2020.11.30 Monday
今日は11月の最終日です。NOTE(ブログ)のアーカイブを見ていると、11月はどの年も充実しているようで、創作活動には最適な1ヶ月であることが証明されています。今月も実り多き1ヶ月でした。まず、ウィークディの仕事で言うと、コロナ渦の中で関西方面への出張に無事行ってきたことが特筆できることです。仕事上、年間行事の中でこれは一番大きいもので、何はともあれ私は無事に終わったことに安堵を覚えました。陶彫制作で言えば、毎週末に作業を続け、またウィークディの夜にも工房に通っていて、制作目標を上回る成果がありました。気候が快適だったことも影響していると思いますが、文化の日や勤労感謝の日にも制作をしていました。窯入れも随時行っていました。窯の電気代も跳ね上がってしまいましたが、創作活動が充実している証と思っています。新作の完成イメージは今月になって具体性をもってきました。一日1点制作のRECORDも辛うじて追いついてきている状況です。今のところ下書きが山積みされることはありません。鑑賞に東京へ出かけた日も僅かな時間を作って工房に行っていました。その鑑賞ですが、美術の展覧会では「西洋の木版画」展、「若林奮」展(両方とも町田市立国際版画美術館)、「桃山」展(東京国立博物館)、「分離派建築会展」(パナソニック汐留美術館)、「吉村芳生展」(横浜そごう美術館)へ行ってきました。映画館へも行きたかったのですが、コロナ渦が広がっている現状を見て、今月は躊躇してしまいました。美術の展覧会の鑑賞だけでも今月は充分に満足出来たと思っていますが、加えて京都に出張した折、平等院のミュージアム鳳翔館で「雲中供養菩薩」が見られたことが幸運でした。「雲中供養菩薩」を見たのは、嘗て開催された東京の「平等院」展で鑑賞した以来のことです。これは私の大好きな仏像群のひとつで、鳳凰堂本堂ではなくモダンに完備されたミュージアム鳳翔館の中で、優しい照明の演出で見た「雲中供養菩薩」で印象が新たになりました。読書はイサム・ノグチのエッセイを読み終えて、今月から建築家藤森照信氏の著作を楽しみながら読み始めたところです。同時に仕事場に持参している論理学の関するフッサールの論考も読んでいますが、語彙が難解なため、なかなか進まなかったのが今月の反省です。
2020.11.29 Sunday
今日が今月最後の週末になりました。工房に朝から篭って23点目になる陶彫成形を行ないました。22点目と23点目はまだ彫り込み加飾が出来ず、午後は乾燥した陶彫部品2点の仕上げと化粧掛けを施して窯に入れました。このところ窯入れは毎週末にやっていて、焼成が終わった作品は既に11点あります。結局、新作の土台作りは来月に持ち越しになりました。気温が下がり、空気が乾燥し始めると、陶土を触り続けている掌がガサガサになります。毎年冬になるとハンドクリームが欠かせなくなります。今日は大型のストーブを出してきました。朝から来ていた美大受験生が寒いと言うので、彼女が使っている作業台の近くにストーブを置きました。工房は断熱材装備の内壁がないため、気温は外と変わりません。これからこのストーブが頼りですが、工房全体の大きな空間を暖めることは、このストーブでは到底不可能で、悴んだ手を温めるくらいしか出来ません。しかも毎年若いスタッフの傍にストーブを置くので、離れたところで作業している私にはストーブの恩恵がありません。ただし、私は力仕事なので身体が寒く感じることはないのです。陶彫制作はまだまだ続きますが、冬本番になるこの季節はなかなか厳しいものがあって大変です。それを見通して今月の週末は陶彫制作を頑張りました。今月はウィークディの夜にも工房に通いました。気候がちょうど良い時はできるだけ制作工程を進めておくべきで、凍てつくような寒さの中では制作は思うように進みません。そういう意味で今月の週末にどのくらいの制作が出来たかは、今後のスケジュールに影響が出てきます。今月の週末の制作状況はまずまずだったかなぁと思っていますが、果たしてどうだったでしょうか。今日も夕方になって美大受験生を車で送ってきました。明日からまた1週間が始まり、私には公務が待っています。また来週末頑張ろうと思います。
2020.11.28 Saturday
昨日、亡母の遺産を管理している税理士が自宅にやってきました。生前の母は家賃収入があり、それを母が入所していた介護施設の経費に使っていました。父が亡くなる前に、両親が揃って公正人役場に出向き、それぞれ公正証書(遺言)を作成しました。これは遺産を巡る兄弟間の争いごとを解消するための法的手段で、それを根拠として亡母の遺産相続を始めました。詳しいことはここには書けませんが、そうしたことに私は時間を割く必要があり、これは私が公務員管理職としての現職であるうちに終わらせたいと思っているのです。退職後は心置きなく創作活動を楽しみたいと願う私の気持ちがそうさせていると言えます。遺産相続の件はひとまず置いて、今日は工房に朝から篭りました。工房に出かけると、私は遺産相続のことや公務員管理職としての仕事のことも全て忘れて創作活動一本に気持ちが変わります。心が浄化すると言った方がいいのでしょうか、それとも現実逃避なのでしょうか、そのどちらでもあると思いますが、創作活動というものが私を救っていることは確かです。