2025.09.09 Tuesday
「芸術家列伝3」(ジョルジョ・ヴァザーリ著 田中英道・森雅彦訳)の「ミケランジェロ」について、幾つかに分けて気に留まった箇所をピックアップしていきます。ミケランジェロの最晩年は本書の著者ヴァザーリと密接であったらしく、本書では詳細な記述があり、私は興味津々になってなかなか先へ読み進むことができません。「毎日鑿をふるって時を過ごせるように、何か大理石材を見つける必要があった。それで前のものとは違うもう一つの、ピエタがすでに荒削りされている、非常に小さい別の大理石片を置いた。さて、建築家ピㇽロ・リゴーリオはパウルス四世に仕え、サン・ピエートロ寺建造に関わるようになっていた。そしてミケランジェロを苦しめ、彼は耄碌したと言いふらすようになった。こうしたことに腹を立てて、彼は進んでフィレンツェに帰ろうとした。だが帰りをぐずぐずしていたので、ヴァザーリは、ミケランジェロが非常に年老いていることは知っていたが、新たに手紙でせきたてた。彼はすでに81歳になっていたのである。この頃彼は習慣のようにヴァザーリに手紙を書いて、さまざまの霊的なソネットを寄せ、自分は人生の終わりにあり、自分のさまざまな考えをどこで保ちつづけたらよいか吟味していると言ってきた。それらを読んでヴァザーリは、彼はすでに人生の24時にあり、死に刻まれた思いしか生まれなくなっていることを知ったのである。~略~こういった苦心を知って、コージモ公はミケランジェロがフィレンツェに戻る約束を免じた。公は自分がミケランジェロの幸福を願っており、この世で他の何よりも重要なサン・ピエートロ寺建造を続けるようにと言い、心を平安にと言ってやった。それでミケランジェロは前述の書簡で、ヴァザーリに、できるかぎりの真心で公に感謝しているむねを伝え、こう書き添えた。『神がこの哀れな身で、お仕えできますようお助けください』。なぜなら、記憶力も頭脳も、彼を他で待つところにすでにあったからである。この書簡の日付は1558年8月であった。このことからミケランジェロは、公を敬愛している自分以上に公が彼の生命や名誉を大事に思ってくれていることを理解した。」今回はここまでにします。
2025.09.08 Monday
「芸術家列伝3」(ジョルジョ・ヴァザーリ著 田中英道・森雅彦訳)の「ミケランジェロ」について、幾つかに分けて気に留まった箇所をピックアップしていきます。この章の後半は本書の著者ヴァザーリとミケランジェロの交流について書かれています。「すでにパウルス三世時代にコージモ公は、ミケランジェロがサン・ロレンツォ寺聖具室を完成すべくフィレンツェに戻るよう説得できるかどうか知るため、トリーボロをローマに派遣していた。しかしミケランジェロは、年をとってもはやきつい仕事はできないと語り、多くの理由をあげて断わり、ローマを離れられないと固辞した。それで、トリーボロは最後にサン・ロレンツォ寺図書館の階段制作を要請した。ミケランジェロはそのための多くの石材を用意させていた。だが模型もなかったし、形に合った確実さといったものもなかった。床面に煉瓦でいくつかのしるしや、その他土製の略図はあったが、適切な最終的な解決案は見出されていなかった。それでトリーボロは公の名前など語りながらいろいろと頼んだのだが、ミケランジェロは覚えていないというほかは何も答えなかった。コージモ公はヴァザーリに、この階段をどんなふうに完成したらいいのか言ってよこすよう、ミケランジェロに手紙を書くむね命じた。おそらくは、ミケランジェロがヴァザーリに抱いていた友情や愛情から、階段を解決に導き、完成させる方策を何か言ってくるにちがいないと思ったからであった。~略~またこの頃、ミケランジェロはヴァザーリにこう書いてきた。