2021.10.26 Tuesday
「なぜ脳はアートがわかるのか」(エリック・R・カンデル著 高橋洋訳 青土社)の「第12章 具象芸術への還元主義の影響」をまとめます。本書は前章まで主に抽象芸術について論じてきましたが、それら還元主義の知見に基づく新たな潮流が登場してきます。本書で取り上げている画家はアレックス・カッツで、具象芸術や肖像画を制作し始めていました。「還元主義者の具象芸術への回帰という第一の流れは、ニューヨーク派と親しく、単色の背景を用いて解体されたシンプルな肖像画を描くという技法をあみ出したカッツらによって開拓された。カッツの作品は、第二の流れであるポップアートを予兆し、とりわけロイ・リキテンスタイン、ジャスパー・ジョーンズ、アンディ・ウォーホルに大きな影響を及ぼした。」ここでポップアートが登場して世界を席巻していきます。「ポップアート、とりわけウォーホルの作品は、カッツや抽象表現主義の強い影響を受けていたものの、抽象的でも、それほど還元主義的でもなかった。むしろカッツが導入した平坦さやイメージの二重化は、ウォーホルをまったく新たな方向へと導いた。~略~ウォーホルはカッツ同様、繰り返しによって情動を抑えるという考えに基づいて、イメージが反復された絵や版画を制作した。これに関して彼は、『同じものを見れば見るほど、意味が剥奪され快く感じられる』と述べている。」次に本書で取り上げる画家はチャック・クローズです。「脳科学では、還元主義的アプローチの適用に続いて、部分を集めることで全体を説明できるか否かを確かめるために、統合や再構築の試みが行なわれることが多い。」という導入がクローズの作風を物語っています。「相貌失認と肖像画を描くことへの願望を調停するために、クローズは写真と絵画を結びつけた、還元と統合を基盤とする新たな形態の肖像画を開拓した。~略~1960年には、クローズと彼のフォトリアリズムは、ニューヨークのアートの世界で広く知られるようになっていた。そしてカッツとともに、新たに登場した挑戦的な表現様式として肖像画の復活に貢献したのだ。」今回はここまでにします。
2021.10.25 Monday
「なぜ脳はアートがわかるのか」(エリック・R・カンデル著 高橋洋訳 青土社)の「第11章 光に焦点を絞る」をまとめます。「鑑賞者の想像的な関与を促進する、劇的に還元されたアートを探求するにあたり、光と色、あるいは単に光だけを用いたアートの創造を試みたアーティストがいる。」それがダン・フレイヴィンとジェームス・タレルです。まずフレイヴィンの作品に関する論考です。「フレイヴィンの作品は、物体としてのアートという慣例的な概念に敢然と挑戦する。蛍光器具が発し周囲の空間に浸透していく光が、壁や床や鑑賞者に一様に反射して、鑑賞者とアートの区別をあいまいにし、鑑賞者をアートの一部たらしめる。」とありました。つまりフレイヴィンは室内で使われる蛍光灯をギャラリーに持ち込んで、それを作品として提示したわけでした。日本にも同じような表現をするアーティストがいたように私は記憶しています。もう一人のアーティスト、タレルはどうだったのでしょうか。「フレイヴィンが光と色から成る環境を創造したのに対し、タレルは純然たる光と空間の現前から驚くべき芸術作品を生み出した。」とあり、光と色によって静かで畏敬の念さえ覚えさせる雰囲気を創出していたようです。「NASAに協力していたタレルは、18世紀にバークリーによって提唱された、『私たちが直面している視覚的なリアリティは、自分自身が作り出したリアリティであり、私たちの知覚的、文化的な境界の内部にある』という考えを強調する。タレルは自身の作品について次のように語っている。『私の作品には、物体もイメージも焦点もない。では、物体もイメージも焦点もないのに、あなたは何を見ているのか?あなたは、見ているあなたを見ているのだ。私にとって重要なのは、言葉のない思考という経験を生むことである』」タレルのギャラリーでの発表を図版で見ると、発光している何かがあるものの、ギャラリー全体がその柔和な輝きに包まれていて、掴みどころのない表現が現出しています。アートはここまでいってしまったという感想を持ちます。
2021.10.24 Sunday
このところ朝晩は急に冷え込んで、秋を通り越して冬が到来した按配です。工房にはまだ大型扇風機がありますが、そろそろロフトに片付けようかと思っています。その代わり大型ストーブが必要かもしれません。凌ぎ易くなった工房にて、今日は朝から夕方までしっかり陶彫制作に励みました。週末になると、以前の二束の草鞋生活の名残で、6時間以上は工房に留まってしまうのです。美大受験生がやってくる影響もありますが、それだけではなく今まで培った習慣がそうさせていると言えます。凌ぎ易い季節はそう長くは続かないので、今が創作活動の勝負どころといったところでしょうか。陶彫部品は中規模作品の成形や彫り込み加飾をやっています。今日は工房を引き上げるときに窯入れも行ないました。制作を続けていると時間が経つのを忘れます。疲労も感じず、不思議な気分に支配されます。陶彫制作は身体を酷使しているはずですが、やはり精神労働が占める部分が多いのだろうと思います。適度に硬くなった陶土に彫り込み加飾を施す際に、時折全体を考えることもあります。職人仕事とは言え、今まで培った技能に溺れることはありません。