2021.10.11 Monday
「なぜ脳はアートがわかるのか」(エリック・R・カンデル著 高橋洋訳 青土社)の「第5章 抽象芸術の誕生と還元主義」をまとめます。「脳科学者が学習や記録を研究するにあたって還元主義を採用し、非常に単純な事例に焦点を絞って視覚プロセスを描写したのと同じように、芸術家は還元主義を用いて、フォルム、線、色、光に着目するようになった。」という冒頭の文章があり、英画家のターナー、仏画家のモネ、露(独で活躍)画家のカンディンスキーを取り上げていました。本書に私の知っている芸術家が登場してきて、私はホッとしているところです。ターナーは海景を描いた具象画から出発し、大気が視覚場面を覆い、圧倒的な情動で自然を表現した画家として知られています。「ターナーは、『模倣という退屈な雑用』から絵画を解放した画家の一人で、相対性理論が発表されるよりかなり以前にそれをなし遂げたのである。彼はこの自立を、『より透明な絵の具を使う』『色彩を駆使して純然たる光を思わせるような揺らぎの効果をかもし出す』など、絵画に新たな方法を導入することで達成した。そしてどちらの技法も、彼の抽象芸術への移行を促進した。」次にモネです。「靄のかかったル・アーブル港の日の出の光景を描く『印象・日の出』は、写実的な描写を行なうのではなく、鑑賞者にその光景に対する主観的感覚を喚起するように意図されたゆったりした筆運びで描かれている。~略~ターナーの絵と同様、モネの絵には抽象への移行は独自の魔力を持つこと、また、抽象芸術は具象芸術より啓発的でありうることを見て取ることができる。」3人目のカンディンスキーは音楽家シェーンベルクより影響を受けたことが書かれていました。「新ウィーン楽派を創設した作曲家としてよく知られるシェーンベルクは、主調音がなく音色や音響が変化するだけの新たな調性概念を導入した。カンディンスキーは、この無調と呼ばれる音楽の革新的な形態を知って衝撃を受けた。そこから、それまでの慣例(古典音楽における主調という概念)を破棄して、より抽象的なアプローチを取れることを学んだのである。~略~抽象画という概念の開拓者であるカンディンスキーは、色彩や記号や象徴によって抽象的なフォルムを表現した最初のアーティストであった。彼は、鑑賞者が、サインやシンボルや色彩を、記憶から呼び起こされたイメージ、観念、できごと、情動に結びつけるということを直感的に認識していたのだ。」今回はここまでにします。
2021.10.10 Sunday
二科会に所属する彫刻家に長谷川聡さんがいます。彼は私の後輩で教職に就きながら木彫をやっていて、まさに以前の私と同じ二足の草鞋生活を現在も送っています。彼は今回の二科展に力作を出品し、記念賞を取りました。彫刻家は自作の写真撮影に力点を置いている人が多く、彼も私も例外ではありません。作品を人に見せるには組立て等の労力を使うため、画像で見せることが得策と思っているのです。彫刻家の中には自分自身で撮影する人もいますが、私はカメラマンにお願いしていて、他者のセンスが入ることによって視点が変わり、自作の中に思わぬ発見があることを大切に考えているのです。私の作品の図録用の写真撮影では彼が毎回手伝いに来てくれました。そのせいかカメラマンに撮影をお願いすることでも、彼は私に共感していて、他者のセンスに作品を委ねるメリットを充分知っているのだろうと思います。撮影場所として相原工房を使わせて欲しいと彼から申し出があり、私は快諾しました。彼の木彫は水の動きを表現していて、渦巻いて噴水し、また上から滴り落ちる水滴が面白いので、とりわけ野外工房での撮影は効果を発揮するだろうと確信していました。やはり周囲の木々の緑と木彫が共鳴して、思った以上に効果を齎せていたと思いました。年齢的にも彼はまだ学校の中心的役割を担っていかざるを得ない人材で、彫刻家との二足の草鞋生活は辛いだろうことは、私が一番知っていますが、今が頑張りどきなのかもしれません。作品も愈々充実してきた感じがあります。私は自分を振り返ると無理を承知で、やりたいことをやりたいだけやってきたわけですが、大病を患わなかったことが唯一の救いです。長谷川さんにもずっと健康であることを祈りたいと思っています。