ユリウス三世が死に、マルケルスが即位したが、ミケランジェロに敵対する派の連中は、この法王が新たに即位したことから、再び彼を悩ませ始めたというのである。コージモ公はこれを聞きつけ、いたく立腹し、ジョルジョ(ヴァザーリ)に手紙をしたためて、こう伝えさせた。ミケランジェロはローマを離れ、フィレンツェに住むよう戻ってきたほうがよい、公のほうは、彼の計画に基づく建造について、ときおり忠告してもらうほかは何も頼まないし、ミケランジェロのほうは、自ら何もやらないとしても、公から欲しいものを手に入れればよい、というのである。また新たに、コージモ公の個人秘書リオナルド・マリノッツィ氏を通して、公やヴァザーリの書簡が届けられた。だがマルケルスが死に、パウルス四世が即位すると、再び元のようになったので、ミケランジェロは法王の足に口づけをしに行き、多くの申し出を受けた。サン・ピエートロ寺建造の完成が望まれ、またその遂行の義務があるとも思われたので、彼はローマに留まることにした。」今回はここまでにします。
2025.09.07 Sunday
日曜日になりました。日曜日は創作活動についてNOTE(ブログ)を書いています。昨日のNOTE(ブログ)で少し触れましたが、現在作っている陶彫作品は、6点の土台となる陶彫部品が向かい合う構成にしようとしています。6点にはそれぞれ2段目の陶彫部品を積み重ねていく予定です。2段目はまだ全部出来ているわけではありませんが、先週からさらに上に積む3段目の陶彫部品を作ることにしました。この3段目をもって完成形になりますが、私にしてみれば、この3段積みの作品は比較的大きなスケールになります。「発掘シリーズ」の源泉が遺跡となった建造物群からきているので、印象としては建築のような、また橋桁のようなものになります。土台の陶彫部品も2段目も3段目も文様を彫り込んであり、そこに窓のような穴を開けています。これは焼成をするために空気を通り易くした配慮ですが、それが建造物の窓のように見える効果もあるのです。作品の重量も彫刻には大切な要素で、上の段にいくほど軽量にしています。複数の作品で構成する空間造形は、重力との闘いになります。とりわけ私の作品は陶彫によるものなので、軽量にすることには限度があり、また自らの表現にはある程度の厚みが必要になるため、重量のある作品を作ることは初めから決めているのです。ただし、ここまで作っても現時点ではまだ1点も焼成をしていません。つまり、陶彫部品が1点も完成していないわけです。陶彫作品は窯入れをして、高温で焼成することにより、最終的な完成形になります。土練りにしろ、成形にしろ、彫り込み加飾も最終工程である窯入れのためにやってきていて、窯から出されて漸く完成した陶彫作品を眺められることになるのです。この焼成と最終工程は、私の手の及ばないところで窯内にいる炎神によってその完成度が左右されます。そこが作者としては難しいところであり、また面白いところでもあります。これを本当に自分が作ったのかという変容した姿に魅力を感じられるのが陶彫作品の醍醐味でもあるのです。
2025.09.06 Saturday
週末になりました。定番として土曜日は今週の振り返りを行ないます。今週の前半は猛暑が続いていましたが、週半ばに台風が発生し、横浜でもどしゃ降りになりました。やや涼しくなったのですが、今日は台風一過で猛暑が戻ってきました。一体いつになれば涼風が立つのか、蒸し暑い工房での制作は慣れることはありません。今日の土練りで汗びっしょりになりました。台風の合間を縫って先週から続いている出窓修繕工事がほぼ完了しました。2階にあったお洒落な出窓はなくなりましたが、築30年以上の自宅なので、それでも良しとしています。修繕工事の外側の塗装と最終点検が来週に残っていますが、業者さんたちにはしっかりやっていただけたと思っています。