Yutaka Aihara.com相原裕ウェブギャラリー

note

  • Tag cloud

  • Archives

  • 見せない彫刻
    故若林奮先生の作品の中に、ほとんど土中に埋めてしまって僅かしか見えない彫刻があります。府中美術館の野外にある鉄の作品も上の部分しか見せていない彫刻です。それを見ると鑑賞者は唖然としますが、自分にはその考え方が多少理解できます。「存在」という概念は見えているものばかりではなく、見えていないものにもあると思うからです。以前から自分のイメージに度々立ち現れてくる作品は、壁体の中に陶彫を埋め込んだもので、砂か漆喰で覆い隠した陶彫作品が一部見えていて、鑑賞者に全体像をイメージさせるという作品です。陶彫は、だからといって全体をしっかり作る予定でいます。見せ方ではなく、彫刻のあり方を考える作品を作ろうと考えているからです。それは床に置くものでも壁を使ってもいいのですが、自分のイメージには壁が出てきます。ギャラリーの壁面全体を使うような作品を考えているのです。実現できるかどうかわかりませんが、デッサンか雛型で残しておこうと思っています。
    週末の楽しさ実感
    連休の後にくる週末。例年なら彫刻制作に追われていますが、現在はあえて作業を休んでいるので、週末をどう過ごすかという思いで、楽しさ倍増です。雛型を作ってみようとか、イメージデッサンをしてみようとか、時間の許す限り様々な可能性が広がっていきます。イメージの蓄積または充電期間はやはり必要で、頭の中で空間をイメージして試行錯誤を繰り返しています。以前のブログに書いた壁面を使った体験型の作品は、壁面を迷路のように配置して、自分の空間に鑑賞者を取り込んでいくような構成にしてみたらどうだろうと思うようになりました。いずれにしても週末の楽しさを実感して過ごせたらいいなと思います。
    「夢の漂流物」で思い出すこと
    表題は白倉敬彦著「夢の漂流物」(みすず書房)です。「私の70年代」と副題がついている通り、作者が交流した美術家や文学者を通して70年代を回顧し、その時代の側面を分析したエッセイです。自分は大学を出たのが79年で、ちょうど新しい美術界の潮流に興味を持った頃でした。本書に登場する作家はメディアを通して知っている人たちばかりで、自分の20代を思い返す機会になりました。その中ですれ違ったことがある人は若林奮先生で大学の研究室におりました。ただその頃の自分は塑造による人体習作に明け暮れていて、あえて表現を広げようとはしていなかったので、若林先生に教えていただく機会はありませんでした。でも現代美術には敏感に反応していました。本書は当時の作家や評論家の交遊が克明に語られていることで、70年代に美術の世界でスタートをきった自分には、雲の上の存在だった人々が大変身近に感じて嬉しく思いました。今でも新しさを失わない表現や評論に改めて感銘を受けています。
    連休の終わりに…
    この連休は例年のように土を練ったり木を彫ったりする作業をしなかったせいか普段とは違う過ごし方をしました。まず、RECORDの集中制作、さらに次なる立体作品のイメージをまとめる時間が作れたことです。立体作品では3月まで制作していた「発掘〜赤壁〜」の次なるシリーズ、以前作った陶彫を木箱の中に埋め込んだ「発掘〜住居〜」「発掘〜棟」の発展した風景彫刻、陶壁で囲まれた空間を提示する体験型の立体造形など、陶土と木材が組み合わされたイメージが生まれてきました。こんな風景が、あんな鳥瞰(俯瞰)造形が見てみたいと思ったことが契機になって、作品制作が始まるのです。まず、雛型を作る予定です。そうしたことがこの連休の収穫だと思います。
    5月のRECORD
    一日1枚のノルマを自分に課して、葉書大の厚紙に平面作品を作っています。3年目に突入しましたが、まだ継続中です。「RECORD」というタイトルは記録と言う意味をこめて付けたものです。今月は鋭角な三角形のパターンをベースして、毎日鉛筆と消しゴムで描いたり消したりして、パターンが展開していくように表現しています。技法はシンプルそのもので、アクリルガッシュを使い、平塗りをするだけという方法をとっています。色彩に拘っているところもありますが、塗り方は美大受験時代を思い出すようなアナログな方法です。手で面相筆を扱う作業は今となっては大変新鮮です。CGを使えば簡単に出来ることを、あえて塗り斑を作らないように、はみ出さないように塗るという作業に意味を感じているのです。どこまで続くのか見当もつかないRECORDですが、モチベーションを保っているうちはずっとやっていきたいと考えています。                  Yutaka Aihara.com