2020.07.20 Monday
今日から東京銀座のギャラリーせいほうにおいて、私の15回目の個展が始まっています。例年なら初日は必ずギャラリーに行って、私は鑑賞に来てくださる方々を迎えていました。ちょうど海の日が月曜日にあり、職場の勤務を要しない日だったので都合がよかったのですが、今回は勝手が違います。海の日は木曜日、スポーツの日が金曜日にあるため、会期中の後半はギャラリーにいることが出来るのですが、初日はギャラリーにお任せする日になってしまい、申し訳ないなぁと思っています。これは東京オリンピック・パラリンピックの予定があったため、こうした措置が取られたのでしょう。新型コロナウイルス感染拡大を受けて、今回の個展は鑑賞者が少ないだろうと見積もっています。不要不急の用事以外東京には近づかないことをマスコミ等で言っているためで、昨日の銀座も例年より人が少なかったように思います。それでも個展を継続して開催する意義があると、私は再三NOTE(ブログ)で言ってきました。個展をやらせてもらえる以上、毎年全力投球の作品を持ってきています。それでも新作の課題は見えていて、完成作品に充分満足をすることが出来ません。それは失敗とは言えず、ほぼイメージ通りなのですが、自分が求めているものに対し、新作がその結果を網羅しているとは言えないのです。不満で不安定な気持ちになるからこそ、新しい作品に立ち向かう力が湧いてくると言えるでしょう。思索は留まることはないと私は考えていて、その具現化もそうした思索に伴って発展していくものだと思っています。私の場合、突飛なアイディアは生じません。自分が現行の作品を進めていく中で、順を追ってアイディアが出てきます。個展での発表はその途中経過を報告するもので、おそらく結果ではないと思っています。今回の個展も継続する思索を一部切り取ったものを作品として発表したに過ぎないと考えています。充分にコロナ渦の自己防衛をした上で、ご高覧いただければ幸いです。
2020.07.19 Sunday
明日からの個展開催に備えて、今日は朝から横浜の工房と東京銀座のギャラリーせいほうを往復しました。業者との約束が朝10時だったのですが、早くも9時半ごろにはトラックが工房にやってきました。業者は毎年やっていただいている男性2人で、積み込みに慣れた人たちでした。こちら側のスタッフは6名で、若い世代の男性木彫家2名、女性デザイナー1名、美大受験生1名、それに家内と私で、車2台に乗って業者が運転するトラックを追いかけました。保土ヶ谷バイパスから首都高速に乗って、東京の汐留で降り、銀座8丁目に向かいました。新型コロナウイルス感染拡大のためか、休日でも高速道路を走る車は思っていたより少なく、全線を通してスムーズに走ることが出来ました。トラックがギャラリーせいほうに横付けされて、梱包用木箱やシートで包んだ板材を降ろしました。業者が帰った後、私たち6人でさっそく屏風を組み立て、陶彫部品を番号に従って、それぞれ置いていきました。「発掘~聚景~」は意外に早く設置を終えました。「発掘~突景~」もテーブルを組み立て、すぐに設置を終えました。早く済んだのは2人の木彫家の手伝いが大きかったと思っています。照明の当て方もほとんど2人に任せていました。こういう人たちが手伝ってくれるのは心強い限りです。展示が終わると私はホッと胸を撫で下ろしました。毎年のこととは言え、毎回作品が異なるので、ギャラリーの白い空間の中で見る新作は、自分にとってどうなんだろうと気がかりで仕方がなかったのでした。今回は15年目の個展で、15回目の搬入作業になりました。展示が終わると、私の中では個展が終了した気分になります。決して満足は覚えられないのが毎年の常で、今年もやや不安定な気持ちになったのは確かです。そこを解消しようとして次作に取り組んでいると言ってもよいと思います。来年はさらに頑張るぞと思った次第です。
2020.07.18 Saturday
個展の搬入日が明日に迫り、今日はその最終準備とギャラリーせいほうとの事前打ち合わせに東京銀座まで出かけて来ました。今日は家内と車で行きました。例年なら私がリュックサックに図録を100冊ほど入れて担いで行っていたのですが、新型コロナウイルスの感染拡大が高止まりして、「Go Toキャンペーン」のトラベル事業が東京を除外する動きがあるため、私としては公共交通機関を使うのを避けて、車で行くことにしたのでした。明日は数人のスタッフが手伝ってくれるので、明日の昼食をどうしようか考えました。例年、銀座の老舗のレストランに出かけていたのですが、テイクアウトが出来るレストランを探して、弁当を予約してきました。明日はスタッフを乗せて車で出かけ、昼食はギャラリーせいほうの中でとろうと思っています。ギャラリーせいほうは東京銀座の一等地にある画廊にしては広いスペースがあり、ソーシャル・ディスタンスは近隣レストラン以上に確保できるのです。ギャラリーせいほうは彫刻専門と謳っているだけあって、場所は1階にあり搬入搬出が楽に出来ます。いろいろな面を考えたら私にとって最高のギャラリーだと言ってもいいと思っています。今回、たとえ鑑賞者が少なくても、私は休むことなく自分の世界を見つめ続けていたい意向を再確認し、中断することなく個展が開催できることが幸いと考えるようにしました。私の自己満足を満たすだけなのかもしれませんが、私自身の意欲を途切れさせないためにも、彫刻を媒体とする思索と表現活動は続けていきたいのです。私の作品は観る人にサービスを提供しない彫刻だなぁとつくづく思います。明日の搬入は頑張りたいと思います。
