2020.06.25 Thursday
「石を聴く」(ヘイデン・ヘレーラ著 北代美和子訳 みすず書房)は「イサム・ノグチの芸術と生涯」を扱った評伝で、今回は第14章「孤独な旅人、社交界の花形」と第15章「空間の彫刻に向かって」のまとめを行います。日本からアメリカに戻ったノグチは、世界的な恐慌を迎えて景気が悪くなる中で、前から取り組んできて家計を助ける唯一の手段である肖像彫刻をやっていました。注文は減っていたけれども、社交界との交流があって、ノグチは何とか著名人の肖像を作り続けていたのでした。そうした中で半抽象的なフォルムへ転回する試みが見られ、美術関係者からこんなコメントが寄せられていました。「リーヴィは、日米の血を引くことが『ノグチの作品を特徴づけるある種の両義的態度』に貢献しているのかと問いかけた。『ノグチはつねに抽象と具象、事実と意味の関連づけのあいだでうまく平衡をとろうとする一方で、はっきりいえば東洋的目的と西洋的目的の厳格な解釈を遂行する』」。次の章はノグチの求める世界がさらにモニュメンタルになっていく過程を描いていて、私には興味があるところです。「写実にあらずして人間的に意味のある彫刻、抽象的であると同時に社会的意義のある彫刻…アイデアは絶望の中で、夜、星を探しているときに生まれてきた」というノグチの言葉の通り、早くもこの時代に巨大なアースワークを模索していて、こんな文章もありました。「このモニュメントを『西部大草原のまんなか』あるいはオクラホマのどこかに建設したらどうかと提案した。『だが、ぼくはちょっと時代の先をいきすぎていた』たしかにそのとおりだった。40年後、アースワークは彫刻の分野における新たな展開としてもっともエキサイティングなものとなる。」そんな一方でノグチには母レオニーの死去という運命が降りかかります。「12月17日、ニューヨークに到着し、母親が肺炎を発症し、12月12日に人手不足で患者過剰のベルヴュー病院に入院したことを知った。2週間後、レオニーは59歳で息を引きとる。母を失うことはノグチにとって胸を張り裂かれる出来事だった。ひとつには母親の愛情をよりどころにしていたこともあって、自分が母をないがしろにしてきた、ある意味で捨て去ったのだと感じたにちがいない。」先日まで読んでいた母の伝記とは違うニュアンスが読み取れて、私には興味深く感じました。
2020.06.24 Wednesday
私は常に書籍を鞄に携帯しています。通勤途中で読むものは、比較的容易な内容のものにして、どこを開いても気軽に入っていける書籍がいいと思っています。書籍を選ぶ際に、私は癒しの時間として気軽に読める書籍と、自己研鑽として扱う書籍の2種類のものがあると思っています。現在、イサム・ノグチ関連の書籍を読んでいますが、これは国際的彫刻家が自己表現を広げていく上で、どんな空間解釈を獲得するに至ったのか、私にとっては自己研鑽に匹敵する要素もありますが、伝記の中に頻繁に出てくるエピソードには癒される面もあり、2種類の両方が存在している書籍ではないかと思っています。もうひとつは職場に置いていて、時間を決めて読んでいる論理学に関する書籍で、これには癒しの効果はありません。自分の思考を深化させるものと私は認識して、この重厚な哲学的論考に挑んでいるのです。まさに自己研鑽としての読書です。これはさらさら読めるものではなく、単元ごと、または頁ごとに行きつ戻りつしながら、論考の意図するものを把握しようとしています。こうした書籍を読破すると、私の中で部分的に印象に残るところがあり、時よりその論考が頭をもたげてくるのです。今まで読んだもので、それは人間関係の心理的な綾であったり、死生観であったり、モノの存在に纏わる基本的な考え方であったりしています。そもそも事実学ではないところが、芸術を生涯の友にしている自分にとっては必要と考えていて、自己表現を深めるべきものだろうと思っています。
2020.06.23 Tuesday
「形式論理学と超越論的論理学」(エトムント・フッサール著 立松弘孝訳 みすず書房)を先日から読み始めています。本書は本論に入る前に「序論」があります。ここでは本書を執筆するに至った動機が述べられていますが、これについて到底私は簡単にまとめることが出来ず、その都度気になった文章を拾い上げることにしました。まず、学問とは何かについてです。「新しい意味での学問はプラトンによる論理学の基礎づけによって初めて成立するのであり、そしてその論理学とは、《真の》知識と《真の》学問の本質的な諸要求を究明し、そうすることによって学問の諸規範を明示する場であった。」諸科学の隆盛が論理学との相互関係を逆転させてしまっていることを憂いたフッサールは、こんなことも書いています。「論理学は、学問の純粋な本質的諸規範をそれらすべての本質形態について考察することによって、諸学を原理的に指導し、諸学が自ら真の方法を形成して、その進路のすべての段階で自らその責務を果たしうるようにすべきであるのに、今や論理学は論理学自身の学の理想と問題提起においても、事実学に、とりわけ人々が驚嘆する自然科学に導かれることに甘んじている。」また本書の目的として「真の学問の理念を学問の規範である論理学へ歴史的に回帰させることによって喚起させる一つの道」と述べています。論理学自身はどうかと言えば「この論理学の課題自身も、学問一般の真の意味を明らかにして、それを明確に理論的に開明することでなければならない。」