Yutaka Aihara.com相原裕ウェブギャラリー

note

  • Tag cloud

  • Archives

  • 6月RECORDは「橙」
    今年のRECORDのテーマは色彩です。「白」、「灰」、「藍」、「紅」、「緑」に続いて今月は「橙」にしました。これは橙色と言う意味で、橙の果実を指すものではありません。果実を指すのであれば、橙が橙色に色づくのは冬なので、今の季節には橙は相応しくないのです。因みに果実の橙はミカン科の常緑木で、面白い特徴があることを知りました。橙は正月飾りに使われる縁起物ですが、その理由が分かりました。橙は実が何年も木についていて落ちることがないのです。冬に橙色になり、暖かくなると青くなります。それを繰り返すため、橙は「回青橙」と言われ、長寿に見立てて縁起物の扱いをされるようになったのです。そのまま食べても苦みや酸っぱみがあって美味しいとは言えませんが、色彩の微妙な感じは美しいと思っています。色彩をテーマにするようになって、私は日本の伝統色を調べるようになりました。その名称が面白くてイメージが膨らみます。工房に出入りしている若いスタッフの中に日本の伝統色に興味を持って、そこからコトバを紡いでいる子もいます。確かに季節感や情緒を感じさせる名称が、いかにも詩的な興趣をそそるのかもしれません。橙色もそうですが、微妙な色彩ニュアンスがあって、1ヶ月のテーマとしてはイメージが限定されて難しいかなぁとも思っています。ただ、単純な12色の色相環ではなく、日本の伝統色を意識しているのには絵画世界を創りやすい心情が働いているとも言えます。色彩には心理的なものを表現できる強みがあり、それをRECORDで獲得できないかぁと思っているのです。現在は仕上がっていないRECORDが山積していて、悩ましい状態が続いていますが、少しずつ挽回を図りたいと思っています。
    イメージの更新
    新作のイメージはどういう場面で湧いてくるのでしょうか。私の場合は現行の作品制作が佳境を迎えているか、また課題に突き当たって困難を極めている時に、ふと湧きおこることが多いと感じています。現行の制作に落ち込んでいる時に、天上から新たなイメージが降りてきた経験もあります。現実逃避なのかとその時は思いましたが、そう感じてしまうほど藁にも縋りたい気分だったのでしょう。新たなイメージが湧きおこった時に、紙に描き留めておく作家も多いと思いますが、私は敢えて記録に残しません。記録より記憶を大事にしていて、数多いイメージの中から取捨選択があるまで心に留めておくのです。イメージは繰り返し登場してきます。一度で忘れるイメージもあります。その中でほぼ決まってきたイメージはさらに更新をしていきます。創作活動においてイメージを心に描いている時が一番幸福な時かもしれず、また作品が完成した時に当初のイメージを確認する時にも幸福を感じます。作品完成の確認は先日の図録用写真撮影の一コマでした。それはじっくり見て考えるものではなく、瞬時に感じてしまうものなのです。現在は新たなイメージが更新されて、さらに具体的な形態が浮かび上がっています。最初のイメージは箱の中に収まる世界を陶彫による集合体で表現しようと思っていました。イメージが更新されるにつれて次第に箱という枠が外れてきましたが、それでも矩形を留めています。箱は床置きにしようと思っていて、地を這うイメージはそのまま継続されています。最新作は床に広がる世界です。まだコトバで説明できない朦朧としたところもありますが、とりあえず来週末に最新作になる陶彫部品を1点作ってみようと思っています。厳密な全体設計図はなく、手を動かしながら具現化を辿っていく方法を私はとっています。
    「第5章 神奈川時代」について
    「レオニー・ギルモア」(エドワード・マークス著 羽田美也子 田村七重 中地幸訳 彩流社)の「第5章 神奈川時代」についてのまとめを行います。世界的彫刻家イサム・ノグチの母であるレオニー・ギルモアはどんな生涯を送ったのか、本書の頁を捲りながら彼女の人となりを考えていきたいと思います。「レオニーとイサムは四年半東京に住んだ。大森には一年足らずしかいなかったが、1911年秋には、今度は更に南に下り、横浜も越えて、海辺の町茅ヶ崎へと引っ越した。~略~茅ヶ崎は、東京から南西へと伸びた神奈川県にあり、レオニーはここで残りの日本での生活を送った。」とある通り、茅ヶ崎では子爵の別邸を借りていましたが、そのうち自分たちの家を建てることになります。その間中、友人のキャサリン・バネルへ宛てた手紙で当時の生活を知ることが出来ました。イサムの妹アイレスが1912年1月27日に誕生していますが、相手が誰なのか定かになっていません。イサムがインタビューに答えた記事があります。抜粋して紹介します。「私は二重のバックグランドを持っているわけです。とりわけ六歳かそれ以前ー多分、五歳か、六歳ごろから10歳まで、茅ヶ崎の田舎に住んでいた間にね。~略~そこには外国人の子供は一人もいなくて、僕の友達はすべて日本人の子供でした。~略~沢山の友達を持ったことはありません。何の思い出もありませんよ。実際、それはこっち(アメリカ)に来てからも同様です。素晴らしい友情を育むことはありませんでした。僕は孤独な人間だったのです。