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  • 「廃墟論」読み始める
    「廃墟論」(クリストファー・ウッドワード著 森夏樹訳 青土社)を読み始めました。私は本書をいつ購入したものか忘れてしまって、自宅の書棚にあったものを手に取りました。確か大手の書店に行ったとき、何冊も購入した際にそこに入っていた書籍であろうことは朧気に覚えています。私のシリーズ化した立体作品が、ギリシャやトルコ沿岸に広がる遺跡をイメージの源泉にしているので、まさに廃墟をテーマにしていると言っても過言ではありません。荒廃と追想に魅せられた人は、きっと私以外にも多くいて、それが文学や映像作品にも現れているのではないかと察していますが、どうでしょうか。私は嘗て「廃墟の美学」(谷川渥著 集英社新書)を読んでいます。「廃墟の美学」は、どうやら初版だったようで2003年に出版されています。「西欧的なものと日本的な『うつろひ』、『滅び』の感性、いかにも抒情的な無常感とでもいうべきものとのひそかな結びつきがあった。『廃墟』は、それがロマン派的な感性を通して表象化されるとき、日本の『伝統的』美意識と結びつきやすいのである。美の体験は瞬間的なものであるとして、その垂直的な崩落を説くベッカー(※米国の宗教学者)の哲学的議論も、美の水平的な衰亡に対する無常の意識と苦もなくつなげられてしまう。」( 「廃墟の美学」はじめに  より抜粋)この書籍によって私は18世紀イタリアの版画家ピラネージを知り、東京町田にある版画専門の美術館でピラネージの銅版画を堪能しました。とりわけ牢獄を描いた銅版画が私の心に刺さりました。私は自らのイメージを育成発展させるために、当時旅した遺跡の画像や記憶だけでなく、他の芸術家の作品世界や本書のような書籍を通して、イメージの具現化を図っているのです。とりわけ日本人の感覚には「廃墟の美学」の記述にある通り、「滅び」の美学があると認識しています。私も左右対称のデザインを好まず、どこかが綻びているような非対称のデザインに落ち着きを感じます。そんなこともあって、「廃墟論」をじっくり読んでいこうと思います。
    「芸術家列伝」読後感
    「芸術家列伝1・2・3」(ジョルジョ・ヴァザーリ著 田中英道・森雅彦訳)を全て読み終えた総括として、このNOTE(ブログ)を書いています。20代の頃、私はオーストリアに住んでいて、そこを起点にヨーロッパ各地に旅行に出ていました。イタリアへは幾度となく出かけてルネサンス美術を堪能していましたが、ラファエㇽロ、ダ・ヴィンチ、ミケランジェロの三大巨匠については多少の知識がありましたが、当時は勉強不足だったので、もう少し多くの芸術家たちを深掘りすれば良かったと思える場面がありました。国際的に知名度のある美術館にはイギリスと北欧を除いて、全て回ったつもりが、多くの情報量に圧し潰されそうにもなりました。もし再訪するなら、自分なりのテーマを決めていきたいと考えています。今回「芸術家列伝」を読んだので、やはり関心はルネサンス美術で、西洋美術の図法的論理としての完成があった一方、古代ギリシャ美術の復興を意味するルネサンスの意味通り、バランスのとれた人体の美しさを充分味わいたいと考えています。そこからマニエリスムやバロックが登場して、19世紀に至るまで西洋美術の確固たる伝統が続いていたのでした。私は20代でヨーロッパに到着した早々、そうした西洋美術の潮流を浴びて、自分との感性の違いを認識し、時に辟易してしまい、とてもじゃないけれど、西洋美術を自分の中に取り込むことは不可能だと感じました。ルネサンス美術は宗教の解釈でもあり、キリスト教に傾倒していない自分は、神のために描くことは自分の本望ではないと思ったのでした。ただし、美術として宗教性を離れて鑑賞することは可能で、前述した三大巨匠を初め、ジョットやマザッチョ、ピエロ・デラ・フランチェスカ、ボッティチェリなどをじっくり時間をかけて美的解釈を試みたかったと思っています。あの頃は学生時代に教科書で見た作品の本物に触れた程度だったことで、雑駁な鑑賞をしてしまい、今も残念な思いが頭を過ります。鑑賞にはかなり知識が必要だと分かり、それがないと面白さは半減します。美術館に行く時、私はその展覧会について事前に調べて行くようにしていて、今イタリアに旅立ったとすれば、長く滞在をしてしまうことになりそうです。ルネサンス期に書かれた「芸術家列伝」はその後の研究分析があったとしても、私には大きな足跡を残した書籍だったことに疑う余地はありません。
