2025.10.14 Tuesday
「廃墟論」(クリストファー・ウッドワード著 森夏樹訳 青土社)の5つ目の章は「模範とすべきはかなさ」という題がついています。「キリスト教では個人の死が、最後の審判の日に万人が復活するためには、ぜひとも必要なプレリュード(前奏曲)とされていた。廃墟はこのプロセスの完全なメタファー(隠喩)だった。つまり廃墟は皮膚の下のしゃれこうべだという。建造物が壮大であればあるほど、その骸骨はいっそう効果的に人間の誇りの虚しさを提示する。ローマの廃墟は巨大な規模で示された警告=メメント・モリ(〔なんじは死を覚悟せよ〕)なのである。1462年に教皇ピウス二世が、古代のモニュメントを破壊から保護する法令をはじめて導入したとき、彼がそれを発令した理由のひとつは、『模範とすべきはかなさ』を示す記念物の光景をなんとかして保存したいと思ったからだった。~略~衰亡や崩壊はすべての人間の身にかならず起こることだった。これは別の言葉でいえば、最後の審判のラッパが『時』の終わりを告げるとき、人間の作った建造物はことごとく崩壊するということである。農夫の草ぶきの小屋から皇帝の光輝くドームまで、崩壊を逃れる術はない。『裁きの日』の恐ろしい光景は、崩れ落ちた円柱やオベリスクなどによって視覚化されている。」カタチあるものはすべて壊れるという諺通り、はかなく砕け散った物質を見るにつけ、芸術性豊かな建築が崩れ落ちた光景を見ると、同じ領域に入る彫刻も、同じ運命にあると私は思っています。その廃墟を鑑賞の対象とした詩人は、人間の感性の広がりを認めたことで、本書が成り立つ要因になっていると私は考えます。「いち早く新しい『虚しさ』の材料を見つけ出したのは詩人だった。その材料とは800に及ぶ中世の修道院の廃墟である。それはヘンリー八世によって差し押えられ、掠奪され、売却されたものだった。寒々として寂しげな石の骸骨が、あたかも恐竜の骨のように田舎や町のあちらこちらに散在していた。そこを通り過ぎる人たちにとって、廃墟はあまりに生々しく、むき出しで、痛々しいまでに自らを語っているように見えた。それは現代でいえば、空爆によって崩れた建物の残骸を見るようなものだ。したがって、廃墟を最初に称賛した人々は、廃墟が目に訴えかけてくるより、むしろ魂に訴えかけてくるのを感じた。」今回はここまでにします。
2025.10.13 Monday
例年この時期は国立新美術館で「自由美術展」が開催されていて、師匠の彫刻家池田宗弘先生が出品しています。今年は案内状が先生から送られてこないので、心配をしておりました。今日が同展の最終日なので、昨日先生に電話をしたら、お元気な声が聞けて私は安心しました。先生は86歳という高齢なので、何があってもおかしくないと思っていました。身体が痛い日があって作業は難儀していると、先生にしたら珍しく弱音を吐いていましたが、真鍮直付けという技法は溶接が多く、同じ姿勢で作業をしなければならないため、身体への負担は相当のものだろうと察しました。今回は締め切りギリギリまで制作をして、なお未完成で搬入をしてしまったようで、数十年間も同展に出品された先生の作品で、未完成の作品を私は初めて見ました。他の作家から鋳造と言われていた作品が真鍮直付けだったことが、図らずも露呈してしまった形になりましたが、独特な制作技法を持つ先生の個性が際立つ結果になったわけです。昼頃、同展の会場にいたら池田先生が現れました。長野県の聖山高原から東京の六本木に、先生は搬出作業にやってきたのですが、彫刻出品者の控室に案内されて、私は久しぶりに先生と積もる話が出来ました。先生の制作意欲は衰え知らずで、今回未完成の作品「修道士と悪魔」を近いうちに完成させて、どこかで発表をしたいとおっしゃっていました。先生は以前住まわれていた東京秋津の工房兼住居を売り払って、現在は長野県だけで工房を一本化したため、気持ちは随分楽になったようです。先生が奥様を亡くされて、たった一人で長野県の山奥に暮らしている生活を、私は時折思い返しては、高村光太郎状態の池田先生にとって孤独に悩まされることはないのだろうかと思うことがありますが、創作活動がそれを救っているように思われます。私も工房にいて作業をしている時は孤独を感じず、この状態があらゆる生活面でも続いているのだろうとイメージしています。今日は予定を変更して国立新美術館まで出向いて、池田先生にお会いできたことを嬉しく思いました。
2025.10.12 Sunday
