Yutaka Aihara.com相原裕ウェブギャラリー

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  • 新聞記事より「固有の構築物」
    今日の朝日新聞「折々のことば」に掲載された記事より、その内容を取り上げます。「感情過多なんて、感情の豊かさとは何ら関係ないよ。無関係。 田村隆一」この言葉に著者の鷲田精一氏がコメントを寄せています。「感情の豊かな人は感情的ではない。ヒステリックな感情表現は『感情の貧しさ、卑小さ』を示すにすぎないと、詩人は言う。詩もなまの感情の発露ではない。言葉のリズムや色彩、語と語とのデリケートな関係などによって、人のもやもやした感情を内側から補強した『固有の構築物』だと。詩人の語りを編んだ『言葉なんかおぼえるんじゃなかった』(文・永薗安浩)から。」喜怒哀楽が即座に表に出る人は、実直な感情に左右されがちで、それでその人は自己完結していると私は思っています。あの人は感情に走りがちと周囲に思われている人は、きっと身近に一人や二人はいるのではないでしょうか。その人が豊かな感情表現を持っているとは限らないという意味はどこにあるのでしょうか。素直な感情を発露していることを人に伝えるとしたら、直情型では難しいと私も思います。他者に感情を伝えるとしたら、そこには表現のために必要な計算があります。どんな媒体であれ自己表現を行なう時には、感情が底辺に流れていたとしても、それをどのように表現として昇華していくのか、そのための技巧を駆使して、自分と同じような制作意図と感情を他者に汲み取ってほしいと願うのです。「固有の構築物」とはそういうもので、それを下支えするものが感情の豊かさであろうと思います。ましてや言葉を表現要素としている詩は、「リズムや色彩、語と語とのデリケートな関係など」とコメントに書かれていますが、練りに練って構築していくものなのでしょう。造形美術にしてもそれは同じです。ただし、詩と違うのは造形美術が言葉を媒介しないために、説明がなくても創造行為が成り立つところです。私はそこが気に入って日々制作しているのです。
    「聖母像の到来」読み始める
    今日から「聖母像の到来」(若桑みどり著 青土社)を読み始めました。これは先日まで読んでいた「宗教図像学入門」(中村圭志著 中公新書)に続くもので、つい先日、池袋のジュンク堂書店で購入したものです。宗教を学問として考えると、人々の信仰に纏わる心理状態と、布教という組織的活動が齎す社会的活動が絡み合って、大変深みのある事象が導きだされてきて、私自身の興味関心が尽きません。日本にキリスト教がどのような経路でやってきたのか、そもそもキリスト教の布教戦略とはどんなものだったのか、本書から紐解けることで私自身が得るものは大きいように思えます。本書の序論に主題となる文章がありました。「布教の世界地図を俯瞰すれば、スペイン人入植地のアメリカと、ポルトガル人入植地のアジアとではそれぞれ母国の政策の差異、そして、征服されるべき対象国の文化の差異によってその政策は大きな相違を生んだ。スペイン人が入植した南アメリカの各地では、その土着文化が破壊され、住民は殲滅されるか、奴隷化された。しかし、ポルトガル人が征服の対象としたアジアのうち、中国と日本は、この時期の西欧人の世界認識において、『例外的存在』であった。それは第一に、西欧とはきわめて異質であるが、きわめて高い同等の文化をもっていると西欧が認識したこと。第二に、両国は、ウォーラーステイン(※米の社会学者)によれば、世界システムの『圏外』におかれていたということである。すなわち、16,17世紀の時点においては、両国は、南アメリカや東南アジア諸地域におけるような征服/入植/奴隷売買の対象にならなかったのである。~略~日本には、まず布教の初期には、16世紀半ばから末にかけてローマで形成された対抗宗教改革期固有のマリア像が輸入され、それが模写された。その後、信者と聖堂が増加し、マリア像の需要が大幅に上昇すると、組織的な工房や学校がつくられ、招聘されたイタリア人画家が画工を育成し、聖母像も日本人の手によって量産された。~略~その時かれらは、『仏教』の観音像とみられるものを『聖母像』として崇敬した。旧来キリシタン研究者は、これは、仏教徒となるべく強制された信者らが、カムフラージュのために、既存の仏像を『転用』したのであると解釈してきた。しかし、当時の記録によると、この像は、信者によって真の『聖母マリア像』としての崇敬を受けていたのである。」今回はここまでにします。
    12月になると…
