2009.10.19 Monday
昨年のブログを読むと、「起源」の柱の彫りの進み具合のことをよく書いています。ブログはもちろん万人に公開しているものですが、自分の制作工程のメモとして活用していて、現在の作品の進み具合をリアルタイムで報告しています。今日は土曜出勤の代休で、朝から工房に籠もって作業をしていました。自分には幸福な時間帯です。「構築〜瓦礫〜A」の柱8本の荒彫りが今日終わりました。まだ仕上げをしていないので、木彫が終わったわけではありませんが、木片を気持ちよく削いでいく仕事は終了です。荒彫りは健康的な作業でバンバン仕事が進みます。カタチが大雑把に出てくるのも気持ちがいいものです。逆に仕上げは造形的な面白さが半減しますが、木目の美しさや優美な感じを味わえるのが一興だと思います。次回から仕上げに入ります。同時に陶彫も進めなくてはなりません。新作は木彫部分よりも陶彫部分の方にウエイトがかかっているのですから…。
2009.10.18 Sunday
農業用倉庫として建てた工房ですが、住居機能はないにしても、最近は使い勝手がよくなりました。空調がないため、今夏は蒸し風呂のような暑さの中で、引越し作業や整理を行いました。整理はまだ完全ではありませんが、作業はやり易くなっています。今日は秋晴れの一日で、湿気が少なくて、工房では気持ちのいい時間を過ごすことができました。杉の柱の荒彫りを進めましたが、真夏のように汗が吹き出ることもなく、坦々と鑿を振るっていました。この自分と向き合う時間が、自分にとって一番幸福な時間です。貴重な週末のかけがえのない時間。自分の内部にあるカタチを「発掘」し、「構築」していく作業。今日も次から次へと休むことなく作り続けました。ふと、作業中に自分は立ち止まりたくないのかもしれないと思いました。ずっとイメージを追い求めていたい、さらに変われるものなら変わりたい、昨日の自分を脱皮したい、そんな欲求があって、ひたすら作り続けているのだと思っています。
Yutaka Aihara.com
2009.10.17 Saturday
今日は週末で、本来なら杉柱の荒彫りをやっているはずですが、休日出勤になりました。職場でも仕事を抱えている人が個人的に休日仕事をやりに来ることはよくあることですが、組織的に休日出勤する日はそう多くありません。代わりに職場全体で月曜日休むことにしました。週末がずれたカタチになります。自分は制作が出来れば、どこで休んでもいいのです。休日出勤のメリットは通勤電車が空いていること、本庁から電子メールが一通も来ないこと、電話も少ないことです。仕事はいつものように多くの書類処理があって、始まれば土曜日という感じがしませんでした。でもやはり土曜日まで働くというのは、一週間がとても長く感じます。前は土曜日も働いていたのに、週休2日制になったために、その習慣が身についてしまったようです。労働時間で身についた習慣と言うのは、身体のバイオリズムまで変えてしまうようです。週末になると作品を作りたくなるというバイオリズムもあるのかもしれません。
2009.10.16 Friday
今月のRECORDは市松模様を基本に、そこに他の要素を持ち込んで作品にしています。ちょうどチェス盤の上に様々な駒を置いていくような按配です。ブログで度々繰り返して書いていますが、RECORDとは一日1点ずつ作品を制作し、その蓄積としての行為を総称したものです。大きさはポストカード大で、主に平面作品でやっていますが、かつてはレリーフのようになっている作品も作っていました。市松模様で印象的なものは京都桂離宮の青と白の襖です。現代的な感覚が日本家屋の中にあって、かえって新鮮でした。RECORDの展開も何か新しい要素が欲しいと常日頃から思っているのですが、今のところ薄っぺらなイメージしか浮かびません。もう少し別の視点があればと思索しています。RECORDの今シーズンも残すところあと3ヶ月となりました。今シーズンはパターン化したフォルムの繰り返しをやってきましたが、そろそろ方向転換がしたくなっています。
2009.10.15 Thursday
今月12日「体育の日」の休日を利用して、東京上野公園にある3つの美術館(博物館)を見て周りました。3つ目に訪れた上野の森美術館では「聖地チベット ポタラ宮と天空の至宝」展が開催されていました。ここに入場して、まず思ったことは若い観客が多いということです。チベット仏教の仏像や曼荼羅を熱心に見入る若い男女がよく目につきました。アジアの国々を旅したい思いなのか、また旅をしてきて、その思いを振り返っているのか、十一面千手千眼観音菩薩像や男女2対が一体化した父母仏立像やタンカ(チベット軸装仏画)をじっくりと眺めていました。自分もチベット人の美的感覚はひとまず置いて、その仏教美術の手の込んだ凄まじさに思わず見入ってしまいました。これは日本の仏像にも言えることですが、仏教の法典やその思想を折りあれば勉強したい欲求に駆られます。それらを学んだ上でチベットに行って、仏教美術が生まれている環境を体感したいと思いました。造形美術はその根幹に哲学を有しています。その哲学が純粋に美的価値を求めているのか、また宗教としての哲学を持っているのかで造形の在り様が変わってきます。それは洋の東西、古代から現代に至るまで全てに関わってくるものです。作品がどんな思想を表しているのかを探り、そうしたモノが出現する土壌を考えることは異文化理解に欠かせないことだと思います。