Yutaka Aihara.com相原裕ウェブギャラリー

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  • 益子から笠間へ
    早朝3時半に自宅を出て、栃木県益子の「陶器市」、茨城県笠間の「陶炎祭」に行って来ました。帰宅は真夜中です。ここには毎年5月3日に行っています。もう恒例になって何年になるでしょうか。陶芸家として頑張っている親友に会いに行く、若手陶芸家から刺激をもらう、友人や教え子を連れて行く、器や即興で作った店舗デザインを見る、美味しい空気と食事を楽しむ等々理由はいっぱいあります。何故3日かといえば笠間の「陶炎祭」の夜祭りがあるためです。笠間芸術の森公園に特設された野外ステージでの演奏。夜7時から9時までの心躍る瞬間。まるで大学時代の学園祭のようなノリで地元の陶芸家や観光客が集まって騒ぎます。他のライブと違うのは会場に大きな窯が設えてあって、赤々と夜空に向かって炎をあげていること。今年のゲストは上田正樹でした。ステージ上にいるベテランアーチストは、構えることなく普段の語りをそのままブルースに変え、聴衆にメッセージを伝えていました。愛や平和を独特なインパクトで伝える表現には説得力があって、とてもいい時間を過ごすことができました。
    タウン誌の取材
    横浜市旭区在住の作家の一人として、タウン誌の取材を受けることになりました。午後の1時間半、僅かばかりの広さのアトリエで、ルポライターの質問に答えました。普段から図碌撮影等で付き合っているカメラマンとは別のカメラマンが現れて私自身の撮影をしていきました。自分のことを喋ったり、撮影されたりするのは本当に苦手ですが、そうも言っていられないので、自分としては精一杯やることにしました。自分の生い立ちから彫刻との出会い、さらに今置かれている立場を、その時代に思索したことを思い出しながら振り返るのは、思うほど気楽なことではありませんでした。自分の創作のことを聞いて欲しいし、人に伝えたいと日頃考えているのに、いざ本格的に聞いてもらえるとなると尻込みしてしまうのは一体どういうことでしょうか。結局、自分は巧く言葉で伝えられないので、造形として表現しているのかもしれません。作品で何を表現しようとしているのか、これは単純で難しい質問でした。言葉にできないのです。イメージがあって、それで何かを表そうとしているのですが漠然としています。でも強烈な意思が働いていることに間違いはありません。説明できない「何か」があるのです。
    5月に再読「智恵子抄」
    風薫る5月になりました。今日は雨模様でしたが5月の空のイメージは清々しく夏の香りを運んでくるものと思い描いています。そんな折、高村光太郎の「智恵子抄」に出てくる詩の冒頭に目がとまりました。「智恵子は東京に空が無いといふ、ほんとの空が見たいといふ。私は驚いて空を見る。櫻若葉の間に在るのは、切っても切れない むかしなじみのきれいな空だ。〜略〜」都会ではなく自然に恵まれた土地で見る空。5月になって気候がゆるやかに身体を包む季節になると、美しい空が見たいと自分も思います。智恵子のまっすぐな思いを、そのまままっすぐな詩に詠んだ光太郎。時々こんな詩に触れると気持ちがピュアでまっすぐになります。こんな心をいつまでも持ち続けたいものです。                        Yutaka Aihara.com
    「水の情景」展
    ゴールデンウイーク前半最終日の今日は好天に恵まれた一日でした。現在横浜美術館で開催している「水の情景」展に出かけ、水をテーマにした企画展を楽しみました。自分は美術館に行くと、決まって身体から力が抜け、ぼんやりと静謐な時間を過ごすことが多いのですが、今日も例外ではありませんでした。とくに「水」をテーマとして古今東西の名画を集めた展覧会なので、癒しとも潤いともとれる作品を観ていると、今まで溜まっていた疲れから開放されるような思いでした。印象に残ったのはベトナムの作家による水中を人力車を押し続ける映像作品と、沖縄の作家による珊瑚の浜辺を床一面に敷いた作品でした。珊瑚の浜辺には海の記憶があって、乾いた情景なのに水を感じさせる作品に出来上がっていました。
    「ルル」表現主義によるオペラ
    ウィーン滞在が5年に及び、その間暇に任せてオペラをほとんど毎晩観ていました。パンフレットは百冊を超えました。だんだん音楽が楽しくなっていき、一端の音楽評論家よろしく今晩のオペラはどうのこうのと人と喋れる自分が信じられないほどでした。そんな自分が理解しようと努めていたのがベルクのオペラでした。20世紀初頭に現れた表現主義。美術ではとっくに理解し、むしろ古臭く感じていた様式が、こと音楽になるとなかなか楽しめる状態にはなっていませんでした。心理を捉えて歪ませた舞台に、鋭く切り込む音響。世紀末的なドロドロしたドラマ。より現代に近いと感じながらも、今も前世紀のオペラにホッとできる自分がいました。美術の表現主義は充分楽しめるのに、自分の音楽に対する時代遅れを何とかしたいものだと思っていました。