確かに陶土の表面を見つめている時は、近視眼的な作業になりますが、ひとつの彫り込み文様が全体に関わるところも気にかけています。これは彫刻や工芸に携わる者なら必ず気にかける私たちの習性とも言えるもので、そうした気の使い方をしているからこそ、時間が経つのが早く感じられるのだと思います。何度かNOTE(ブログ)に書いていますが、彫刻は労働の蓄積で出来上がっていくもので一気呵成には出来ません。画家の友人が個展搬入前の数日間で作品を一気に作り上げてしまえることを、私は羨ましく思っています。集中して一気に作り上げることの方が真に迫る作品が出来るのであれば、そうした方法も良いと思います。それに比べ私の選んだ表現媒体は何と愚直で手間がかかるものだろうと思っています。意思や意欲を瞬時に爆発させられない自分は、長く一歩ずつ意欲を積み上げていくしかないと思っているのです。
2021.10.23 Saturday
週末になりました。今週の新作に関する制作状況ですが、1週間のうちに窯入れを2回行ないました。窯が作動している時は、他の電気が使えず陶彫制作は一旦休みになるので、その休みを利用して江戸東京博物館に縄文土器や土偶を見に行ってきました。制作と鑑賞の両輪がバランスよく回っていて、今週は充実した1週間だったと言えます。制作は今週ずっと中規模作品の陶彫部品を作っていました。中規模作品は2009年に発表した「発掘~赤壁~」に続くもので、ほぼ同じサイズにしています。表現方法は変わりますが、「発掘~赤壁~」に続く連作と言ってもよいと思います。将来は「発掘~赤壁~」と現在作っている新作を並べておくことがあるのでしょうか。その新作の一部をなす陶彫部品はやや小さめで、蒲鉾型にした連結方法を採ります。今のところは陶彫部品作りに時間を費やしていて、全体を構成する厚板材の加工はしていません。私の頭の中では全体像のイメージが徐々に更新されていますが、大きな変更はないと判断しています。そろそろ厚板材を使って全体を考えていかなければならないと思っていますが、大規模作品も中規模作品も同時進行していく予定です。それをいつから始めるか、来週か来月か、制作工程を見ながら判断したいと思います。昨日は真冬を思わせる寒い一日で、一日中雨が降っていました。今日は打って変わって晴天になり、空気が乾燥してきました。工房は外気の影響を受けやすいので、服装の調整が難しいのですが、身体全体を酷使する陶彫制作は薄着であっても寒さを感じないのです。ただし、今までのような汗が出ることはなくなりました。作業がやり易い気候になったことが嬉しいと感じていますが、陶土にとって乾燥した空気は土肌に皹が入る危険性もあり、ビニールをかけ湿度の調整を図る必要があるのです。明日も制作は継続です。
2021.10.22 Friday
先日、江戸東京博物館で開催中の「縄文2021」展に行き、図録「東京に生きた縄文人」を購入してきました。その中に同博物館館長の藤森照信氏と都立大名誉教授の山田昌久氏の対談記事の掲載がありました。展示を見た後で、これを読んで縄文時代に思いを馳せる時間を持ちました。対談は着る、食べる、祈る、住むという衣食住に纏わることがテーマになっていて、私が面白いと感じた箇所をピックアップしたいと思います。まず衣服に関する談話です。「縄文人は植物の繊維をいち早く利用して、布を作り、それをまとっていたと考える方が自然です。そういった証拠が圧倒的に多いんです。だから裸に毛皮をまとっていたのではなくて、繊維を編み込んだ布をまとわせていたんじゃないでしょうか。」次は食料に関する談話です。「弓を使っていたとしても、かなり近づかなくては倒せない。何人かで協力して追い込むか、人間のにおいを気づかせない落とし穴のような方法が必要なわけです。~略~(根菜類とか雑穀に関して)縄文人はいろいろな食料をシチューのようなごった煮にして食べていたようなんですが、最近の研究で、酸素とか窒素の同位体と呼ばれるものを頼りに、その内容物を調べ出したんですね。土器の内部についた付着物を調べることによって、これは木の実だとか、芋だとかといったことが、大枠で理解できるようになったんです。」次に祈りに関する談話です。「大がかりな作業をしてまでも、石組を作ってそこで祭祀を行なっていた例が、東京の多摩地区には残っています。~略~(耳飾に関して)民族誌から考えると若いうちに耳に穴を開けて、そこに付けていたようです。あるいは、歯を抜いたり傷をつけたりする抜歯のような慣習もそうなんですが、たとえば大人になった証だとか、子どもを妊娠した際の通過儀礼として、そのようなことを行っていたんでしょうね。」最後に住居に関する談話です。「縄文時代の住居の建て替えは耐用年数とは別の原理、たとえば縄文人の成人に伴う新築が考えられることになります。一方ではなぜ、そんな強度が必要だったのか。ひとつ考えられるのは、縄文時代の住居は1.6mとか身長に近いサイズで作っているから、小屋組みそのものが構築時には足場にもなるわけです。縄文の住居って実は、数人で共同で作り上げていく規模の構造体なので、この強度というのは、建物の強度ということだけではなくて、作り上げるときの強度も考えているのかもしれません。つまり縄文人は、構造にとどまらず、構築、施工についても理解していたんじゃないかと思うんです。」