としています。これについては「形式論理学本来の意味の志向的開明」であるとして「この開明は歴史的な経験が概観的にわれわれに提供してくれる理論的な形成物〔=概念や判断〕から、すなわち形式論理学の伝統的な客観的内容を組成している事物から出発して、それらの形成物を〈意味形成物として成立させた論理学者たちの生き生きとした志向〉の中へ引き戻すのである。」本書は第一篇「形式論理学の基本的概念の三層構造」と第二篇の「主観的ー論理学的な事柄」で成り立っています。加えて第二篇では「主観の側にかかわる意味の諸問題はすべて、自然な人間の主観性の諸問題すなわち心理学的な諸問題ではなく、超越論的な主観性の諸問題、しかも(私が導入した)超越論的現象学の意味での諸問題だ」と述べられています。うーん、頭を論理学とは何たるものかに切り替えていかないと、これは容易に読破できないかなぁと思いつつ、本書を閉じました。今日はここまでです。
2020.06.22 Monday
「石を聴く」(ヘイデン・ヘレーラ著 北代美和子訳 みすず書房)は「イサム・ノグチの芸術と生涯」を扱った評伝で、今回は第12章「自然に理由を見つけるために」と第13章「大地との固い抱擁」のまとめを行います。本書は2ヶ月読書を控えていて、久しぶりに戻ってきたのでした。というのはイサム・ノグチの母の伝記「レオニー・ギルモア」(エドワード・マークス著 羽田美也子 田村七重 中地幸訳 彩流社)を先に読んでいたためです。芸術家が誕生する契機とはどんなものか、母の生涯を通して私はその背景を探りたかったのでした。そこを踏まえてノグチの東洋への旅をまとめてみたいと思います。第12章の舞台は中国です。奨学金を得て、ノグチはまず中国の北京に滞在しています。「北京で過ごした日々、ノグチはできるかぎりすべての中国美術をむさぼるように吸収した。15世紀の寺院『天壇』に魅了された。ノグチによれば、そのフォルムは宇宙と地球の関係観念を表現した宇宙論を意味する。広大な寺院群のなかでノグチにもっとも強い印象をあたえたのは、円と正方形を組み合わせた段状の木造建築だった。」後年、ノグチの制作した公共的な彫刻作品に、円と正方形が象徴的な意味をもって登場してくるのは、この時期の影響かもしれません。次の第13章では日本への旅が綴られています。父野口米次郎との確執で微妙な関係だったにも関わらず、ノグチは京都を訪れています。「ノグチは京都で暮らした4、5ヶ月を『大いなる内省と沈黙の時期』と呼ぶ。『なにか原始の素材でアイデンティティを求めながら』『大地との固い抱擁』を楽しんだ時期だった。」この時期は陶芸に親しんでいたようです。「子ども時代に母から手ほどきをうけた仏教庭園の再発見は、彫刻のとりくみについて新たな考え方を促した。ひとつの彫刻が自己規定されたオブジェである必要はなかった。それは空間や庭園でもあるうるし、大地もまたアートの素材たりえた。」ここには重要な空間解釈があって、共感と共に私の心を打ちます。「日本に対するノグチの感情は曖昧なままにとどまった。わが目で見た外国人排斥と軍国主義はノグチにとって嫌悪の的ではあったが、それでも日本文化に対する情熱は消えなかった。」
2020.06.21 Sunday
梱包用木箱は東京銀座での個展が始まった当初から、陶彫部品を収めるために作っていますが、昨年から美術品運送業者の指導を受けて、木割を合板の補強として使った木箱を製作しています。昨年作った木箱の余り材料があったので、作り方を思い出しながら、今日から実際に木箱を作り始めました。今回個展に展示する陶彫部品も数が多く、幾つくらい木箱が必要なのか見当がつきませんが、搬入までの残りの週末は全て木箱作りと収納に費やします。昨年は電動タッカーを購入して作業効率を上げたことも思い出しました。昨年の木箱は全てロフトに上げているため、それらを一時保管していた場所が空いているので、今年もそこに収納が終わった木箱を積んでいこうと思っています。幸い今年の陶彫部品は昨年に比べるとやや小さめなので、規格の木箱からはみ出る心配はなさそうです。まず余り材料で5つくらいの木箱は用意できそうですが、今年も合板や木割材を補充しなければならず、それは来週末に建材店に行こうと思っています。今月中に何とか目途が立つでしょうか。合板をどのくらい使ったのか、木割材がどのくらい必要なのか、昨年の記録が残っていたので助かりました。今日も午前中は梱包用木箱作りに充てて、午後からは最新作品の彫り込み加飾を行ないました。最新作品2点目の陶彫部品は大き目の作品なので、なかなか手間がかかります。半日しか制作できないので、思うように進みませんが、梱包だけで一日を過ごすよりは、多少なりとも創作活動に関われた方が精神的な充実が図れて満足できます。今日も先週に続き、美大受験を考える高校生がデッサンを描きに工房に来ていました。描写の調子を上げつつある彼女は、デザイン系の構成をやりたいと言っていました。このデッサンが完成すれば、平面構成をやらせようかと思っています。工房に出入りしている先輩大学生の受験の時の平面構成があるので、それを参考に平塗りを教えていこうと思っています。私は高校時代に色彩が駄目で工業デザイン進学を諦めた過去があり、平面構成に関しては複雑な心境ですが、工房に出入りしている子たちは皆んな色感があり、私よりも優れたデザイン適性を持っていると思っています。そんなことを考えながら彼女のデッサンを見ていました。