2021.10.09 Saturday
週末になりました。ここ数日NOTE(ブログ)には脳科学者が著した書籍の内容ばかり書いているので、週末くらいは日中ほとんどの時間を過ごしている工房での様子を綴ってみたいと思います。工房でやることは陶彫制作以外にないので、常に陶土に触れているわけですが、昔から使っているファイル式の小さな手帳に、その日は何時から何時まで工房にいて、何をしていたかを私は書きとめています。今週は毎日朝9時から工房にいましたが、終了時間がまちまちでした。週に3回は近隣のスポーツ施設に出かけて水泳をやっていて、その後は制作具合によって工房に戻ったり、自宅でRECORDを制作していたりして過ごしていました。考えてみれば、教職にいた頃と比べると人と喋ることもなく孤独な時間が多いのですが、陶彫やRECORDを制作していると孤独感はありません。公務員を退く時に教職が懐かしいと思うのではないかと考えたこともあったのですが、今の私にはそれがまったくありません。創作活動の魔力でしょうか、陶土に接していると前後見境がなくなり、精神が集中した状態が続くおかげか、不思議と心は満たされています。時折やってくる寂寥感は自らの創作の行く末を思い悩むことに起因しているので、孤独感とは質量が違います。近代の彫刻家高村光太郎が岩手県の山奥で、粗末な掘立小屋で塑造や木彫をやり続けられたことや、身近な例で言えば師匠の池田宗弘先生が長野県の山奥で真鍮による彫刻を一人でやり続けられていることは、まさに創作活動の魔力と言っても過言ではないと思っています。私などは都心に近い横浜にいるので、気軽に美術館やギャラリーに出かけられるために、個人で自然環境と対峙している諸先輩方に比べれば、中途半端なのかもしれません。私には工房に出入りしている人との繋がりもあります。今日は美大受験生2人が工房に来ていました。通常は日曜日に工房にやってくる2人ですが、明日は別件で工房を使用する用事があるため、受験デッサンを今日にしてもらったのでした。
2021.10.08 Friday
「なぜ脳はアートがわかるのか」(エリック・R・カンデル著 高橋洋訳 青土社)の「第4章 学習と記憶の生物学」をまとめます。「本章はアートにおけるトップダウン処理に寄与している基本的な神経メカニズムについて考察し、還元主義的アプローチの枠組みを用いることでいかにこのメカニズムを説明できるかを見ていく。」という冒頭の文章で、まず遺伝の研究に注がれています。遺伝子の化学的な構成要素がDNAであることを証明し、論考は学習と記憶に対する還元主義的アプローチに入っていきます。「学習とは、世界に関する新たな知識を獲得するメカニズムであり、記憶とはかくして獲得した知識を長く維持する能力である。~略~学習は個人的なものであるにもかかわらず、幅広い文化的意義を持つ。私たちは、学習によって得られた知識を通して、世界や文明について知る。」次に論考は心理学と生物学の融合に至り、「学習や記憶の基盤をなすメカニズムをめぐる問いに答えるためには、脳自体を研究する必要がある。~略~かつては心理学者や精神分析医の専門分野に属すると考えられていた記憶の蓄積の問題は、現代生物学の方法の対象になったのだ。」という文章があり、そこで記憶の蓄積として、「脳は、事実、できごと、人々、場所、物体に関する顕在記憶(宣言的記憶)と、知覚や運動のスキルに関する潜在記憶(非宣言的記憶)という二つの主要なタイプの記憶を形成する能力を持つことが判明した。」とありました。その分析を行うにあたり、実験生物としてアメフラシを用いて、学習形態の一つである心理学で用いるところの古典的条件付けを行ったりしています。脳科学として面白い箇所ではあると思いますが、あえて割愛させていただき、まとめとなる文章を引用いたします。「成長環境やそこから受ける刺激、学習、さらには運動や知覚の行使のあり方は人によってある程度異なっているので、脳の構造も、人によって独自の様態で変更される。人間が互いにわずかに異なる脳を持っているのは、各人各様の経験のゆえである。遺伝子を共有する一卵性双生児でさえ、おのおのの人生経験は異なり、よって互いに異なる脳を持つ結果となる。