Yutaka Aihara.com相原裕ウェブギャラリー

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  • 週末 彫刻の視点を考える
    週末になりました。朝から雨模様の肌寒い一日でした。急に秋がやってきた感覚があって、加えてウィークディの疲労も相俟って身体が重く、一日を通して緩慢な動きになってしまいました。朝8時から午後3時までの7時間を工房で過ごし、新作の彫り込み加飾と残っていた陶土でタタラを数枚作りました。作業は毎回やっているものばかりで、手馴れたものでしたが、既に出来上がった陶彫部品が10点になり、厚板材による土台の一部も床にあったため、全体の配置やら構成をぼんやり考えて始めました。私の彫刻は床置きなので、高さや幅や奥行きを鑑賞者側の視点になって考えていくことがあります。とくに見る人の身長によって眼の高さが異なるため、立体の見え方は人によって変化があります。架空都市の風景を俯瞰させる場合に、それぞれの陶彫部品をどのくらいの高さに設定するか、林立する直方体をどう配置するのか、成人と子どもでは多少視点が違い、それによって与えられる印象も異なってきます。たった1点で見せていく彫刻作品ならば、それほど意識しない見え方が、集合彫刻として床に複数配置して、しかも場を設定する私の作品は、さまざまな条件によって作品の様子が異なってくるのです。撮影の時、カメラマンが脚立を使って上部から撮影した画像と、床に這い蹲って撮影した画像では、同じ作品とは思えない変化があります。もうひとつは陶彫部品と陶彫部品の狭間を眼で散歩する鑑賞方法もあります。それは個展の際にある鑑賞者から指摘されたことで、私自身が気づかされました。言わば私の集合彫刻はパノラマとして床に広がっているので、そんな遊び心を擽るのかもしれません。そんなことを考えながら、一日の作業ノルマをこなしていました。明日は11点目の成形になります。
    「サーカス・シリーズ」について
    先日、師匠である彫刻家池田宗弘先生の真鍮直付けの作品を久しぶりに見せていただきました。東京の東村山市立中央公民館で開催していた「池田宗弘展」は、初期の頃から最近までの作品を網羅してあって、私には先生の初期の頃の作品に印象深いものがあり、何度見てもその斬新な形態に感じ入ってしまいました。「サーカス・シリーズ」として一時期を形成する作品「不安定のなかの安定」は会場前のガラスケースにありました。サーカスに興じる道化師を、真鍮直付けの技法で作った彫刻には頭部がありません。鑑賞者は彫刻に頭部があると、つい顔の表情に目がいってしまい、人体全体を見ることがその後になってしまうのです。頭部がないことで私たちはいきなり全体を見て、その独特な形態を把握することになります。「不安定のなかの安定」の最初の印象は、まさに綱渡りをする人体で、しかも量感を削り取られたギリギリの人体です。細い人体と言えばA・ジャコメッティですが、ジャコメッティがモデルを観察し、それを塑造した結果として細くなったことに対して、池田先生の人体は周囲の空間を得ようとした結果として、量感をなくしていったように思えます。彫刻に光を当てて壁に落ちた陰影で見ると、ジャコメッティの作品は針金のようですが、池田先生の作品は陰影が作品の世界を雄弁に語ります。その最たるものが「サーカス・シリーズ」で、イスを積み上げてその上で逆立ちをする道化師は、まさに陰影こそ楽しい世界を作り出していると言えます。池田先生は学生時代、当初は粘土で人体塑造をやっていたそうですが、溶接や鍛金技術を得て素材を金属に変えました。金属は形態を細くしても空間にその姿を保つことができます。それはカタチとカタチの間に隙間を作り、それ故に大きな空間を確保できたのでした。先生の空間解釈は画期的なもので、学生だった私はそれをどう考えたらよいのか分からなかったことが思い出されます。あの頃の私は塑造によってカタチを膨らませることばかりを考えていて、量感こそ全てだったのでした。そこに空洞さえ厭わぬ「サーカス・シリーズ」や内臓に穴の空いた猫の群像がやってきて、その表現力に私は圧倒されてしまったのでした。たとえ尊敬する師匠であってもその表現には追従してはいけないと、私は自分に言い聞かせて、別の道を歩むことになりました。先生に対する感受と反発、これが今の私を形成してきたのだと思います。
    2020年評壇に掲載された寸評より
