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  • 三連休 4点目の陶彫成形
    三連休の中日です。今日も朝から気温が上昇し、工房は茹だるような暑さに見舞われました。私は昨日用意した座布団大のタタラ数枚を使って、新作の4点目になる陶彫部品を立ち上げました。4点目の陶彫部品は、乾燥を待っている大き目の陶彫部品の二段目にあたるもので、底辺は僅かに小さく、高さは50センチほどになるノッポな形態をしています。制作工程では成形が一番彫刻的で面白いと感じていて、立体が立ち上がると私自身はワクワクしてしまいます。三連休の最終日である明日は、3点目と4点目の彫り込み加飾をやらなければならず、土台の寸法取りと切断は、三連休後の夏季休暇で行なうことにしました。工房室内の温度が高いせいで、陶土の表面が早く乾燥してしまうため、時々水を打ちながら作業をしました。陶彫制作は陶土の乾燥具合が関係するので、作り手の都合で休憩が入れられません。成形が始まれば休みなく作業を継続しなければならず、息切れする時もあります。今日は美大受験生が一人増え、2人の若い子たちが工房にやってきました。一人は前からデッサンに通ってきている子で、今日から平面構成をやらせることにしました。面相筆で平塗りを試しながら、アクリルガッシュの使い方を教えました。私の頃はポスターカラーだったのですが、外部のアトリエではアクリルガッシュを使うところが増えているようです。今日から加わったもう一人は鉛筆デッサンを始めました。私も高校生の頃は、大学で工業デザインを専攻したいと考えていて、デザイン科のための静物デッサンや平面構成や立体構成をやっていました。最終的には彫刻を専攻したにも関わらず、デザイン科入試のことを多少齧っているので、彼女たちの指導支援が可能なのです。思わぬところで私の転科が役立っています。それより工房の暑さに耐えて作業している彼女たちの健康状態を気遣ってしまいました。外部のアトリエならエアコンが効いているのに、工房は最悪な環境で申し訳ないと思っています。午後2時まで作業をやって彼女たちを車で送り届けました。夕方、自宅の食卓に置く布を選びに家内と横浜中華街に車を走らせました。食卓に置く布が古くなったので、夏らしいものに替えようと家内と相談していたのでした。中華街にあるチャイハネというアジア雑貨を扱っている店で、手ごろな布を見つけました。夕食にするため大きな豚マンも買ってきました。コロナ渦の影響で休日にも関わらず、人の混雑はありませんでした。陶彫制作は明日も継続です。
    三連休 蒸し暑い工房にて
    今日から山の日を含む三連休になります。三連休は陶彫制作に終始する予定ですが、新作の土台部分も考えたいなぁと思っています。私は早朝に工房にやってきて、座布団大のタタラを掌で叩いて数枚用意しました。これは明日の成形で使います。早朝から制作を始めたのは今日の昼間の気温上昇を考えたもので、熱中症警戒アラートが出されたら、工房にどのくらいいられるのか分からなかったため、早めに工房に出かけたのでした。今日は若いスタッフが10時過ぎに工房にやってきました。彼女は文学を志す人で、エアコンの効いた自宅よりも工房を選ぶのは、工房の方が集中力が増すせいかもしれません。私も新作の彫り込み加飾を始めましたが、集中はしてもシャツに汗が滲み、短時間で作業を終わらせなければならないかなぁと思いました。2人で昼食を取った後、1時間は制作をしていましたが、午後1時過ぎには工房を後にしました。蒸し暑い工房で我慢をすることは止め、若いスタッフを車で送りました。まだ陶彫制作が切羽詰った状況ではなく、健康に気遣ったためにこうした処置を取りました。その後、私はエアコンのある自宅でRECORDの彩色に追われていました。今月はRECORDの遅れを取り戻すことを目標に掲げています。下書きが山積みされた状況はまだ解消できていませんが、日々少しずつ進めていきたいと思っています。午前中は陶彫制作、午後はRECORD制作をやっていて、結局今日は充実した一日だったと振り返っています。自宅にいると気持ちが緩んで休憩を求めてしまいますが、そこを踏み留まって頑張れることが出来るかどうかが私の課題です。制作を始めてしまうと何のことはないのですが、制作を始めるまでが自分との闘いです。弱い自分に鞭打って創作に向かう気構えを作ることが大事で、そのちょっとした努力の積み重ねが大きな成果を生むのです。
    東京小金井市の「江戸東京たてもの園」散策