土曜日に行なう陶彫制作の内容は、土練りやタタラの準備で、明日の成形に備えて行なうものです。定番化した内容ですが、それでも私は陶土に触れていると心がワクワクしてくるのが不思議です。私は定番化した内容をただ只管遂行しているだけではなく、作品が徐々に出来上がっていく過程で、完成イメージの醸成も行なっています。陶彫部品が具体的に出来上がっていくと、これらをどのように構成していくのか、最初の大まかなイメージから一歩進めて、それぞれの陶彫部品の配置や土台の造形まで考えながら、頭を巡らせていきます。私はエスキースを書かない代わりに頭の中で何度もイメージの更新を行なっているのです。それでも当初のイメージから大きく逸れることはありません。新作のイメージが次第に具現化されるにしたがって私の心は高揚してきます。もう少し時間があればと思いつつ、身体が疲労を溜め込んでいるため、夕方になると頑張りがきかなくなってしまいます。また明日考えることにします。明日は23点目の成形に入ります。
2020.11.27 Friday
「建築とは何か 藤森照信の言葉」(藤森照信他著者多数 エクスナレッジ)の「20世紀のパルテノン神殿」と「20世紀建築の本流に背を向けたル・コルビュジエの謎」についてのまとめを行います。章の最初にル・コルビュジエが設計した「ロンシャンの教会」が登場します。私自身はこの「ロンシャンの教会」に行ったことがなく、写真でしか知らないため、著者が訪ねた時の感想によって建築物の内外を想像するしかないのですが、この建築物によって20世紀のモダニズム建築と一線を引いたル・コルビュジエの謎にも触れていました。「(「ロンシャンの教会」を通して)後期のル・コルビュジエが大地に還って行った証拠にして成果にちがいないが、20世紀ならではのやり方で大地に還ったことも忘れてはならない。~略~丘の上に青空高く掲げられた大地の一片ーギリシャのパルテノンの光景を思い出さずにはおけない。」次に20世紀の建築事情を書いた部分を引用します。「1920年代に芽を吹いた初期モダニズムは、ピューリズムにせよバウハウスにせよ、幾何学的造型を追いかけ、20世紀という科学の時代、技術の時代にふさわしい抽象性を建築においても獲得しようとした。」ル・コルビュジエはこうした抽象性の追求に限界を感じたのではないかと著者は洞察をしています。ル・コルビュジエが革新的な建築家としてデビューした時は、バウハウスと同じ純化した箱型デザインを行っていましたが、その後作風を一転させたのは自分本来の道を模索した結果ではないのか、彼に建築を目覚めさせたパルテノン神殿に立ち戻ろう、その結果として「ロンシャンの教会」が生まれたと言ってもいいと思います。「20世紀はたしかに科学の時代、インターナショナルな時代かもしれないが、しかし人間は特定の大地に生れ、固有の文化にはぐくまれて育つしかない。気づいた時にはそのように自分の内側ができてしまっている。時代は抽象的でインターナショナルだが、人間は個別の存在でしかない。」21世紀になった現在もさまざまな景観を持つ建築物が建ち始めています。日本にも日本的な特徴を全面に出そうとする動きがあるようで、まるで現代彫刻と思えるような建築物も存在しています。
2020.11.26 Thursday
「建築とは何か 藤森照信の言葉」(藤森照信他著者多数 エクスナレッジ)の冒頭の章に「懐かしさ」という感情をもって、建築や造形美術における関係性を謳っている内容がありました。古い建造物の保存活動に携わる人々の行動に、建築の専門家が当惑を覚えるところがあるようで、「懐かしさ」とは何かと改めて問いかけている箇所がありました。「『懐かしさ』なんて何にも生産的でない。でも、人間しか持っていない感情なので、逆にえらく人間的だと思ったのである。」著者はA・ブルトンが提唱したシュールレアリスムについても「懐かしさ」を感じていて、既視意識が当時の革命的な絵画にも「懐かしさ」を齎せているのではないかと察しています。「パスカルが宇宙の果てについて論じた、”知らない世界を本当に想像することができる”か、という問題がある。われわれは未知とか未来とか言ってるものを想像するが、実はそれは既知の延長で想像しているだけで、本当に知らない世界は想像できないはず。なぜなら、想像するにも手がかりがない。」なるほど、前衛と言えども自分の発想からしか創造できないので、自身の経験からこれだというものを捻りだすことになるわけです。それならば「懐かしさ」をもっと肯定的に捉えてもいいのかもしれないと思いました。私の作品にも「懐かしさ」はあります。私は古代の出土品を現代的にアレンジしているので、見た人が懐かしいと感じてくださることも多々ありました。著者である藤森氏の建築にも懐かしい雰囲気があって、それが快さを醸し出しているように感じています。「人間は人間であることを確認するのに外の景色を使っているという仮説がある。人間は、自分が自分であることをもっと高度な方法で確認していると思っている。しかし、私は、目に見えるもの、外的なものでしか確認できない、と気づいた。人間のアイデンティティは、建築や町並みに依拠しており、その建築や町並みの質を問わない。建築か町並みか、大きくは自然の風景によって人間は人間たりえる。自分は自分たりえる。」