Yutaka Aihara.com相原裕ウェブギャラリー

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  • 「土器の始まりと造形」展
    一昨日、都立美術館、都現代美術館を見て歩き、最後に池袋に行きました。美術館のハシゴも3館までが限界だなぁと思うようになりました。学生の頃はさらに画廊を10軒ほど走るように回り、家に帰るか倒れるかという鑑賞姿勢を誇ったものでしたが、家内の不平を聞くこともあって、せいぜい展覧会は一日3つまでにしたのです。人で賑わうサンシャインシティ内の雑踏から、古代オリエント博物館に行くと、あまりの静寂にホッとため息がでました。階下のキャラクターグッズで溢れるところから、悠久の時を刻んだ古代の器たちのいるところに来て、何故か身体から一気に疲れがでました。眠気も出ました。もちろん退屈だったのではなく、心が解きほぐされたような気分でした。考古学的な興味ではなく、シンプルな美しさに打たれたのです。とりわけ日本の縄文土器はやはり世界の土器の中で見ても面白く感じました。アンデスの土器の文様も楽しく、人や動物を模った壺は日常品というより饗宴の場で使ったものではないかと思いました。           Yutaka Aihara.com
    東京の「伊藤公象展」
    昨日、上野の「トリノ・エジプト展」を見た後、地下鉄で清澄白河駅まで行き、表題の展覧会を見てきました。あえて「東京の…」としたのは5月3日に茨城県笠間の陶炎祭に行き、その会場があった芸術の森公園で「伊藤公象展」を見ているからです。その時購入した図録には東京でも開催される予定があったので、どうしようかと迷っていました。知人から招待状をいただいたので、それならば行こうかということになりました。迷った理由は、普通の陶芸作品ならもう一度見に行くことはしないと思うのですが、伊藤公象の世界は、作品が置かれる環境によって作品の感じ方が違うのです。どんな空間を与えられているか、屋内なのか屋外なのか、いわば場を創出する装置のような作品群なので、異なる美術館であれば異なる世界が生まれるわけです。実際に見て笠間と東京は印象が異なりました。笠間は土に馴染んだ環境ゆえか自然なままの土に見え、東京は張巡らされたコンクリートの中にあって異質な別世界が忽然と現れたような印象でした。同じ土で焼成したものでも、まるで違う印象に奇妙な面白さを感じました。           Yutaka Aihara.com
    「トリノ・エジプト展」にて
    先日出かけた「海のエジプト展」に続き、今回は陸のエジプト発掘品で構成された「トリノ・エジプト展」を見てきました。海の場合と異なり、石碑の彩色や木製の棺等がしっかり残っていて、細部まで鑑賞できました。自分は石像に興味を持ち、家内は装飾品に興味があるので、展覧会では一緒に見て回れません。ただ、お互い一致しているのは展示品全てにわたって、考古学的な興味ではなく、美的な基準でもって展示鑑賞に没頭していることです。だから音声ガイドを使ったことはないし、順番に見て歩くこともしません。何かを感じ取れば、そこを動かないし、考古学的に重要であっても美的に馴染まなければ流してしまいます。少々厄介な鑑賞者であろうと思いますが、古代の職人が彫ったエジプト独特な立体形式には、いつも魅かれるものがあって、つい行きつ戻りつしてしまうのです。ヒエログリフも迷路のような造形物として見ると、美的なイメージが広がります。こうした展覧会を見ていると一度エジプト本国に行って、広大な野外で見たら、これら象徴的な形態がどんなふうに見えるのだろうと考えます。イタリアのトリノも行きたいのですが、まずエジプトに行って、エジプトの空気の中で巨大な造形物を味わいたいと思っています。 Yutaka Aihara.com
    途切れ途切れの制作
    週末になると工房に入り、制作に没頭したいところですが、他の用事もあって、午前中2時間、午後2時間の途切れ途切れの制作になりました。自宅の近くに倉庫(工房)を建てたのが便利である一方、作業をほったらかしにして出かけられるので、これはどうしたものかと考えてしまいます。ボランティアの学生が来ると、彼らがいる間は自分もずっと工房にいて制作に没頭できるので、以前のように彼らを呼ぼうと思っています。彼らは工房の手伝いもしてくれますが、彼ら自身の制作や大学の課題をやっていることが多いのです。でも、それでお互いを縛ることになって、結果としてみればお互い仕事が進むのです。心理学で言うところの社会的促進というものです。自分ひとりで何かをするよりは人目につくところでやる方が能率が上がるというわけです。今日は途切れ途切れではありましたが、木彫をやりました。8本の柱のうち、3本目の荒彫りに入りました。「構築〜瓦礫〜A」の制作工程で言えば、まだ入り口です。余裕と思っていても、時間は案外待ってくれず、大抵つらい思いをする羽目になります。もっとやらなければと思いつつ、野暮な用事に右往左往していた一日でした。               Yutaka Aihara.com
    職場の結束力を感じた日
    横浜市の公務員である自分にとって、仕事とは何かを考えさせられる一日でした。もちろん民間企業のような業績が営利に結びつくことはありません。ただ一日の与えられた仕事をこなしていくだけと思われがちな公務員ですが、それぞれの部署でチームとして結束してコトにあたり、臨機応変する場面は、ほとんど毎日と言っていいほどあります。職場にはいろいろな能力や考え方をもつ人が集まっています。適材適所に人を配置するのは管理職の役割ですが、それが有効に働いている時に、このチームにいられて良かったと思える瞬間がやってきます。60人近い専門家集団が働いている現在の職場は、それぞれが力を発揮できた時には素晴らしい成果が得られています。時に空回りがあったり、意見や感覚のくい違いが生じることがありますが、今日は大きなイベントを恙無くやってしまう結束力を感じ取れた一日でした。Yutaka Aihara.com