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  • 笠間の「陶炎祭」めぐり
    栃木県益子と肩を並べて、茨城県笠間の「陶炎祭」も人が混み合うイベントです。ここにはブログに何回か書いたことのある佐藤和美さんが出店しています。「佐藤陶房」は健太・和美夫妻がやっている店で藍染のマルサが目印です。作品は土っぽい自然な器で、温かく柔らかい雰囲気を持っています。毎年私は出発前に飲み物や食べ物を準備して店を訪ねていきます。店を閉めた後、仲間でプチ宴会を行うのが楽しみなのです。もちろん佐藤和美コレクターを自負する自分は必ず新作を購入します。今年は木の枝のように長い一輪挿しを求めました。佐藤陶房で手伝いをしている冨川秋子さんも若手作家の一人で、美大で陶磁器を専攻し、今は笠間の窯業試験場で研修中です。冨川さんの陶は自然をイメージした風に震えるような浮遊感のある軽やかな作品です。ミクロなカタチで大きな世界を表現しようとする冨川さんに期待しています。オブジェでは自分も負けていられないと感じています。この日は制作に弾みがついた一日になりました。
    益子の「陶器市」めぐり
    ゴールデンウイーク中に開催される栃木県益子の「陶器市」は大変な人出があるので、毎年夜明け前に横浜を出発することにしています。共販センター駐車場に店が開く前に車を入れて、目当ての店へと繰り出します。まず「陶庫」の蔵を改装したギャラリー、次に隣の藍染の工房、向かいの「もてぎ」の裏にあるガーデンギャラリー、若手作家が集まる「かまぐれの丘」。ここに職場の同僚から紹介された細川かおりさんが出店しています。細川さんの器はシンプルで肌理の細かいデザインが施されているので料理が映えます。使い勝手がよく素敵な作品です。新作を見ると、つい購入してしまいます。細川さんを初めとする若手作家の作品は、安価であるばかりか一生懸命さが伝わってきます。器は飾るものではなく使ってこそ真価が問われるものだと思います。斬新で使いやすい器を毎年期待しています。
    「三輪壽雪」の豪放な器
    昨日、笠間の「陶炎祭」に出かけた際、「陶炎祭」会場のある笠間芸術の森公園には茨城県立陶芸美術館があって、毎年この時期の企画展は欠かさず見ることにしています。今年は「三輪壽雪の世界」展。壽雪は十一代休雪として萩焼一筋に歩んでこられた人ですが、器の概念から外れたような大胆な器で知られる人でもあります。今回まとまった作品群を見て、若い頃の修業時代から始まった作陶が、加齢するにしたがって作風が解放されて今のような豪放な世界にたどり着いた様子がよくわかりました。十字を切った割高台、凛とした成形に荒々しくかけた白萩釉。ざっくりとした造形に自分も挑発されるようで、作陶の面白さを余すことなく伝える内容でした。美術館の近くで「陶炎祭」が行われている環境もあって、否応無く現代の若手陶芸家と比べる結果となりますが、若手の中にも壽雪に負けない勢いが欲しいと願うばかりです。もちろん器を作らない自分も造形家の端くれとして襟を正したいと感じています。
    益子から笠間へ
    早朝3時半に自宅を出て、栃木県益子の「陶器市」、茨城県笠間の「陶炎祭」に行って来ました。帰宅は真夜中です。ここには毎年5月3日に行っています。もう恒例になって何年になるでしょうか。陶芸家として頑張っている親友に会いに行く、若手陶芸家から刺激をもらう、友人や教え子を連れて行く、器や即興で作った店舗デザインを見る、美味しい空気と食事を楽しむ等々理由はいっぱいあります。何故3日かといえば笠間の「陶炎祭」の夜祭りがあるためです。笠間芸術の森公園に特設された野外ステージでの演奏。夜7時から9時までの心躍る瞬間。まるで大学時代の学園祭のようなノリで地元の陶芸家や観光客が集まって騒ぎます。他のライブと違うのは会場に大きな窯が設えてあって、赤々と夜空に向かって炎をあげていること。今年のゲストは上田正樹でした。ステージ上にいるベテランアーチストは、構えることなく普段の語りをそのままブルースに変え、聴衆にメッセージを伝えていました。愛や平和を独特なインパクトで伝える表現には説得力があって、とてもいい時間を過ごすことができました。
    タウン誌の取材
    横浜市旭区在住の作家の一人として、タウン誌の取材を受けることになりました。午後の1時間半、僅かばかりの広さのアトリエで、ルポライターの質問に答えました。普段から図碌撮影等で付き合っているカメラマンとは別のカメラマンが現れて私自身の撮影をしていきました。自分のことを喋ったり、撮影されたりするのは本当に苦手ですが、そうも言っていられないので、自分としては精一杯やることにしました。自分の生い立ちから彫刻との出会い、さらに今置かれている立場を、その時代に思索したことを思い出しながら振り返るのは、思うほど気楽なことではありませんでした。自分の創作のことを聞いて欲しいし、人に伝えたいと日頃考えているのに、いざ本格的に聞いてもらえるとなると尻込みしてしまうのは一体どういうことでしょうか。結局、自分は巧く言葉で伝えられないので、造形として表現しているのかもしれません。作品で何を表現しようとしているのか、これは単純で難しい質問でした。言葉にできないのです。イメージがあって、それで何かを表そうとしているのですが漠然としています。でも強烈な意思が働いていることに間違いはありません。説明できない「何か」があるのです。