日曜日になりました。日曜日は創作活動についてNOTE(ブログ)を書いています。今回取り上げる内容は雛型と小品についてです。先週から新作の陶彫小品を作り始めていて、自分としては集中しながら、制作はいい具合に進んでいるなぁと思っています。小品はギャラリーで展示する際に彫刻用の台に乗せるものという意識で作っています。私は個展に数点の小品を出していて、「球体都市」や「陶紋」という題名をつけて、シリーズにして通し番号を振っています。通常は大きな陶彫部品を組み合わせた集合彫刻を、床置きにして出品していますが、同時に小品も欠かさず展示しているのです。小品と言えども片手間で作れるはずもなく、通常の作品と同じくらい気持ちを込めていきます。雛型は通常の作品をそのまま小さくして作るもので、実験的な意味合いが強くなります。私は過去にあまり雛型を作っていませんが、新しい試みをする時に、その構成が力学的に大丈夫か、また形態の角度を求めたり、作品が立体として成り立たせるために雛型を作ってみるのです。それは小品のように隅々まで作品化を図るものではなく、陶土ではなく紙で作る場合もあり得ます。しかしながら、雛型と小品の区別がつかない作品も存在します。当初は雛型として作っていたものが、小品としての面白さが出てきて、敢えて陶土によって作り直したものもあります。雛型は自分の納得を得るためのメモ程度に考えていたものが、これを人に見せてもいいのではないかと思い直し、小品として作り上げてしまう例です。また、こんな一例もありました。名のある抽象彫刻家の回顧展で、雛型ばかりを集めた一角があって、きっとそれは作家が発表するつもりはなかったものを、展覧会の一部に展示したものでした。私はそれに大変興味関心を持ちました。作家の内面を覗き込んだような気になって、抽象彫刻を作る過程の思考回路が分かる展示だったからです。雛型と小品は、作家によってそれぞれ異なった見解があると思います。制作の背景を探ってみるのも展覧会鑑賞の醍醐味かもしれません。
2025.10.11 Saturday
少し前までは酷暑が続き、秋風が立つのはいつ頃なのか待ちわびていましたが、漸く今週の朝晩は涼しくなってきました。工房へ行く時は上着を着ていますが、作業中は上着を脱ぎます。作業時間も従来の時間に戻し、朝は9時から夕方は3時まで作業をすることにしました。大型扇風機も稼働することが少なくなりました。やっと創作活動に適した季節が到来したことを喜んでいます。今週はどこにも行かず、毎日工房に通って陶彫制作に明け暮れていました。気候のおかげかもしれませんが、ふとしたはずみで陶彫を成形したり、彫り込み加飾を施す自分の手元しか見えない時間帯があり、過ぎていく時間も周囲の空間もまったく目に入らない集中した状態になったこともありました。心理学で言うフロー状態なのかもしれず、これがやってくると私は忽ち満足を覚え、また嬉しくもなります。創作活動はイライラしたり、気持ちが不安定になる時がありますが、逆に心地よく作業が進んでいく時もあり、それら全てが創作活動なのだと思っています。今週は小さな陶彫作品を4点作っていました。現在作っている新作は大きめで、陶彫部品と厚板材を組み合わせたものになります。その実験として小さな作品を作っていましたが、これは雛型ではありません。私は雛型をどのように考えているか、それはいずれ別稿を起こそうと思います。私は最近の小品には「陶紋」という題名をつけて、個展には通し番号をつけて展示していましたが、今回作っている作品は陶彫だけではなく、板材を組み合わせようとしているので、題名を別に考えるつもりです。小品と言えどもサイスが違うだけで、手間がかかるのは同じです。制作工程も同じで、焼成をしないうちは完成品とは呼べないのです。ただし、ひと窯に4点全部入れられるのが利点だろうと思います。
2025.10.10 Friday
現在読んでいる「廃墟論」(クリストファー・ウッドワード著 森夏樹訳 青土社)は、廃墟に関して建築史や土木史を振り返って考古学的な論考を行なうものではなく、現在残存している廃墟に関する状況を見て、それを文学的、あるいは絵画的な情緒で綴っていて、時に著者の感覚的な捉えを理解しなければならないと私は思っています。まだ本書を半分しか読んでいないのですが、これは所謂学術書の類ではないと私は判断しています。昨日、NOTE(ブログ)にアップした「傘も差さずにエフェソスで」という章では、私も20代最後に行ったことがあるトルコのエフェソスでの散策を思い出しましたが、著者はそのエフェソスの考古学的価値を確かめることはなく、眼に映る風景の一場面として扱っていました。そこから派生したさまざまな廃墟に関する著者なりの考察が続いていましたが、古代ローマを廃墟論の中心に据えることが多く、暴君が建造した強固な浴場も、そのうち石と石の間に植物が入り込んで、次第に石造のカタチを保てなくなるというものでした。人間が作るものには限界があり、時間が経てば自然の中に取り込まれてしまうのを、やはり自然が勝利する一歩手前で、人工物と自然物が鬩ぎ合う境界が廃墟なのだろうと、私は著者の文章から感じ取りました。廃墟が齎すものは、詩的内面を求めるとすれば、それは文学であり、芸術なのですが、最近では外見として恰好な観光資源にもなっています。廃墟が美しいと感じる心はどこからくるものでしょうか。完璧なカタチであったものが、幾星霜を経て所々欠損してしまい、それをそのまま愛でる心が人間のどこかにあるのでしょうか。私は日本人で亡父が造園をやっていたので、ヨーロッパで見た整備された幾何学的な庭園に、自然を支配する権威的な力を感じても、美しいと感じることはできませんでした。自然を再現する日本庭園の方が私には合っていたのでした。それは人工物と自然物が鬩ぎ合うものではなく、自然に包まれていくことを見通した美の在処でした。そんなことも考えつつ「廃墟論」を読んでいますが、著者がいかにもイギリス人だなぁと思うところもあります。