Yutaka Aihara.com相原裕ウェブギャラリー

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  • 通勤時間に読む本
    学生時代から今までの通学・通勤時間を考えると、最近やっている自動車通勤より、はるかに長い時間を電車やバスを使って移動していることに気づきました。自動車を修理に出しているので仕方なく通勤方法を電車やバスにしていますが、忘れていた電車通勤の時間帯に読書をしていた頃を思い出し、さっそく鞄に本をつめて出かけています。通勤時間に読む本は、なかなかいいものです。本来自分は読書が大好きで、機会があれば読んでいた時代があります。家でゆっくり読むのもいいのですが、通勤時間の読書は時間が限られているだけに集中できます。また体調によってはうつらうつらして、内容が頭に入ってこない時もあります。今、自分の通勤の友は「マニエリスム」に関する評論で、じっくり読み砕いて、しばし考えるという方法で、精読しています。若い頃は苦手としていた本格的な評論ですが、今は苦にならずに読むことができます。趣向が変わったのでしょうか。
    今日は父の一周忌
    昨日、義母が他界しましたが、今日は父が亡くなってちょうど丸一年、父の一周忌になります。そんな年回りで毎年のように親を失っていきます。最近は介護住宅ができて、行き届いた設備とケアがあり、家族が介護で疲れることが少なくなりました。でも親を失うのは、自分の中に何がしかの影響が出てきます。義母の過ごした介護住宅を片付けにいくのはつらいと家内は言っていますが、私も1年間も放ってある亡父の道具の詰まった倉庫を片付けられません。亡父が商っていた畑の植木がしだいに大きくなり、移動するのも困難になっています。畑の一角に大きな窯場兼工房を作ろうと計画しているのですが、なかなか植木の行き先がわからず、いまだ計画のままです。制作に追われる日常にあって、ふと足元を見つめなおす時なのかもしれません。Yutaka Aihara.com
    義母の最期を看取る
    家内の母が86年の人生を終えました。義母は奄美大島の出身で、奄美の豊かな自然のことや人とのつき合いをよく話してくれました。奄美にはもう直系の親戚もいないのですが、義母が生きているうちに自分たちも奄美に行って、話のキャッチボールをしたかったと思いました。義母の旧姓は「量」といいます。奄美の「ナベカナ伝説」という昔から伝わる話に量一族が登場しているそうで、そんな伝承文化に興味を持ちました。奄美といえば、日本画家田中一村が最期の創作生活を送ったところです。自分も義母の思い出話を聞いて、当地で彫刻をやってみたいと思ったことがあります。沖縄には陶芸がありますが、奄美大島はどうなのか、木彫はできそうか等々まだ下見をしていないのに頭だけが先行してしまいます。話を戻しますが、昨年の同じ時期に父を失い、今回は義母。自分がそんな年回りになったことをつくづく思い知らされるこの頃です。
    「菊池伶司 版と言葉」を読む
    先日、出張の時に購入した「菊池伶司 版と言葉」は22歳で夭折した版画家に関する評論や本人の日記を編集した冊子です。自分は1960年代に活躍し、短い一生を駆け抜けた菊池伶司という版画家を知りませんでした。近頃TVでも取り上げられ、版画専門の美術館で個展もあったようです。たまたま書店で手に取った本の初めのページに掲載されている版画の数々が、銅版画の要素たっぷりの定番のようでいて、何故か気にかかる表現であったため、この本を購入しました。パラパラとページをめくると、凝縮された人生を綴った文章に思わずのめり込んで、一気に読んでしまいました。自分の命を削るように銅板に刻まれた解読できない文字や解剖図のような表現が、いつまでも記憶に残ってしまいます。
    エンジン・トラブル
    夜、家内を車で迎えに行った折、坂道で急にエンジンが停止しました。何度やっても駄目でした。仕方なく携帯電話でレッカーを呼び、そのままデイーラーへ。自動車通勤をしている自分には手痛いトラブルになりましたが、他者をまきこんだり、仕事場のある遠方でトラブルにならなかっただけ良しと考えることにしました。あたりまえに考えてしまっていることがあたりまえでなくなると不便を感じます。初めから無ければ不便を感じることも無く過ごしているのに、文明の利器に頼りすぎている自分が恥ずかしくなります。しばらくはゆっくり読書でもしながら通勤しようと思います。       Yutaka Aihara.com