですが、発想を大幅に変えることができず、結局同じような画風になってしまっています。以前タウン誌の取材で3か月分を床に並べた時は、インタビュアーが「一貫性を感じる」と言っていました。実を言えば日々別の仕事に追われ、発想を膨らませることができず、一貫性にならざると得ないのが本当のところです。でもここにきて、ようやく新しいアイデアを入れてきました。合板によるレリーフを画面に貼って、ペン画と関連づけた画面を作ろうとしています。かつて陶彫で試みた「発掘〜鳥瞰〜」の紙製のようなものですが、結構気軽さがあって失敗しても苦にならず、これはこれでいいなあと自負しています。
    飯田善国「見えない彫刻」
    最近急逝された現代彫刻家の飯田善国さんが出版したエッセイを、埃をはたいてパラパラ貢をめくって見ています。1977年に購入しているので、手許にあるのは初版です。自分がちょうど大学生の頃で、この本によって現代彫刻のことや海外の情報を知ったように記憶しています。初めて読んだ当時は作品の洞察力だけでなく詩情豊かな文章によって、遥か海外の憧憬が自分の中で膨らんでいました。オスカー・ココシュカに会った日の文章などは自分勝手なイメージを作って、ひたすら憧れていました。詩人エズラ・パウンドも同じ。ただここで初めてエズラ・パウンドなる人物を知ったのですが。自分もやがてウィーンで暮らし始めることになったので、生前に一度お会いしたかったと今では後悔しています。少なからず「見えない彫刻」から影響を受けた者として、飯田さんのご冥福をお祈りいたします。