2020.07.17 Friday
「石を聴く」(ヘイデン・ヘレーラ著 北代美和子訳 みすず書房)は「イサム・ノグチの芸術と生涯」を扱った評伝で、今回は第28章「ボーリンゲン基金調査旅行」と第29章「先触れの鳩」のまとめを行います。ノグチは創作活動の停滞を打破するため、助成金を得て旅に出ることを決めました。「1940年代後半のノグチの著述は実存の不安に満ちていた。ノグチは空虚を、混沌を、意味の喪失を語った。~略~力を見つけるために、ノグチには彫刻の意味を革新する道を探求する必要があった。」さて、ヨーロッパを皮切りにノグチは各国に旅立ちました。「パリではブランクーシを訪ね、かつての師は恨みがましくなったと感じ、その理由はおそらく戦争中あまりにも孤立していたためだろうと考えた。~略~イタリアでは、つねにアートと生活の結びつきを探求しながら大型彫刻のモニュメントや建築を研究した。」その後、ノグチはギリシャ、エジプトを経てインドに到着しました。「ノグチはインドと恋に落ち、何度も再訪した。目にしたものの多くがそののちの作品に明らかに影響をあたえている。たとえばジャイプールやデリーにある18世紀建造の天文台の日時計、円形の井戸、ドーム、球体、螺旋階段はノグチの彫刻庭園にふたたび登場する。」そして日本へ向かいます。「1931年の日本滞在時には、増大する国粋主義と軍国主義のせいで自分は招かれざる者だと感じた。今回、温かく迎えられたのは驚きだった。~略~日本到着後、東京の大新聞『毎日新聞』が主催する現代アーティストによる『連合展』を見る。ノグチは日本の伝統家屋には合わないであろう西洋風の巨大なキャンバスを嫌った。」ノグチの通訳には画家でもあった長谷川三郎が同伴しました。ノグチと長谷川は議論をしながら仲を深めていきました。「ふたりは近代の西洋美術、日本の現代美術対古美術、禅、茶道、日本文学、アートと生活の関係について語りあった。どちらもが日本の古い文化に敬意を抱いており、どちらもが茶道、生花、日本庭園や日本家屋に具現されているような『全く生活と芸術との互の融合一致』(長谷川)を信じていた。~略~京都到着後、ノグチと長谷川が最初に見学したのは、17世紀の優美な桂離宮、慎ましやかだが美しく均整のとれた建物で、日本でもっともみごとに設計された庭のひとつを見おろす。離宮そのものについてノグチは、離宮はその『理想的な簡潔さ』のなかで自分を『より完璧な世界』に運ぶ啓示だったと書いた。」
2020.07.16 Thursday
「石を聴く」(ヘイデン・ヘレーラ著 北代美和子訳 みすず書房)は「イサム・ノグチの芸術と生涯」を扱った評伝で、今回は第26章「1946-48年」と第27章「袋小路」のまとめを行います。1946-48年の間にノグチは舞台装置のデザインを多くやっていました。そうした中で私が最も関心を寄せるテーブル彫刻が誕生しました。「『テーブル彫刻』と呼ぶ彫刻も制作した。《夜の国》の原点としてうかがえるのは、表面に丸く穴が穿たれてゲーム盤のように見えるジャコメッティの大理石板《ノーモア・プレイ》(1931-32)である。《夜の国》の暗色に輝く大理石の表面は、円形の穴と小山、妊娠をあらわす突き出す突起物によって、シュルレアリスムの荒涼とした夢の風景を連想させる。」さらに1947年にノグチが制作した「火星から見える彫刻」は父野口米次郎の死と関係しているようです。「おそらくは父親の死によってかきたてられた無常観と人間の死すべき運命への思いが、ノグチが1947年に制作したある彫刻作品のデザインに象徴的にあらわれている。」次の章ではノグチがスランプに陥った状況が描かれていました。「1948年と49年には、おそらく彫刻の新しいアイディアを考え出す意欲が湧かなかったためか思索にふけり、アートについてかなりの量の著述をした。その多くがアートの機能と社会におけるアーティストの地位に焦点を絞っていた。」加えて「ノグチをさらに惨めな気持ちにしたのは、1948年7月のアーシル・ゴーキーの自殺である。」とありました。親友ゴーキーは癌になり、鬱に襲われ、結婚生活も躓いたようです。ノグチにとっては辛い時期を過ぎ、やがて個展の開催に漕ぎつけます。概ね好評だった個展にもこんな評が寄せられていました。「ノグチ彫刻に対するグリーンバーグの反応は、のちの鑑賞者たちの多くが見せる反応を典型的にあらわしている。彼らはノグチ作品のなかに、典型的にアメリカ的と考えられはじめていた攻撃性と反撃性、身体的な直接性が欠けているのを惜しんだ。」攻撃性と反撃性が欠如した立体、これが日本で体得した庭園文化を初めとする自然観を生かした美意識に導かれ、やがてノグチ独自の世界へ発展していくのだろうと私は思っています。