    ビジョン企画より出版されている新報の美術評壇欄に、私の個展の寸評が掲載されました。執筆を手掛けている美術評論家瀧悌三氏は、毎年必ずギャラリーせいほうに来てくださり、メモをされていきます。今回は瀧氏にお会いできずに残念でしたが、芳名帳に瀧氏の記載がありました。どんなことを書いてくださっているのか気になるところでしたが、新報が送られてきて、寸評を読ませていただきました。「陶彫。『発掘』シリーズⅫ。古代遺跡の出土品のような黒褐色のオブジェを創出。今回は床を這うヤマタノオロチみたいな長大物体がメイン。その先端は衝立の壁面を這い登る観。生き物じみている。意外性一杯。続く中品は三角台に角ばったオブジェ3つが乗る情景彫刻。小品は箱型三角柱4体。量の点で言えば、実に精力的な仕事。架空想像の疑似世界ながら。」毎回良い評価をいただいていると私は解釈していますが、今回は陶彫部品の集合体を、神話のヤマタノオロチにイメージを被せていただき、私自身も眼から鱗が落ちました。「生き物じみている。」という批評が「発掘~聚景~」の特徴を物語っているように思います。私の中で少しずつ生命体のような有機的な形態が生まれてきているのは確かで、それは年齢とともに具体的な表出になっているように感じます。もう一方でその不可解な生命体を制御する力も働いています。中品として書いてくださった三角形を基盤とした「発掘~突景~」は、まさに幾何学による形態のコントロールです。「量の点で言えば、実に精力的な仕事。」これが私による自分自身を示す制作姿勢で、焦らず休まず作り続けてきた結果だと自負しています。そんな制作の振り返りを行いながら、寸評の内容を私なりに勝手な分析をいたしました。失礼をお許しください。
    台風接近でも野外イベント実施
    私の職種を知っている人であれば、ここに登場する野外イベントがどんなものであるのか、予め見当がつくと思います。本来なら5月に行うイベントでしたが、新型コロナウイルス感染症の影響で、今月になって実施したのでした。野外イベントは密になるものを避けて、縮小したプログラムになりました。それでも一年に1回のイベントをどうしてもやりたいと私は思っていたのです。イベントは観客を入れず、私たち関係者だけで実施しました。しかも台風が接近している中で、一か八かの実施になりましたが、僅かに小雨程度で最初から最後まで滞りなく実施できたことは幸運としか言いようがありません。正直に言えば、今日は実施を強行した感が残りますが、それでも結果として実施して良かったと思います。感染症の影響で昨今は、さまざまな活動がICTを使ったものに変わろうとしています。これからの社会でリモートで仕事ができることは私も賛成ですが、感染防止が図れれば今までのような対面で何かを行うことも十分に意義があると思っています。今日の野外イベントはまさに対面の活動でした。私が創作している彫刻もデジタルな表現では全て賄いきれないものがあります。アナログとデジタルがあって、その双方の力を借りて表現していくものだと私は思っています。アナログにはアナログでなければ出来ない世界があり、眼の前で実際に起こっていることの空気を感じるのはリアルな世界があればこそです。今日の野外イベントも私の作る彫刻も、実際の空間を感じ取れるのは対面でしかありません。ひとり一人が感染症予防に努め、密を作らないように心がけて、対面としての活動が今後も出来ることを願ってやみません。
    四連休最終日 新作の土台考案
    今日で四連休が終わります。この時期に4日間連続の休暇があったことは、創作活動を進める上で有効だったと思っています。四連休は4日間ともずっと制作をやっていました。2日目に東京の東村山市立中央公民館に出かけましたが、その日も早朝から制作をやっていてノルマを果たしました。今日は朝9時から夕方4時までの7時間を工房で過ごしました。今日の午前中は新作の彫り込み加飾をやっていました。午後から新作の土台となる厚板材を切断して、全体の広がりと大きさを確かめました。厚板材は全て切断できたわけではありませんが、大まかな雰囲気を把握することが出来ました。新作は円形が土台になります。そこに陶彫による直方体を複数配置する予定です。私には数年前に作った「発掘~環景~」という円形の作品がありますが、大きな円形を使うのは今回で2回目になります。厚板材の円形に直方体を入れる穴を複数空けます。これは「発掘~環景~」よりさらに前に作った「構築~起源~」の発想で、土台の床下からカタチが立ち上がってくるように仕掛けます。この新作は陶彫部品を古代出土品のように作るので「発掘シリーズ」として分類しますが、もうひとつ円形を使う作品を考えていて、円盤を中空で支える構造にしようと思っています。これは「構築~内包~」や「構築~解放~」の発展形です。これは分類すれば「構築シリーズ」です。同じ円形を使っても来年発表する作品は「発掘シリーズ」と「構築シリーズ」をそれぞれ1点ずつ作ろうとしているのです。今年から来年にかけて制作方法は陶彫と木彫が半分ずつになるのかなぁと思っています。現在、陶彫制作を先行しているのは、陶彫には乾燥させる時間が必要だったり、最後に焼成があったりするためで、自分の頑張りだけではどうにもならないものがあるのです。そこへいくと木彫は自分次第で何とかなると思っています。「構築シリーズ」となる木彫作品はまだ始まってもいません。頭の中にイメージがあるだけですが、木材だけは準備しておこうと思っています。