陶彫制作では土台となる6点の陶彫部品と、その2段目に積み上げる陶彫部品4点の成形と彫り込み加飾が終わりました。2段目は残り2点を残すのみになっています。3段目に積み上げる陶彫部品も2点やっていますが、中途半端に制作を続けているのは、陶土の手元に残った分量によるもので、分配を判断してやっているのです。というのは私が使う陶土は混合陶土なので、その都度、割合を決めて土練機にかけていて、混合陶土を作るにも時間がかかります。しかも工房内の温度や湿度によって陶土の硬化状態が変わるので、気候による困難さは、陶土を素材にしている以上、条件としてついてまわるものなのです。とくに時間のかかる彫り込み加飾は、全て終わらないうちに陶土の表面が硬くなってしまうので、濡れ雑巾で表面を覆って対応しています。これだけ暑いと急激な乾燥によって罅割れることもあり、仕上がった箇所も水を吹き付けて、場合によってはビニールで保護しています。陶彫は陶芸と違い、無理な形態をしているので、徐々に全体が乾燥していくように配慮しています。それでも罅割れは生じてしまいます。まだ窯入れをしていないので、どの程度の作品が完成に漕ぎつけられるのか分かりませんが、鎧を纏ったような陶彫の完成形を思い描きながら、今週も頑張っていました。
2025.09.05 Friday
「芸術家列伝3」(ジョルジョ・ヴァザーリ著 田中英道・森雅彦訳)の「ミケランジェロ」について、幾つかに分けて気に留まった箇所をピックアップしていきます。今回は建築に関する箇所です。「法王パウルスはボルゴの城塞構築に着手し、この会議に、アントーニオ・ダ・サンガㇽロともども、多くの貴顕たちを招集した。法王はミケランジェロも参加するように望んだ。フィレンツェのサン・ミニアートの丘周辺につくられた城塞が、ミケランジェロによる考案であることを知っていたからである。多くの議論ののち、ミケランジェロは自分の意見を尋ねられた。彼はサンガㇽロや他の多くの人たちと意見を異にすることを素直に述べた。それでサンガㇽロはミケランジェロに、彼の専門は彫刻や絵画であって築城術ではないと言った。ミケランジェロはこれにこう答えた。自分は彫刻や絵画のことはあまり知らない。だが築城術のことは長いこと考えたこともあったし、作った経験もあるのだから、知りもしないサンガㇽロや彼の一族のだれよりもよく知っていると思える、と。そして多くの人を前にして、サンガㇽロがその点で多くの誤りをやったことがあるのを指摘した。」次に本書の著者ヴァザーリが登場します。「法王ユリウス三世はこの年、サン・ピエートロ寺建造に関する法王パウルス三世の教書を認証した。サン・ピエートロ寺建造について、ミケランジェロはまたサンガㇽロ派の連中にひどい悪口を言われたが、法王はそんなことを何も聞こうとしなかった。実際の話、彼はこの建物に生命を吹き込んだのだと、ヴァザーリが法王に教示したのである。さらにミケランジェロの判断を仰がずには計画について何も進めることがないよう、法王に働きかけた。法王はそれを常に守った。彼の忠告を求めずにはジューリア別荘に何も作らなかったし、ベルヴェデーレでもそれに守った。そこには、ベルヴェデーレ中央の主壁龕にかつてブラマンテが制作した、それぞれに八段あって一方が進み登り、他方が内に曲り下る半円形のものに代わって、現在の階段が作られたのである。ミケランジェロがその計画を行ない、胡椒石の欄干を持つ四角形階段を作らせた。今日もそこにあり、非常に美しいものである。ヴァザーリはこの年、フィレンツェで『画家・彫刻家・建築家列伝』の書物を印刷しおえた。彼は生きている者たちの誰の伝記をも書かなかった。年老いた人でも例外ではなかった。ただし、ミケランジェロは例外であった。彼に一冊を献じたところ、彼はたいそう喜んで受け取った。」今回はここまでにします。