~略~母はすごく物静かな人でした。ちょっと引っ込んだ感じの人でした。全然自分を前に出すところがなくて。だから彼女の人生はとても孤独でした。友達もあまりいませんでした。それが僕に影響しているんだと思います。~略~結局、どんな社会にも属せない人間は、社会と接触しない人生に価値を見出すことができるというわけです。例えば、芸術家になり孤独になるということです。芸術家の生活というのは本当に孤独なものです。孤独な時にのみ、本当に創り出すことができるのです。もし孤独でなかったら、社交的でいい感じの人でしょうが、決して駆り立てられないでしょう。結局、芸術というのは、絶望から駆り立てられるのです。人間は自然にしていれば怠惰なものです。駆り立てられない限り、何もしないのです。」イサムは母より一足早く日本を離れて渡米します。イサムはレオニーが考えていた学校には入れず、アメリカの公立学校に入れられたことを後になってレオニーが知ることになります。レオニーとアイレスもいよいよ渡米する日が近づいていました。今回はここまでにします。
    横浜開港記念日について
    今日は横浜開港記念日です。私たちの職種は例年開港を祝って休日となるところを、通常勤務が始まったばかりのこともあって、今日は勤務を要する日になりました。横浜市の公務員である私は、横浜開港記念日について知っていなければならないものであるにも関わらず、その由縁をきちんと把握していないために、私自身が恥ずかしい気もしています。今日は横浜開港記念日について調べたものを書いてみたいと思います。横浜市から出ている情報によると、開港記念日が制定するまでに紆余曲折があったようです。「最初に調印された日米修好通商条約では、1859年7月4日に開港することになっていましたが、結局アメリカ、オランダ、ロシア、イギリス、フランスの5カ国すべてに対して 旧暦6月2日に開港されることになりました。もともと神奈川が開港の候補地とされていましたが、 東海道沿いで外国人とのトラブルが予想されたため、 当時、辺鄙(へんぴ)で取り締まりやすい横浜の地が選ばれました。 横浜は水深も十分あり、港として優れていたため、開港後は急速に発展しました。当年の開港当日は特に祝賀行事も行われませんでしたが、1周年にあたる万延元年の6月2日に、山車や手踊りで街中あげて開港を祝ったのが、開港記念日の始まりです。」これによると現在の神奈川区は東海道沿いで多国籍間で問題があったため、そこより田舎の現在西区・中区があるあたりが選ばれて開港になったようです。今年は開港161周年に当たります。それでは横浜開港祭はいつごろ始まったのでしょうか。「横浜開港祭は、1981年に『国際デープレ横浜どんたく』として開催されたのが始まりで、翌1982年に『’82国際デー第1回横浜どんたく』として正式に始まりました。1984年の第3回より『横浜どんたく』となり、1993年の第12回より『横浜どんたく開港祭』、1995年より『横浜開港祭』となり、2020年度第39回を迎えるに至りました。横浜開港祭は、例年、港に感謝し、市民と共に横浜の開港記念日である6月2日を祝い、賑わいのある様々な催しを実施し、まちづくりと観光の活性化を図るために開催される”市民祭”です。」毎年パレードがあって私は楽しみにしていましたが、今年は新型コロナウイルス感染症のために中止になっています。来年は盛大に行なわれることを期待しています。
    仕事再開の6月に…
    新型コロナウイルス感染症の影響で、6月になって漸く仕事が通常勤務になりました。ただし、感染症対策は怠りなくやっていかなければならず、完全に仕事が回復した状態ではありません。それでも職場で全員が顔を合わせるのは、本当に久しぶりでした。今月はさまざまなところで再開があり、待ち望んでいた美術館・博物館や劇場・映画館の再開を嬉しく思います。創作活動は緊急事態宣言が出されている時も関係なく続けていたので、これは世情に左右されるものではありません。昨日は図録用の写真撮影を行い、新作は何とか完成した状態にもっていきましたが、修整箇所が大変多く、今月は修整しながら陶彫部品や厚板材の梱包に入りたいと考えています。それと同時に来年発表する予定の最新作に取り掛かろうと思っています。私はひとつの作品が完成すると、すぐに次作に取り掛かります。そのタイミングで休憩は取りません。休憩は制作途中で取るのが私の流儀です。作品の世界はずっと継続していくもので、作品の完成前に次なるイメージが湧いて出てきます。それをすぐに具現化したい欲求が私にはあるのです。来週末には最新作の陶彫部品第1号を作ります。陶彫制作が順調な分、RECORDが厳しい事態になっています。私はどんな場所でも小さな平面作品であるRECORDを作ることができると自分を買い被っていました。ところが自宅のリフォーム工事があってダイニングの食卓が使えなくなると、忽ちRECORDの彩色が出来なくなってしまうことに唖然としました。RECORD制作も環境を整えることが必要なのかと思った次第です。今月も読書は継続していきます。読書がやや現実逃避になる傾向が私にはあり、きっとそうだからこそ生活のバランスをとっていられるのかもしれません。今月は先月できなかったところを補えればいいなぁと思っています。