    映画「私たちが光と想うすべて」雑感
    今日は工房での陶彫制作を午前中で切り上げて、家内と横浜の中心部にあるミニシアターに出かけました。私がミニシアターに行くのは久しぶりで、万人が楽しめるものではない個性派映画を扱うミニシアターを、若い頃から私は度々訪れていました。今日観た映画はインドを舞台にした「私たちが光と想うすべて」で昨年のカンヌ国際映画祭でグランプリを受賞した作品です。本作はアジア特有の街のざわめきを背景に、出稼ぎ都市で生きている看護師たちの日常を描いていて、その微細な人との関わりで物語が進行していきました。図録の解説から骨子の部分を拾います。「オープニングの画面を見たとき、ドキュメンタリーかと思った。~略~主人公は人というより街。そこにひしめく、人、人、人。喧騒と雑踏と、色と匂い。インドはカーストと階級の格差の大きい社会だ。本作にカーストは出てこないが、階級は大きく前景化する。~略~ムンバイの病院で看護師を務めるふたりの女性、年上のプラバと若いアヌは姉妹のように部屋をシェアしている。プラバは結婚しているが、夫はドイツに出稼ぎに行ったまま、音信が絶えた。独身のアヌは、異教徒のムスリム青年と恋をしているが、親に反対されることを恐れている。~略~静謐な画面、年配の俳優の抑制された演技、都市や地方のリアルをそのまま切りとったような背景、劇的な展開のないストーリー、解決のないエンディング…本作は欧米の実験的なニュー・シネマの影響を受けた気配がする。」(上野千鶴子著)本作は明らかに娯楽作品ではなく、インドの現実社会を垣間見せた社会性のあるドラマだと感じました。アクションと舞踏で荒唐無稽なインド映画とは対照的な位置にある詩情たっぷりな展開に、インドならではの情緒も感じました。このまわりくどい展開が、同伴した家内はやや苦手だったらしく、私も納得のいかない部分もありましたが、クオリティの高い映画には間違いがなく、見てよかったという感想を持ちました。
    「ヴァザーリと二大巨匠」について
    「芸術家列伝3」(ジョルジョ・ヴァザーリ著 田中英道・森雅彦訳)を読み終えました。とりわけ「芸術家列伝3」はレオナルド・ダ・ヴィンチとミケランジェロの二大巨匠のみを取り上げており、その中でもヴァザーリと密接に関わったミケランジェロの記述が圧倒的な頁数を占めていました。本書の最後には翻訳者である田中英道氏によるヴァザーリ論がありました。「ヴァザーリは絵画と美術家をどのように、人間の精神の表現ー美術史として見ていたのか。まずそれは文学とも思想とも異なる、線、形、色彩、という視覚的な表現の自立性を見ることであった。決して画家の生涯を、文学的にたどれば、画家伝となるという『列伝体』の著述のことではない。それは彼が言う、『ディゼーニョ』(普遍性・全体性)の見方のことである。ほとんど、このデッサンの良し悪しで、芸術家の才能、価値が決まってくる、という美術批評の原点のことである。見るものもその線の質そのものを見分ける眼がなければ、美術史などは成り立たない。それは絵画・彫刻・建築の基本となるものであった。彼は『ディゼーニョ』を、単に技術的な腕前である以上に、精神的領域にある表現であり、その芸術家の形而上学的原理に基づいている、と見ていた。つまり美術の本質そのものとして、である。」ここでミケランジェロの制作について、ヴァザーリがどの程度理解していたかに話が及びます。