Yutaka Aihara.com相原裕ウェブギャラリー

note

  • Tag cloud

  • Archives

  • 今週末が終わり…
    週末が来るたび作業に追われる生活が繰り返されています。心の充実は計り知れないものがありますが、身体の疲労が徐々にたまってきました。昨日今日と杉材を8本彫り、陶土をたたらにして成形し、RECORDも仕上げました。成形した陶土はそのまま家に持ち帰り、明日から夜の時間帯に加飾して仕上げます。明日から金曜までは公務があって、また週末に木彫、陶彫、RECORDの三つ巴の作業が待っています。例年この時期は制作が佳境に入るので、週末の時間は瞬く間に過ぎてしまいます。いつかは余裕ができると信じて10数年こうしてやってきました。暇な時間は一向にやってきませんが、昔に比べると失敗して後戻りすることは少なくなりました。こうしていた方が自分は頑張れるのだろうと思います。また来週末に仕事は持越しです。
    尾形光琳の仕事
    東京国立博物館で開催されている「大琳派展」は、自分にさまざまな課題を投げかけてきました。琳派は尾形光琳の「琳」の字をとっているので尾形光琳を中心とする流派であることがわかります。「琳派」は、その絢爛たる装飾性と意匠の面白さが自分にとっては印象的です。と言うか、ちょうど自分が現在やっている創作過程の心情に琳派が入り込んできたといったところでしょうか。尾形光琳の仕事で注目したのは「紅白梅図」や「燕子花図」のような評価が決まっているものではなく小袖等の光琳の意匠、または光琳風を模した図柄の多様性です。今でいうブランドもののように、光琳デザインの金字塔をうちたてた図柄だったようです。今でも雛形本を見ると当時流行の最先端のデザインがよくわかります。現在でも構図が新鮮に感じられ、自分の作品に空間や間の取り方等を取り入れられないか考えているところです。
    本阿弥光悦の仕事
    東京国立博物館で開催されている「大琳派展」で、本阿弥光悦の作品をじっくり味わう機会がありました。書家として知られる光悦ですが、陶芸や蒔絵硯箱等の作品を見るにつけ、光悦が今でいうアートデイレクターのような存在だったと思われます。絵師俵屋宗達を発掘したのも光悦でした。光悦の作品はどれも抜群のセンスをもち、とりわけ今回自分が注目したのは蒔絵による硯箱でした。素材の組み合わせや全体のカタチが斬新に感じました。器というよりオブジェのようで、これは現代でも通じる要素です。図録を読むと光悦は京都のはずれに芸術村(光悦村)を作り、さまざまな職人を集め、ものづくりに専念していたことが書かれていました。羨望を抱きつつ、光悦のものづくりにかけた人生を学んでみたい気がしています。
    「鶴下絵三十六歌仙和歌巻」
    東京国立博物館で開催中の「大琳派展」に俵屋宗達下絵・本阿弥光悦筆による「鶴下絵三十六歌仙和歌巻」が展示されていました。飛翔する鶴の群が金銀泥で描かれ、そこで繰り返し変化する鶴の姿が、自分にはアニメーションのようにも見えました。俵屋宗達の画面構成の新しさは現代にも通じるものがあると思います。そこに本阿弥光悦の三十六歌仙の和歌が配置され、その文字の抑揚が絵画と相まって、何とも美しい世界観が表れていると感じました。平面に表現された書と絵画でありながら、文字の並びに空間を意識させ、さらに背景にある鶴にも奥行きと広がりを感じとりました。本阿弥光悦という人は、ただならぬセンスを持っていて、筆を自在に扱い、さらに空間造形も捉えることができる天才だったように思えます。この2人の才能が交差する作品は一度観るとその場を離れがたい魅力がありました。
    「風神雷神図屏風」を見比べる
    俵屋宗達、尾形光琳、酒井抱一、鈴木其一による「風神雷神図屏風」が並べて展示してあることは今までにないことだと思います。東京上野の国立博物館平成館で開催されている「大琳派展」は絢爛たる作品が並べられ、なかなか見応えのある企画です。「風神雷神図屏風」は楽しく奇怪なモチーフで、余白を大きく取った構成も含めて日本美術の中でも傑作のひとつと言えます。自分は俵屋宗達を見慣れているせいか、尾形光琳や酒井抱一は新しく生々しい感じをもちました。それでも卓抜した筆さばきや配置がそれぞれの風神雷神を際立たせているように思いました。鈴木其一は空間をたっぷりとった近代風の風神雷神に見えました。さらに現代の画家が描いたらどうなるのだろうと思いを巡らせながら、「大琳派展」をじっくり楽しんできました。