Yutaka Aihara.com相原裕ウェブギャラリー

note

  • Tag cloud

  • Archives

  • 9.11追悼
    5年前、たまたま見ていたテレビから信じられない映像が送られてきました。ちょうどその頃、陶彫で都市をテーマにした作品を作っていたので、これはテロの被害を表現したものかとよく聞かれました。以前のブログに書いたように自分は社会的なテーマで作品を作ったことはありません。でも自分が現在生きている世相を無視することはできず、住み難いこの世の中が少しでも心地よいものにしたいと思いながら作品を作っていると言っても過言ではありません。ピカソの「ゲルニカ」や丸木位里・俊の「原爆の図」のように直接的な反戦を掲げることはありませんが、作品に語らせるものは豊かな空間に息吹く生命であったり、またそれに気づかせる装置であったりします。9.11というこの日に思うことは、改めて自分はどう世の中に関わっていくのか、作品を通して答えを見つけたいと思っています。
    残暑を避けて美術館へ
    今日の午前中は作業場で木彫をやっていたのですが、あまりの暑さに途中でやめて、午後は横浜美術館へ出かけました。日本画の多様性を示すグループ展をやっていて、肩肘張らずに観ることができる展示内容でした。サブカルチャーとして漫画文化があります。そうした日常的なサブカルチャーが美術作品として取り上げられることが多くなってきました。楽しく身近で刹那的で、それでも表現としてはインパクトがあるように思います。気楽に表現の垣根を越えていけるキャパの広い美術界であってほしいと自分も願っています。一方で従来の表現もやっている作家がいるというのがいいのです。
    旧ユーゴの画家ジェネラリッチ
    旧ユーゴのヘルビネ村でジェネラリッチさんという売れっ子画家にお会いして、自宅兼ギャラリーで作品を見せていただきながら、趣味の卓球のポーズをして記念写真を撮りました。もう20数年も前のことなので、ご存命かどうか今はわかりません。他の農民画家に比べると表現力があり、もう農業はやらず画家として自立しているように見受けられました。当時の数枚の写真とその時いただいた図録が今も手許にあります。自分が住んでいたウィーンには旧ユーゴの素朴派画家の作品を扱っているギャラリーがあって版画やポスターがかなり売れているようでした。ウィーンの歴史美術館には有名なブリューゲルの絵がたくさんあり、ある意味ではブリューゲルとの共通点も見られ、現代版ブリューゲルともいえるかもしれません。
    旧ユーゴのヘルビネ村
    昔訪れた村の記憶が甦るとブログに書いておきたくなります。先日までルーマニアのあれこれを書いていましたが、今日は旧ユーゴスラビアのヘルビネ村のことを書きます。この村に行くにはたしかザグレブまで鉄道で行き、それからバスで麦畑の中の道を行ったように記憶しています。場所はもう定かではありません。この村にはモダンなギャラリーがあって、文化的にも豊かな雰囲気が漂っていました。旧ユーゴの素朴派といわれる芸術家たちが住む村だったからです。農閑期になるとガラス絵を描いていた農民たちがドイツやフランスの画商の目に留まり、絵の注文が殺到したそうです。家々を訪ねて歩くうち、実際にガラス絵を書いていた女性に出会い、その仕事場を見せていただきました。食事をご馳走になり、とてもいい気持ちになったのを思い出します。
    ルーマニアの小さな村から
    ブログの表題はNHKブックスから出版された紀行文です。みやこうせいさんが書き下ろしたものにイラストを依頼され、数点の見開きイラストを描いた思い出の本です。ルーマニアに出かけていた当時はチャウシェスク政権の共産主義国家で、国境で厳しい荷物検査やらビザ申請が義務付けられていました。秘密警察が我々の行程を追ってくるということもありました。それでも出かけていくのは奥深き山々に点在する村々の生活が、まるで映画の一場面のような美しさをもっていたからです。中世のヨーロッパはきっとこんな生活があったに違いないと思っていました。木の家、木の教会、木の墓地、食器に至るまで木の装飾が施されていて、アートがまさに生活の中に生きていると感じていました。まだ西側諸国の利便さが入り込まないうちに、みやさんは写真を撮り、自分はスケッチにして記憶に留めておきたいと感じていた日々でした。