「周知のことだが、1980年から93年にかけて、システィーナ礼拝堂のミケランジェロのフレスコ天井画が、ここ500年ではじめて大がかりに修復、洗浄された。日本の放送会社が資金を出して行われたこともあって、私たち日本人研究者グループが、その調査を行うことができた。」そこでヴァザーリの著作との内容的な矛盾が発見されています。またダ・ヴィンチの「モナ・リザ」についてもこんな記述がありました。「確かに、レオナルドが、この肖像画をフィレンツェで描いているとき、まだヴァザーリは生まれていなかったし(1511年生まれ)、その図は、レオナルドがフランスにまで持って行って1519年に死亡した後は、ずっとフランスにあったから、そこまで旅しない限り、見ることは出来なかったのである。従って、この記述は、すべて想像か、または何らかのコピー図を見て書いたか、どちらかである。」そこで「芸術家列伝」についての記述です。「『近代』になって、視覚芸術に関する、文字で書かれた記録の研究が発達し、それが他の考察を駆逐し始めたのである。そこに文字による記録が、絵画の視覚的証拠よりも確実に見える、という事態が現出し、知識人たち、美術史家たちが、それに固執してしまう、と言ってよい。つまり視覚的史料は言葉ほど確実ではない、という『近代』の『科学的?』証拠主義の結果と言えるだろう。それほどヴァザーリの記述は、イタリア美術に対して、第一次史料になってしまったのである。」
    「ミケランジェロ」について・11
    「芸術家列伝3」(ジョルジョ・ヴァザーリ著 田中英道・森雅彦訳)の「ミケランジェロ」について、幾つかに分けて気に留まった箇所をピックアップしていきます。本書はこれが最後になります。「フィレンツェ時の1563年2月17日23時ーローマ時の1564年ー彼はよりよき生へ旅立つべく、息をひきとった。ミケランジェロは芸術の仕事に専念し、いかに困難なものであれすべてを成しとげるのであった。そして自然そのものから、かの造形力のこの上なく卓越した天分に十分かなった技量を得ていた。さらに完璧であろうとして、たえまなく解剖学を学び、骨、筋肉、腱、血管の原理やその結合や、人体の多様な動きを仕草を見出すために、人間の皮を剥いだりした。しかもたんに人間ばかりではなく、動物、殊に彼が好んで飼っていた馬を解剖した。あらゆるものについて、芸術に関わるかぎりはその原理や法則を見出そうとしていたのである。そしてそれを自分の手になる作品で示してみせたので、解剖を専門とする者は何もすることがないほどであった。~略~ミケランジェロが芸術に憑かれる者の常として、孤独を愛したことはだれにも珍しくはうつるまい。芸術はただひとりで思索にふける人間を要求するのである。それで芸術研究に専心しようとする者は、仲間付き合いを避ける必要がある。それらを空想とか異様と考える人は間違っている。よい仕事をしようとする人はあらゆる心配事や煩わしさから遠ざかっている必要があるし、天分は思慮、孤独、快適さを要求するもので、心に過ちがあっては困るからである。とはいえ、それをわきまえつつ、都合のよいときには、彼は多くの偉大な人、学者、才能のある人と交わった。~略~若い頃には仕事に熱心なあまり、わずかのパンと葡萄酒で生活していた。また年老いてからもそれを続けており、礼拝堂の審判図を描いた頃までは、その日の仕事を終えてから、晩にほんのわずかの休息をとった。彼は豊かではあったが、貧しい者のように生活し、どんな友人も彼とは稀にしか食卓を共にしたことがなかった。また彼は、人が何か贈ってくれればその人にいつも恩義を感じるので、逆にだれからの贈物をも望まなかった。こういった質素さが彼をきわめて用心深くさせ、ほとんど眠らないようにもさせたのである。眠れないことがよくあり、夜に起き出して鑿で仕事をしたりした。」ミケランジェロの創作生活を描いた箇所に私は興味津々でした。本章の残りの部分は巨匠に見合った葬儀が何頁にもわたって書かれており、後世に残る存在の大きさが示されていました。