Yutaka Aihara.com相原裕ウェブギャラリー

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  • 「さまよえるオランダ人」の幽霊船
    家内は大学で空間演出デザインを専攻し、卒業制作にワーグナー作曲による「さまよえるオランダ人」の舞台デザインをやっていました。そのイメージがあってか、ウィーン国立歌劇場で「さまよえるオランダ人」を観た際、舞台中央に大きな幽霊船が現れた時は、家内のデザインと印象が混ざってしまいました。船の舳先がこちらに迫ってくるシーンは圧倒的な迫力と美しさがあって、暗いおどろおどろしい場面でもあっても、ワーグナー独特の分厚い旋律と相まって心躍るシーンになっていました。ワーグナーのオペラはどれをとっても、とてつもなく長くて時折音響に陶酔して夢か現かわからない状態で聴いていることがあります。そうした中でも「さまよえるオランダ人」は短めで程よい興奮が味わえるオペラだと思います。ワーグナー初期の作品という解説ですが、その新鮮さゆえ結構好きなオペラのひとつです。
    「フィデリオ」の灰色の壁
    20数年前に住んだウィーンで爪に火を点す生活をしていた自分の楽しみはオペラの立ち見でした。ベートーベン作曲によるオペラ「フィデリオ」は、ストーリーが分かりやすく音楽も胸を打つものがあったので、何回も観ています。男装した主人公が無実の罪で捕らえられていた夫を探すドラマで、場面はすべて刑務所でした。自分の生育暦の中に音楽的な環境はなかったものの美術的な環境は多少あったので、自分が音楽よりも好んで見ていたのは舞台装置でした。刑務所の無造作な壁に照明が当たり、囚人たちがぞろぞろと外に出てくるシーンがとても美しく、群集劇がまるで一幅の絵画のように感じました。舞台に立てられた灰色の壁がドラマを雄弁に語っているようでした。
    たかが小品、されど小品
    4月の慌しい生活の中で、今だ彫刻には手が出ず、365点の連作をポツポツ描いています。葉書大の画面に、時として大きな空間を想定して、こんな平原にこんな立体を置いたらどうだろうと自己陶酔しながら描き溜めています。そう思えば、たかが小品と思っていた作品が、イメージの中では巨大になってしまうから不思議です。上空から見て突き出たカタチをどう表現しようとか、地中から現れ出たカタチをどう表現しようとか勝手に頭をめぐらすのは楽しいものです。先日ブログに書いた「立体感」ではなく「立体」を表すにはどうしたらよいのか、濃淡や線描でどこまでやれるのか、こればかりは観る人を意識するというより、自分の納得のためにやっているようなものです。
    癒し系のアート
    美術とは違う世界の仕事が多忙をきわめているせいか、美術作品に触れると心が穏やかになります。絵画であれ彫刻であれ、ホッと一息つける感覚は長い間美術に関わったおかげかもしれません。我が家に千葉県の海岸で拾ってきた大きな木の根があります。波に打たれ、風に晒されて、木の根はまるで違う素材のように乾いていました。それに白い塗料を塗って我が家の床にころがしてあります。作為としては塗装をしただけですが、これは立派なアートだと思っています。人の手をかけたところが最小限で、ありのままに存在するアート。いつもこのオブジェを見ていると心が癒されます。自分の作品より癒される作品です。自然の偉大さを感じ取ってしまいます。
    「ラ・ボエーム」の時代
    プッチーニの作曲したオペラに「ラ・ボエーム」があります。イタリア歌劇の中ではよく演奏されるオペラのひとつです。今日職場でひょんなことからオペラの話になり、このリリシズムあふれる「ラ・ボエーム」を聴いた思い出を語ってしまいました。フレーニ、パパロッテイという当時最も人気のあった歌手が出演し、クライバーというこれまた実力のある指揮者が振った「ラ・ボエーム」。20数年前にウィーン歌劇場の立見席で、観客のすし詰め状態の中に私がいました。伸びやかで優美、たおやかな余韻を残すアリアが終わると拍手喝采が延々と続きました。オペラは寂しい生活を送っていた自分に内面の豊かさをもたらせてくれました。オペラが終わって外に出ても、「ラ・ボエーム」に登場したパリに見まがうようなウィーンの街が目の前に広がっていて、おまけに自分は画学生でした。「ラ・ボエーム」の時代に生きているような錯覚さえ持ってしまいました。