Yutaka Aihara.com相原裕ウェブギャラリー

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  • 企画展搬入から伊香保温泉へ
    朝7時に横浜を出発、環八から関越道に乗り、一路群馬県高崎市に向いました。作品を載せた業者のトラックに私たちも後追いをしていました。高崎市の城址公園に着いたのは10時頃だったでしょうか。公園に面したギャラリーではボランティアの方たちが迎えてくれました。高崎の人たちの温かい雰囲気の中で搬入を終え、食事もご馳走になりました。搬入業者と別れて、午後遅く伊香保温泉に向いました。明治時代の文豪が愛した伊香保温泉とはどんなところか、初めて足を踏み入れる観光地に胸躍る気分でした。果たして伊香保温泉は情緒に溢れたこじんまりとまとまった温泉地で、思ったとおりの場所でした。階段の両脇に店を連ねる風情は、昔も今も変わらず温泉地ならではの雰囲気が漂っていました。旅館の温泉で疲れを癒して、明日から始まる高崎での企画展に思いを寄せていました。             Yutaka Aihara.com
    明日は群馬県高崎市へ…
    「古代・現代 思索する手」展の搬入が明日に迫りました。搬入業者に依頼して、「発掘〜鳥瞰〜」を群馬県高崎市に運搬することになりました。陶彫によるレリーフで6枚の屏風から成り立つ作品です。他県に出かけるというのは良い気分転換になります。横浜市の公務員である自分は明日年休をいただいております。家内は近隣の伊香保温泉に宿泊したい意向があり、明日の搬入が済んだら伊香保温泉に出かけることにしました。20日の晩はレセプションがあり、主催者側で用意してくれた旅館に泊まることになります。高崎市街も伊香保温泉も自分は行ったことがないので、とても楽しみです。  Yutaka Aihara.com
    「見る」ことから「視る」ことへ
    陶彫作品の土台に塗った油絵の具が乾く間に、新作をじっと見ることにしました。作品を見ることは作品を制作することでもあります。制作に気が入っていくと、「見る」ことから「視る」ことへ移行し、思索と凝視は離れがたく同義となっていきます。「見る」ことに時間をかけて「視る」ことに繋げていく、それは作品の内容を思索することであり、自分の内面を覗くことでもあります。作品は自分の分身で、自分の思考や趣向が投影された物体です。「視る」ことはそうした清濁合わせた自分自身を正視することです。作品に何がしかの情感があれ、そういうものはいっさい無くしたものであれ、置かれた作品は紛れも無く自分自身なのです。「視る」ことは制作の過程です。今日はじっくりと作品を視て、自分自身と向き合いました。 Yutaka Aihara.com
    絵の具の汚れ
    職場からちょっと作業場に立ち寄って、現在制作中の作品を動かそうとしました。あっと気づいた時は既に遅く、ワイシャツの袖口に油絵の具が…。まだ絵の具は乾いていなかったのでした。絵の具は昨日塗ったばかり、しかも筆を使わず、思うに任せてアクションペインティングをやっていたので、当然厚塗りになっていたわけです。今日の自分はネクタイ&ワイシャツで、昨日の作業着とは違っていました。うっかりした、いや二束の草鞋をやっている欠点か、おまけに午後は出張があって今日の不始末にがっかりでした。帰宅すると家内は早速ワイシャツを漂白剤につけています。「これも作業着になっちゃうかもね」と言いながら…。                 Yutaka Aihara.com
    絵画的要素に遊ぶ
    新作陶彫の土台に砂マチエールを貼りつけて、ようやく油絵の具で砂に色彩を施すところまできました。土台は直方体を立てたような形態で、それを崖に見立てて、その上に陶彫を置き、ちょうど街が連なるようなイメージにしました。崖の壁の部分は厚板を彫ってレリーフ状にしたものです。砂が貼ってあるので木目は消えています。崩れかけた壁といった最初のイメージに従い、色彩をばら撒いてシミのような斑点を作りました。何度も色彩を重ねて重厚さを出しました。それは彫刻的な作業ではなく、絵画的な要素をもった作業でした。絵画としての表面処理は時間を追うごとに楽しくなり、色彩の混合をあれこれ試しながら、時には霧状に絵の具を飛ばしてみたり、絵の具が筆から垂れるまま流れるままに任せてみたりしました。夕方になって、何とかまとめ上げなければならなくなり、偶然出合った色彩同士を調和させるために中間色を散らしました。筆で描くことはいっさいせず、偶然の効果を期待しつつ長時間にわたって遊んでしまいました。 Yutaka Aihara.com