~略~視覚の連合学習は、記憶の意識的な想起に関与している海馬と相互作用する下側頭皮質で強化される。また芸術作品に描かれた色や顔に対する強い情動反応の基盤も判明している。すなわちそれは、色や顔に関する情報の処理に特化した領域を含む下側頭皮質が、海馬や情動を統制する偏桃体と情報を交換することで生じるのだ。~略~私たちは、脳がいかに芸術の知覚や享受を仲介するのかについて理解し始めたばかりではあるが、抽象芸術に対する私たちの反応が、具象芸術に対する反応とは著しく異なることを知っている。さらには抽象芸術が大々的に成功し得る理由も知っている。イメージをフォルム、線、色、光に還元する抽象芸術は、トップダウン処理、そしてそれゆえ情動、想像力、創造性により強く依存している。」今回はここまでにします。
2021.10.07 Thursday
「なぜ脳はアートがわかるのか」(エリック・R・カンデル著 高橋洋訳 青土社)の「第3章 鑑賞者のシェアの生物学」をまとめます。「実のところ脳は、網膜に投影された二次元イメージから、世界の三次元構造に関する情報を積極的に引き出す。脳の機能の魔術的とも言えるすばらしさは、不完全な情報に基づいて物体を知覚し、しかも照明などの条件が異なっていても同じ物体を同じ物体として認識できる、その能力にある。」というのが本章の導入で、次に論考は視覚システムに移行します。「視覚とは、さまざまなイメージから何が視覚世界のどこに存在するのかを見出すプロセスをいう。このことは、脳が、『何が』に対応するプロセスと『外界のどこに』に対応するプロセスから成る、並行する二つの処理の流れを備えていることを意味する。大脳皮質内に存在するこれら二つの並行処理ストリームは、それぞれ『what経路』『where経路』と呼ばれている。~略~what経路は、一次視覚皮質から脳の底部に近いいくつかの領域に向けて走っている。~略~この情報処理ストリームは、形、色、アイデンティティ、動き、機能などの、物体や顔の性質に関与している。この経路は、肖像画の鑑賞という文脈でとりわけ私たちの興味を引く。~略~where経路は、一次視覚皮質から頭頂近くにある脳領域に向けて走っている。背側経路とも呼ばれているこの経路は、外界における物体の位置を定めるための、運動、奥行き、空間情報の処理に関与している。」この2つの経路は3つのタイプの視覚処理を実行していて、低次の処理、中間レベルの処理、高次の処理に分かれているようです。そのうち高次の視覚処理に関してこんな文章があります。「この情報がwhat経路の最高次の段階に到達すると、トップダウン処理が生じる。つまり脳は、注意、学習、あるいはこれまで見てきたこと、理解してきたことすべての記憶などの認知プロセスを動員して、情報を解釈しようと試みるのだ。」次に脳が作用する顔処理についての文章です。「社会的動物としての私たちは、自分の考えや計画ばかりか、情報も交換し合う必要がある。そして顔を用いてそれを行なっている。私たちはたいてい、限られた表情を通じて自分の情動を伝える。かくして人は、魅惑的なほほ笑みを浮かべて他者を引きつけ、怖い顔をして他者を遠ざけることができる。~略~何が顔を特別なものにしているのか?高性能のコンピューターでさえ、顔認識はきわめて困難であるにもかかわらず、たった二、三歳の乳幼児が、2000の異なる顔を識別するまでに学習することができる。もう一つ例をあげると、私たちは単純な線画からレンブラントの自画像をそれとして容易に認識することができる。」最後にこんな文章を拾っておきます。「脳がいかに外界の表象を構築しているのかをさらに深く探究する脳画像研究によって、物体の材質に関する視覚情報の脳によるコード化は、その物体を見ているあいだ徐々に変化することが明らかにされている。絵や物体を最初に見た瞬間には、脳は視覚情報だけを処理する。それからすぐ、他の感覚によって処理された情報が加えられ、脳の高次領域でその物体に対応するマルチ感覚の表象が形成される。~略~複数の感覚器官から入力された情報を結びつける作用は、脳によるアートの経験において必須の役割を果たしているのだ。」今回はここまでにします。