Yutaka Aihara.com相原裕ウェブギャラリー

note

  • Tag cloud

  • Archives

  • 5月に再読「智恵子抄」
    風薫る5月になりました。今日は雨模様でしたが5月の空のイメージは清々しく夏の香りを運んでくるものと思い描いています。そんな折、高村光太郎の「智恵子抄」に出てくる詩の冒頭に目がとまりました。「智恵子は東京に空が無いといふ、ほんとの空が見たいといふ。私は驚いて空を見る。櫻若葉の間に在るのは、切っても切れない むかしなじみのきれいな空だ。〜略〜」都会ではなく自然に恵まれた土地で見る空。5月になって気候がゆるやかに身体を包む季節になると、美しい空が見たいと自分も思います。智恵子のまっすぐな思いを、そのまままっすぐな詩に詠んだ光太郎。時々こんな詩に触れると気持ちがピュアでまっすぐになります。こんな心をいつまでも持ち続けたいものです。                        Yutaka Aihara.com
    「水の情景」展
    ゴールデンウイーク前半最終日の今日は好天に恵まれた一日でした。現在横浜美術館で開催している「水の情景」展に出かけ、水をテーマにした企画展を楽しみました。自分は美術館に行くと、決まって身体から力が抜け、ぼんやりと静謐な時間を過ごすことが多いのですが、今日も例外ではありませんでした。とくに「水」をテーマとして古今東西の名画を集めた展覧会なので、癒しとも潤いともとれる作品を観ていると、今まで溜まっていた疲れから開放されるような思いでした。印象に残ったのはベトナムの作家による水中を人力車を押し続ける映像作品と、沖縄の作家による珊瑚の浜辺を床一面に敷いた作品でした。珊瑚の浜辺には海の記憶があって、乾いた情景なのに水を感じさせる作品に出来上がっていました。
    「ルル」表現主義によるオペラ
    ウィーン滞在が5年に及び、その間暇に任せてオペラをほとんど毎晩観ていました。パンフレットは百冊を超えました。だんだん音楽が楽しくなっていき、一端の音楽評論家よろしく今晩のオペラはどうのこうのと人と喋れる自分が信じられないほどでした。そんな自分が理解しようと努めていたのがベルクのオペラでした。20世紀初頭に現れた表現主義。美術ではとっくに理解し、むしろ古臭く感じていた様式が、こと音楽になるとなかなか楽しめる状態にはなっていませんでした。心理を捉えて歪ませた舞台に、鋭く切り込む音響。世紀末的なドロドロしたドラマ。より現代に近いと感じながらも、今も前世紀のオペラにホッとできる自分がいました。美術の表現主義は充分楽しめるのに、自分の音楽に対する時代遅れを何とかしたいものだと思っていました。
    「エレクトラ」の壮絶な復讐劇
    昨年11月13日付のブログに今日書こうとした内容がありました。この「エレクトラ」はウィーンで初めて観たオペラで、上演時間が短いにもかかわらず、旋律が理解できずに退屈さえ覚えてしまったものです。幕が上がるといきなり激しい旋律が流れ、愛人と共謀して父を殺害した母に対する娘エレクトラの復讐に満ちたセリフが綴られていきます。ずっと緊張を強いられる叫びともとれる恨みが延々と続きました。オペラ初体験者にとって、これはつらいものです。この旋律、つまり不協和音を理解するまでかなり時間がかかりました。調和のとれた旋律に物足りなさを感じるほどオペラ通になって、ようやく自分の中の音楽史が更新されました。でもシェーンベルクやベルクを理解するのにさらに時間を要しました。現代美術と似ていて、新古典主義から印象派、さらに表現主義、キュービズムやダダイズムやらを自分の中で咀嚼し理解する過程と同じと思いました。
    「椿姫」の豪華な宴
    散りばめられた有名な旋律、華麗な舞台、男女の葛藤、どれをとっても楽しめるオペラと言えます。パリの社交界で繰り広げられる豪華な宴は、女性の衣裳を見ているだけで、その雰囲気は容易に想像がつきます。ウィーン国立歌劇場で観た「椿姫」は思わず口ずさみたくなるメロデイーと、花のような衣裳に身を包んだ社交界の人々の踊りで、まさにヨーロッパ文化の坩堝の中にどんどん引き込まれてしまいました。オペラ鑑賞の第一歩はこの「椿姫」がお勧めです。歌あり、踊りあり、ドラマあり、悲劇ありの全てが揃ったオペラで、たとえイタリア語であっても物語の大筋は理解できます。オペラは耳に心地よいものという印象を最初に持った方がいいと思います。私はR・シュトラウスを最初に聴いて、それからしばらくオペラから遠ざかってしまった経験があります。