2009.12.18 Friday
朝晩めっきり冷え込んで出勤する午前6時は夜がまだ明けていません。自宅の近くにある停留所でバスを待っている時は、かなり寒さが応えます。これから一日の勤務が始まると思うと、心なしか気が重くなりますが、このバスを待つ数分の間に、ふと思いつくイメージがあります。朝から頭が回らない筈が、何気なく思うこのひと時が、案外的を得ているような考えが浮かぶのです。立って本を読む気になれず、道の反対側にあるマンションや閉じた店の暗いウィンドウを眺めながら、時に寒い風に吹かれ、雨に降られながらバスを待つひと時です。一日のうちで一番意気消沈する時間かもしれません。月曜日はなおさら意気は上がりません。それでもこのひと時に何かを思いつけば貴重な時間となります。決まった時間の流れに身を任せるような日常ですが、自分の中で常に造形的なイメージを探しているのであれば、時と場所を選ばず、イメージの方から自分に向ってやってきてくれることだってあると思います。いつだったか夜明け前のひと時にそんな心的体験をしたことがあるのです。
2009.12.17 Thursday
瀧口流「○○」論は今日で最後です。シリーズにするつもりはなかったのですが、文中に興味関心の高い彫刻家が続いたので、つい一人ひとりを取り上げてしまいました。アルプは抽象的な有機形態を作る彫刻家で、ポピュラーな作家です。その形態は丸彫りにもレリーフにも応用でき、手業を残さない作風です。それはひと目でアルプとわかる独特な雰囲気を持っています。「瀧口修造全集2」の中にこんな文章が掲載されています。「アルプのような特異なスタイルをもった作家に、個人性を没却するということは、非常に矛盾したように聞こえるが、個人的な誇示のない、人間性を直接にあらわす宇宙的芸術こそ彼の理想とする芸術なのであって、いいかえれば、手工芸的な個人性の効果を否定しても、独創的なデザインが可能であるという造形の一原理を暗示していることになる。この点では、アルプとはまったく性格を異にするモンドリアンも同じ立場に立っているといえるだろう。アルプがしばしば共同制作をしたのもその証拠になるかもしれない。〜以下略〜」つまりアルプは個人性を排除して、普遍的で独特なカタチに到達したと言えるかもしれません。曲面で被われたユーモラスとも言える生命体。そんなアルプ的発想から発展した芸術家はかなりいるのではないかと思います。
2009.12.16 Wednesday
「ノグチは西欧の環境で生活しながらも、たえず東洋に眼を向けている。数回にわたる東洋遍歴のみならず、彼の血液が力づよく誘うのであろう。が私たちの眼からは、それほど彼のある作品は東洋的と感じられないかも知れない。事実ノグチは東洋趣味といった気取りを嫌っているのであって、彼のような生い立ちの作家が、一種のジャポニズムによって商業主義の波に乗ることは易々たることであったろうが、彼はそれをつとめて避けてきたようである。芸術は国際語であるという前提のもとに彼は立っている。しかもその彼が東洋の芸術から彫刻の本質的なものを積極的に摂取しようとしてきたのである。これはやはり芸術家ノグチの自由な知性とめぐまれた特権でなければならない。こうしてすくなくとも西欧人には、東洋人の血を享けたノグチの直感的把握からにじみでる「詩」に東洋が感じられるのではなかろうか。〜以下略〜」長い引用になりましたが、「瀧口修造全集2」に収められているイサム・ノグチに関する論考の一部です。ノグチはこのブログの3年間の中でも一番多く扱った作家ではないかと思います。自分の「テーブル彫刻」や「場の造形」の原型はノグチにあり、学生時代から意識してきた作家なのです。自分はノグチに関する書籍は海外のものを含めてほとんど持っていると自負してもいいと思います。瀧口流のノグチ論も、正直自分にとっては新たな切り口ではなかったと感じました。
2009.12.15 Tuesday
アレキサンダー・コルダーは空中に浮遊するモビルで世に知られた彫刻家です。自分の学生時代に見た美術雑誌に、コルダーの作業場の写真が掲載されていて、そこはまるで町工場のようなところでした。鉄の部品が所狭しと置かれている中、町工場の親父という風情のコルダーが作業している写真は、親しみやすく印象的でもありました。「瀧口修造全集2」にあるコルダーに関する記述で「彼のモビルはためらったり、やり損なったりする。それは物質と生命との中間の不思議な存在なのである。時にはその動作に何か意味ありげに見えるかと思うと、度忘れしたように停止して、途方にくれたりする。彼の彫刻は何ものをも暗示しない。彼は現実に生きた動きをつくりだすのである。それは自分自身しか意味しない。彼らは存在する、ただそれだけである、というように(サルトルは)いっている。いかにもサルトルらしい見方であるが、またモビルの面目が躍如としている。〜以下略〜」という箇所に注目しました。コルダーのモビルは、白い壁のある室内空間に天井から吊るされて、その先端の板に鮮やかな色彩が施されている印象が常にあるので、明るい開放的な雰囲気が漂います。この最小の面積をもつ造形が、最大の空間を演出する世界は、追従を許さない画期的なものだと思っています。
2009.12.14 Monday
愛読している「瀧口修造全集2」の興味関心のある箇所は、やはり彫刻家を扱っている章です。「ムーアにとって、何につけ自然のありかた、とくに生長の仕方に親しむということが必要なのである。自然の深い知識から、生きたリズムと自然の形の組織とをもった理想形態を創るのである。ただその場合に一つの困難がある。というのは自然の生長形態は多く不安定な物質で被われているので、人体の筋肉にしても、柔軟な植物にしても、そのまま金属や石に移すことはできない。そこで、ムーアは自然形態のなかに、堅い、緩慢な成長の型を求めて、彫刻しようとする材料にふさわしい形を見いだすのである。〜以下略〜」ムーアが従来の具象でもなく、抽象でもなく、始原的なカタチを彫っているのを、自分は学生時代からずっと注目していました。自然な状態が、ムーアという作家を通過すると、自然なまま骨格や生命を与えられて、自然の状態に再構築される不思議さに、幾度となく感銘を受けてきました。その大地から湧き上がったような形態に雄大なスケールを感じ、またムーアが塊と同じと考えている穴の存在にも注目して、内なる空間の意識を持ったのもムーアの彫刻を通してでした。瀧口流評論によって、ムーアの彫刻に夢中になった頃を思い出しました。