    今日から12月です。例年NOTE(ブログ)に書いているのですが、12月になると私は妙に焦る習慣がついてしまっていて、落ち着かなくなる癖があります。それは教職が長かったせいで、12月は生徒の成績処理や進路相談等を思い出してしまうからです。師走とはよく言ったもので、教職の頃は多忙なうちに大晦日を迎えていました。現在は彫刻家一本なので、とりわけ多忙なことはなく、創作活動のことを考えていれば良いと自分に言い聞かせています。今月は陶彫制作のゴールがある程度見えてきたので、壁に掛けるレリーフ作品に取りかかろうと考えています。今年の7月個展に出品した「痕跡A・B」のコンセプトを発展させ、もう少しサイズをコンパクトにして、4点の連作にしようと思っています。4点のパネルを作るための板材は既に用意しました。素材としては杉板に彫り込みを入れて炭化させていくのですが、その構成を「痕跡A・B」より密にしていこうとしています。何層にも重なった板材が見る角度によって構成を変えていくレリーフを仕組んで、また壁に掛けることによって照明の影が落ちる効果も利用して、重層な空間を演出したいと考えています。そもそも私たちが見えている周囲の立体は、視点となる一方向からしか見えていないわけで、それを立体として頭で認識しているに過ぎません。立体はすべてが見通せているわけではなく、見えていない立体の反対側は頭で予想認識をしているだけだと私は考えています。そうした認識を裏切るようなレリーフ作品を作っていくのが、今回の私の新作の狙いとするところです。実際の立体作品を不完全なカタチで提示するのが、陶彫と板材による新作とすれば、壁に掛けるレリーフ作品は、立体の見え方が一方向に過ぎない不完全なものだという提示です。そうした空間提示とは別に、素材の変容も床置きや壁掛けの両作品に盛り込んでいます。それは別の機会に述べていきたいと思っています。今月は壁掛け作品を中心に据えて、制作を推し進めていくつもりです。
    週末 寒くなった11月が終わる
    日曜日になりました。日曜日は創作活動についてNOTE(ブログ)を書いています。今日は11月の最終日なので、創作活動を踏まえながら今月を振り返っていきたいと思います。今月は寒くなりました。例年ならこの寒さが普通ですが、今年は夏の酷暑が長く続き、秋は足早に過ぎていったため、急に寒くなった感じがします。この季節感についていかないと身体がおかしくなりそうで、日々慎重にならざるを得ません。今月の新作の状況は陶彫制作の乾燥が進み、さらに全陶彫作品の窯入れも終わりました。今月は30日間あって、工房には30日間通いました。そのうち5日間は窯入れをしていたため、その日は工房の電気が使えず、朝早く窯の温度確認に来ただけでした。陶彫作品に設置する板材加工も刳り貫き作業が終わっていて、昨日から板材に砂マチエールを貼る作業に入りました。小品も4点出来ていて、それぞれに付ける板材加工も終わっています。これも砂マチエールの作業を始める段階になっています。漸く立体作品は完成までの見通しが立ってきました。さて、今月の鑑賞ですが、美術鑑賞として「日本画聖地巡礼2025」展(山種美術館)、教え子が学んでいる多摩美術大学の「芸祭」にも行ってきました。今月は演劇鑑賞もありました。「マイクロバスと安定」(本多劇場)は高校の同級生で俳優の竹中直人君が主役をやっているので観てきたのでした。美術関係のことで言えば、銀座のギャラリーせいほうの閉廊パーティーにも行ってきました。ギャラリーではひとつの時代が終わった感じがして、私自身は歩みを止めて制作を振り返ってみる機会を持ちましたが、同級生の俳優が劇場で頑張っている様子を見て、私も立ち止まってはいられないと思いを新たにしたのでした。読書は宗教図像学に関する書籍を読んでいました。もう少し宗教に纏わることが知りたくなって、池袋のジュンク堂書店に行って何冊か書籍を購入してきました。来月はそうした書籍を読んでいこうと思います。
    週末 板材完了&演劇鑑賞の1週間
    週末になりました。定番として土曜日は今週の振り返りを行ないます。今週も毎日工房に通っていました。今週はずっとやっていた板材の刳り貫き作業が完了しました。板材は6枚あって、それぞれ刳り貫いた文様が異なります。これを陶彫で作った橋桁に設置して、6点を円形に向かい合わせるのが新作の全体構成になります。6枚の板材はそれぞれが繋がっているようで、中央には欠損した空間があり、またそれぞれが独立しているようにも見せています。新作で意図したところはその繋がらない部分にあります。板材加工はこれで終わりではなく、次の段階として砂マチエールを貼り、そこに油絵の具を染み込ませ、またドリッピングで仕上げていきます。さて、水曜日に地域の方から連絡があり、近隣にある大規模な団地の街路樹を伐採する旨を伝えてきました。街路樹は古木になった桜で、倒木の危険があるため、自治会として伐採を決めていたのでした。工房に出入りしている後輩の木彫家がその桜を所望していたので、業者が桜の太い部分を野外工房に運んできました。彼によって街路樹が彫刻作品に生まれ変わることで再利用ができるなぁと思っています。さて、今週の印象的なことは木曜日にやってきました。私には久しぶりになる演劇鑑賞の機会がありました。高校の同級生である俳優の竹中直人君が出演する芝居が東京下北沢の本多劇場で公演されているので、私は一人で鑑賞に行ってきました。竹中君を通してチケットが1枚しか取れなかったので、一人で行ったのでしたが、受付でもう一人の同級生に会い、懐かしさがいっぱいになりました。芝居が跳ねた後、二人で竹中君に会って観劇の興奮を直接伝えました。彼は映画監督やテレビ出演もやっていますが、彼の本領は生の芝居にあるのではないかと私は思っています。リアルな舞台空間の中で、やり直しがきかない台詞回しを余裕と緊張をもって見事にやり遂げるプロ根性には関心するしかありません。芝居の前はいつも緊張すると、図録に彼は書いていましたが、そんなことは微塵も感じさせない彼の堂々とした立ち居振る舞いは、役者の模範を見るような思いがしています。竹中君のおかげで今週は心地よい気分にさせていただきました。