2008.11.14 Friday
20代の頃は大学の彫刻科に通っていて、粘土による具象作品を作っていました。いわゆる習作です。恩師の池田宗弘先生がギャラリーせいほうで個展をやっていて、そこで手伝いをしてギャラリーに通い始めました。そこで見た陶彫作品は辻晋堂、速水史朗。それに美術館で見たイサムノグチ。ずっと後になって八木一夫、藤田昭子。ウィーンに住んでいた頃に見たフンデルトワッサーの造形的な壺や皿。そんな作家たちに自分は何かを与えられたと思っています。土の質感が何ともいえず好きになり、素朴さとモダンが共存しているように感じられました。縄文土器や弥生土器を見に博物館によく出かけることもありました。土器は破損した部分も美しいと思うようになりました。日用品としての器が好きになったのは、さらに後になってからで、彫刻の素材から陶芸へと感受する幅が広がっていきました。陶彫はあれからずっと作り続けている自分にとっては最愛の表現技法です。
Yutaka Aihara.com
2008.11.13 Thursday
自分の個展の図録には粘土を石膏に変えて保存するのではなく、粘土のまま保存できる技法として陶彫を選んだという主旨を書いています。これは当時から本当に素直な気持ちでそう感じていました。でも陶彫というものを見たことがなければそんな発想には至りません。自分が現在個展をやらせていただいているギャラリーせいほうに、自分は20代の頃から通っていて、そこで陶彫作品に出会えたことが、陶彫という技法をやってみようとした契機になっています。大学の彫刻科で石膏型取りをしている時も粘土のまま硬化(石化)させられたらいいのにと思っていました。自分が通っていた大学には故井上武吉先生、故若林奮先生、保田春彦先生、それに直接の恩師池田宗弘先生と金属の素材を扱われている方がたくさん勤務されておりました。でも陶彫をやっている人はいなかったのです。振り返れば自分は大学ではなくギャラリーで見た陶彫作品の数々が制作の原点になっていると思います。
2008.11.12 Wednesday
八木一夫のオブジェ焼に関する書物を読むと、そこにちょいちょい辻晋堂という名が出てきます。彫刻家辻晋堂は亡くなられて随分経ちますが、ギャラリーせいほうで個展をやっていた作家でした。自分は学生時代に個展にお邪魔して数々の作品を見ていましたが、ご本人にお会いできる機会はありませんでした。写真でしか見たことのない若かりし頃の木彫によるきりっとした具象作品。研ぎ澄まされた緊張感が漂うのを写真でも感じることができます。自分が目にした辻晋堂の作品は平面性が表に出た陶彫です。それは岩のような壁に穴のあいた扁平なフォルムで「拾得」とか「寒山」というタイトルがついたものでした。ギャラリーせいほうでの晩年の個展に出品されていたのは、ご本人曰く「粘土細工」と称していたもので、かつての木彫の頃の具象とは違う趣の作品でした。「彫刻を捨てた」無心の造形と見るべきか、でも気品を失わない造形が当時の自分にはとても印象的でした。
2008.11.11 Tuesday
先日読み終えた美学出版「終わりきれない近代」の中でオブジェについて触れた文章があります。「オブジェというフランス語は、英語のオブジェクトに相当します。自分から見て前方に投げ出されたものというのが語源。だから、対象、客観、目的、目的語、そして物体という非常に重要な概念が、みんなこの一語で代表されます。〜略〜ところが、オブジェというごく普通のフランス語は、二十世紀の前半に特殊な造形手法を指す言葉としてフランスの美術界で用いられて以来、もともとのオブジェの語義とは少しずれたところで、翻訳不可能な概念を見につけてしまったのです。」(著・峯村敏明)自分も普段何となく使っているオブジェという言葉を思い返してみて、なるほど自分もそんな概念でオブジェを捉えていたのかなと感じました。でも、オブジェという現代美術界にしか通用しない言葉を、自分はあまり好みません。何でもオブジェで通用するというのが自分にはしっくりこないのです。やはり自分は「陶彫」という自分にとってわかりやすい言葉を使っていきたいと思います。
2008.11.10 Monday
表題は樋田豊郎・稲賀繁美編集による故陶芸家八木一夫に関する本です。八木一夫が中心になって活動した「走泥社」や当時オブジェ焼と呼ばれた機能を持たない陶磁器の作品を自分なりに理解してみようと思って、京都に行った際、この本を購入しました。工芸品として扱われていた陶磁器に、立体造形としての意識変革を加えた八木一夫の功績は、自分が大学で彫刻を始めた頃知りました。記念碑的な作品「ザムザ氏の散歩」は革新的な意味合いをもっていることを承知の上で、その愛らしさや軽妙なフォルムに目が奪われます。その他八木一夫の作品にはミロのような絵付けの壺があったり、イサムノグチのような造形があったりして、いずれも洒落た味付けがされていて、前衛という大げさなものを感じさせない、それでも前衛であるのには変わりない雰囲気をもっていると思います。この本を読み終えて、しばらくは自分の世界と照らして、本に書かれたことをヒントにして陶彫のことを考えてみたいと思っています。