Yutaka Aihara.com相原裕ウェブギャラリー

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  • 芸術家の生きざま
    瀧口修造著「幻想画家論」に出てくる芸術家は、幻想的な作風を確立した人ばかりなので、その生きざまも常軌を逸しているようです。昨日ブログに書いたピエロ・ディ・コジモは「かれは人間よりも動物に近い生活をしていた…決して室内を掃除させず、食事も飢じいときにとる…葡萄はのび放題で、地を這うままにうちすてて置いた…しばしば動物や植物などの畸形のものを見に出かけ…病人が唾を吐きかけたしみだらけの壁を立ちどまって凝視しながら、そこに騎馬戦争の場面や見たこともない幻想的な都市が見え…かれはゆで卵を常食のようにして…50も煮て置いて、籠のなかから一つずつ取り出して食べる…」といった生活ぶりが、常人ではない偏狭ぶりをよく表しています。また、ゴーギャンは「散歩しているところを…水兵と大喧嘩になり踝を砕かれた…パリで最後の夜、影のように寄り添ってきた街の女から有毒の接吻をうけた…くじいた足は僕を極度にくるしめ、二つの傷は口を開けたまま医者も閉じる術を知らない(於タヒチ)…パリの最後の夜にうけた梅毒に加えて、湿疹は脚の半分を侵し、夜も眠れなかった。」という記述があります。そんな生活のあれこれが作品と共に印象に残って、それでも芸術を求めて生きた彼らは、凄まじい孤独と戦った生涯と言えるでしょう。  Yutaka Aihara.com
    ピエロ・ディ・コジモ
    ピエロ・ディ・コジモ。実は最近知りえた画家です。学生時代ばかりではなく、滞欧時代を通してもピエロ・ディ・コジモについて意識したことはありませんでした。ウィーンで暮らしていた頃に、フィレンツェを訪れていて、ピエロ・ディ・コジモの絵画にどこかで出会っているはずですが、数多いイタリア絵画に圧倒され、さらに旅の疲れも加わって、見逃してしまっているのです。当時在籍していたウィーン国立美術アカデミーの併設美術館で出会ったボッスにも当時の自分は無知でしたが、やはり生活の場で出会ったボッスと、旅先で出会ったはずのピエロ・ディ・コジモとの間には、自分の中に占める存在が違ってきていました。ピエロ・ディ・コジモは、A・ブルトン著「魔術的芸術」の中で大きく紙面を割いていて、さらに今読んでいる瀧口修造著「幻想絵画論」でもルネサンス期の特異な画家として取り上げられています。現代のシュルレアリスムにも通じる摩訶不思議な怪物が登場するピエロ・ディ・コジモの本物の絵画を、きちんと見てみたいと願っています。フィレンツェで生まれ、彼の地で活動していたにも関わらず、権力者であったメディチ家とは疎遠であったことが、ピエロ・ディ・コジモをいち早く発見出来なかった所以でしょう。自分の滞欧時代にルネサンスの巨匠たちの作品はじっくりと鑑賞していて、いまだに印象強く思い出されます。次にイタリアに行く機会があるとすれば、ピエロ・ディ・コジモをじっくり見たいと思っています。                           Yutaka Aihara.com
    幻想画家論
    ボッス、グリューネウァルト、ピエロ・ディ・コジモ、ラ・トゥール、ルドン、ゴーギャン、アンソール、ムンク、スーティン、クレー、エルンスト、デュシャン…「瀧口修造全集1」に収められている幻想画家論で取り上げている芸術家です。今夏読んでいたA・ブルトン著「魔術的芸術」と重なる芸術家が多いのは、瀧口修造が同じシュルレアリスム論者としてブルトンと似た趣向があるのかもしれません。自分も上記の芸術家は大好きで、展覧会があれば必ず見に出かけています。自分は学生時代にゴーギャン、ムンク、クレー、エルンスト、デュシャンに心酔していました。上記の他の芸術家は滞欧時代に知りました。とくにボッスは、当時自分が在籍していたウィーン国立美術アカデミーの併設美術館が所蔵していて、いきなりボッスの絵画に遭遇して、病にかかったようにその不思議な世界の虜になってしまいました。ボッス・ワールドのもつ謎の解明は、帰国してから日本語で書かれた論文によって知ることができました。それでもオーストリアで原書を買って帰り、そのまま自宅の書棚に埋もれたままにしてあります。「瀧口修造全集1」の幻想画家論を読んでいると、そうした幻想絵画との出会いが思い出されてきます。20代の鬱々とした滞欧生活の中で、自分の心の襞に入り込んできた幻想絵画は、鬱積した青春の匂いがします。
    「瀧口修造全集」を紐解く
    先日読んだ「老人力」(筑摩書房)から一転して「瀧口修造全集1」(みすず書房)を紐解きました。軽妙洒脱な「老人力」と、幾重にも重なった深い洞察に裏づけされた瀧口修造の論文集。あまりにも違う世界を描いても、それを読んでいる自分には不思議と違和感はありません。「老人力」の赤瀬川氏は前衛芸術を体現した人で、その運動の仲間に瀧口氏の薫陶を受けた人がいたりするためかもしれません。あるいは赤瀬川氏と瀧口氏の接点がどこかにあるようにも思えます。瀧口修造は美術評論家であり、詩人であり、シュルレアリスムの理論(翻訳も含めて)を提唱した我が国の第一人者です。自らもアート制作を試みています。J・ミロやA・ブルトン等の交流もありました。これほど魅力的な仕事をした人がいるでしょうか、もう少し世代が近ければ自分は何としても瀧口修造に会いにいったと思います。夏に読むはずだった著作集を手に入れて、ようやく自分は瀧口修造の全貌に触れようとしています。しばらくは重い書籍を抱えて通勤電車に揺られる日々が続きます。瀧口修造が語る芸術家の作品を頭に描いて、その論考に触れるのは自分にとって大変幸せな時間です。
    「老人力」を読む
    「老人力ときて、あとがきとなると、何だかもう遺書みたいだけど、そうではない。ふつうにあとがきである。」書店で立ち読みをして、まず目についたのは本書のあとがきでした。思わず吹き出して、即購入。「〜力」という最近流行っているコトバは、この赤瀬川原平著「老人力」が発端らしいのです。赤瀬川氏は大学の先輩にあたる人で、世代はだいぶ違うのですが、前衛美術集団「ハイレッドセンター」で活躍したことは美術雑誌等で知っていました。自分の学生時代は、こうした前衛集団はいろいろ理論武装していて過激なパフォーマンスがあったりして、近づき難い存在でした。アートをやって逮捕されたりするのは、自分にはついていけない世界でした。当時自分が関心をもったアングラ演劇集団も似たところがあったのですが…。そのうち赤瀬川氏はテレビに出てコメントをするようになって、親しみやすく、あるがままの人柄が滲み出ている感じがしました。そこにこの「老人力」。ともかく面白い本でした。あっという間に読んでしまいました。自分もそんなことを考える歳かなぁと思いつつ、力が空回りしてしまう若年時代を振り返り、なるほど老人力は老人でなくても感受したい力だと思うようになりました。これは生きるツボのようなもので、力まずに豊かに自分を表現できる術を学ばせてくれました。                       Yutaka Aihara.com