    今日から飛び石で夏季休暇の5日間を取得することにしました。今年の夏季休暇は例年のような旅行は控えています。新型コロナウイルスの感染拡大が今も猛威をふるっているため、地方へ出かけることは止めました。まして海外などあり得ない話です。夏季休暇初日の今日は、東京小金井市にある「江戸東京たてもの園」に行ってきました。以前、家内が友達と出かけて楽しかったと言っていたので、家内を案内役にして車で出かけました。私は建築が好きなので、きっと私が気に入るだろうと家内は言っていましたが、まさにその通り、暑さを忘れて移築された有形文化財である建造物群を楽しみました。暑さを忘れてと書いたのは、今日熱中症警戒アラートが東京都で発令されていて、野外を歩く際には水分補給などの注意が必要でした。場内アナウンスも熱中症や三蜜を避けるように注意喚起を呼びかけていました。ただ週末ごとに工房で汗を流している私には、今日の暑さはあまり身体に応えず、寧ろ気軽に場内を歩き回っていました。豪農であっただろう藁葺きの母屋は、川崎にある民家園でよく見かける構造になっていました。ここでは明治の頃に建てられた西洋風の間取りを取り入れた家屋に興味が湧きました。商店や大衆風呂がある一角も面白いなぁと思いました。その中でもとりわけ興味関心があったのは、建築家前川國男邸でした。外観は切妻屋根の和風に見えますが、左右対称の極めてシンプルな構造になっていて、内部は吹き抜けの居間が中央にあり、そのモダンさに憧れにも似た気持ちになりました。当時の建築の記録が残っていて一冊にまとめられているので、早速購入してきました。その報告書を基に改めて感想を述べたいと思います。ともかく暑い日だったので、昼食はエアコンの効いたデ・ラランデ邸1階にあった喫茶室に寄りました。そこでカレーライスとデザートを注文しました。私は今年初めてのカキ氷を食べましたが、氷がフワフワしていて美味しいと感じました。家内はカキ氷の中にアイスコーヒーを入れる洒落たデザートを食べていました。インスタ栄えのする食事に舌鼓を打って、充実した一日を過ごしました。明日は工房で陶彫制作を頑張ろうと思います。
    8月RECOERDは「苔」
    今年のRECORDの年間テーマは色彩です。西洋の色相環に代表される基本的な12色の他に、日本には和色大辞典があって情緒のある色彩名が並んでいます。アクリルガッシュにはそうした日本の色彩名がついた絵の具のシリーズがあって、画材店に行くと目移りがします。アクリルガッシュを入れた私の収集箱には、徐々に日本の色彩が増えてきて、それを眺めているだけでも幸せを感じます。8月のRECRDのテーマを「苔色」にしました。苔は京都の寺院の庭園で大切扱われているコケ類(コケるい)や蘚苔類(せんたいるい)、蘚苔植物(せんたいしょくぶつ)の総称を言うようです。湿気の多いところを岩石面を覆うように苔は生え、寺院の庭園一面に広がる苔は美しい景観を齎せてくれます。「苔むす」という言葉は悠久の時間を示すもので、国歌「君が代」の歌詞にも登場しています。そんな微妙な色彩を扱うには、周囲の状況も描かねばならないと思っています。実際の苔を見ると同時に、日本画に表現された古木や岩に存在を示す苔にも注目していきたいと思っています。苔を描くことで風景が幾星霜にもわたって続いてきた自然のありさまを表現しているのでしょうか。日本には潤いのある自然があり、苔むした石に私たちは情緒を感じてきました。苔の暗く翳った色彩は、まさに日本の色彩と言えます。
    私にとって創るとは…
    つくるという漢字表記は3種類あります、作る、造る、創るの3種類ですが、このNOTE(ブログ)で私が言いたい主旨なら、創るという漢字が一番相応しいと思っています。創るは創造行為を示すものだからです。私は週末には工房で彫刻をやっていて、ウィークデイの夜には自宅でRECORDと称する小さい平面作品をやっています。昼間は横浜市の公務員として働いていて、人々によって構成される組織を動かしています。ここでは人と人との繋がりが極めて重要で、コミュニケーションで業務が成立していると言っても過言ではありません。仕事の性質上テレワークが出来難く、コロナ渦の緊急事態宣言が解除されてからは全員が出勤してきています。こうした職場なのでコロナ渦の影響は決して小さいものではありませんでした。現在も判断に迷う場面が多々あります。ところが私の創作活動はこれとは真逆で、コロナ渦の影響は全くありません。人との繋がりが極めて薄く、普段から孤立無縁な状態で作業をしているからです。せいぜい1年に1回開催している個展で、人とコミュニケーションをとるくらいです。創作活動全体から言えば90%以上は、一人で引き篭もり状態です。夏になって漸く創作活動の結果を携えて東京銀座に出かけているので、これが残りの10%だろうと思っています。私にとって創るとは何なのか、一人でイメージを起こし、一人でイメージを具現化し、作品にまとめ上げる行為は一体何なのか、今夏はコロナ渦の影響で個展に来る人が少なく、そんな中で考えたことは、持続する造形思索があれば、それで良しとした自分の思考回路です。それはどんなところから発想したものだろうと改めて思い返しているのです。創作活動に意味を見出そうとすれば、現代の社会情勢やらアートの歴史を達観すると、自分がこんなことをやっている意味があるのかどうか、分からなくなってしまいそうで、一種の虚無感に襲われることもあります。そこは敢えて考えず、自分が面白いと感じたから創るだけなんだと自分を言い聞かせているのも確かです。私にとって創るとは、とどのつまりは自己満足なのかもしれません。