Yutaka Aihara.com相原裕ウェブギャラリー

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  • コロナ禍の6月を振り返る
    職場が少しずつ正常を取り戻していく中で、やはりコロナ禍の影響はまだ残っています。今月は職場関連の会議が漸く可能になり、外会議も増えてきました。人と人とが顔を合わせて話し合う大切さを改めて感じた1ヶ月になりました。今月の週末は専ら梱包作業ばかりだったと記憶していましたが、母の残した遺産相続に関する書類収集もあって、家内と行政機関に出かける機会もありました。個展出品用に新作の修整をする場面もありました。修整はまだまだ必要で、陶彫部品を箱詰めする際にもやっていこうと思っています。今月は久しぶりに美術の展覧会に出かけました。東京の板橋区立美術館で開催していた「深井隆ー物語の庭ー」展では、やはり実際に作品に接すると、木彫という素材感が直接伝わってきて、快い気分になりました。美術館には足を運んだものの、まだ映画館や劇場には行けないなぁと思っています。創作活動では最新作品の陶彫部品を作り始めました。現在2点が乾燥を待っている状態です。一番困難を感じているのはRECORDです。RECORDの遅れはコロナ禍の影響ではありません。自宅のリフォーム工事があって、ダイニングが使えなかったことが影響をしているのです。葉書サイズの小さな平面作品くらいどこでも制作出来ると思っていたことが、制作場所として食卓を使っていた日常が失われてしまったことで、かなりの遅れを取り戻せていない状況を作ってしまいました。下書きはあるにしても、下書きを描いた日にどうしてこんな世界を創造したのか、当初のイメージが思い出せないのです。ここで制作を止めてしまいたくはないので、何とか頑張っていこうと思っています。読書は彫刻家イサム・ノグチ関連の書籍に加えて、現象学者フッサールの論理学に纏わる難解な書籍を読み始めました。今や読書は私にとって課題解決のための大いなる仕事です。来月もロダンの如き考える人でありたいと思っています。
    2020年図録の色校正確認
    新型コロナウイルス感染の影響で、今年の個展が危ぶまれましたが、何とか例年通りに開催が決まって、私はホッとしているところです。週末は来月19日の搬入日に合わせて、梱包作業に追われています。同時に過日、図録用の写真撮影をしましたが、今日色校正用の原稿が出来上がり、カメラマンが自宅にやってきました。図録は今回で15冊目になります。15年間ずっと同じサイズ、同じ頁数で図録を作ってきました。東京銀座のギャラリーせいほうも、毎年同じ時期に個展を企画していただいているので、ギャラリー年間計画の中で定番になっている感じがいたします。もし、今年東京オリンピック・パラリンピックが開催されていれば、個展がオリパラ開祭式に被ってしまい、どうなっていたのでしょうか。世情とは関係なく、いつも通りというのが私は好きなので、オリパラが延期になった今はこれで良しと思っています。図録は我ながら良い出来栄えではないかと思いました。例年に比べても遜色はありません。新作は屏風の色彩に今までとは異なる感覚を取り入れました。それが工房周囲の樹木の緑色と相俟って心地よい雰囲気を醸し出していると感じました。撮影は野外と室内で行なったので、空間の感じが違っていて、どちらも気に入りました。案内状は1500枚の印刷が終わっています。1000枚はギャラリーせいほうに持参していくつもりです。個展に向けて気持ちを高めていきたいと思っています。
    週末 梱包作業に追われる②
    昨日に続いて今日も朝から工房に篭り、梱包用木箱作りを行ないました。7箱作ったところで木材が足りなくなりました。昨日建材店に行って木材の追加注文をしてきたので、今日の午後3時過ぎにベニア板材を取りに行ってきました。木箱作りはすっかり慣れてきました。とりあえず20箱を作ろうと思っています。今日は建材店に行くまでに多少時間が空いたので、最新作品の彫り込み加飾をやっていました。2点目の陶彫部品は高さ50cmあって、これが一段目になります。さらに上に陶彫部品を積み上げていく予定です。最新作品は直方体に矩形模様を彫り込んだものを数多く作っていく計画でいます。今日は朝のうち雨が降っていましたが、午後になって曇りに変わりました。工房には毎週来ている美大受験生がデッサンを描きに来ていました。昼過ぎに染めのアーティストが工房に顔を出しました。工房に置いてあった染め粉や道具を取りに来たようで、作業台の下やロフトにあった道具を車に運んでいました。静岡で仕事があるとのことで、自分の技能で仕事が出来るのは幸せなことではないでしょうか。昨日来た文学系の子もそうですが、最近の工房スタッフは若返りが見られています。10代の子たちがやって来るようになるとは、俄かに信じ難いなぁと思います。これから自己表現活動を行なう子たちは、まさにスタートラインに立ったばかりで、真摯に自己発展を求める道と横道に逸れる迷いが生じて、決して安定した状態ではないはずです。ただし、工房という空間環境が迷いを遮断するものではないかと察していますが、どうでしょうか。私は創作活動にしても、今のような梱包作業にしても、コツコツ地道にやることで物事を達成してきました。彼女たちも同じかもしれません。私はまた来週末も梱包作業に追われているはずです。
    週末 梱包作業に追われる①
    週末になりました。朝から工房に篭って梱包用の木箱作りに精を出しました。昨年から木割を補強材として取り入れた木箱作りをやっていて、昨年の作り方を思い出しながら数点の木箱を作りました。工房の床に置いてある陶彫部品の数をざっと見積もると、20箱くらいは必要かなぁと思いました。ベニヤ板も木割も足りないことが分かって、今日は建材店に行ってそれらを補充してこなければなりませんでした。梱包用の木箱作りは創作活動ではありませんが、自分にとって退屈な仕事ではありません。祖父が大工、その先代も大工をやっていたおかげなのか、私はこうした仕事が苦にならず、寧ろ楽しんで出来ることを幸いに感じています。梅雨の鬱陶しい季節ですが、工房にいる間中、梱包作業に追われていました。今日は工房に若いスタッフが顔を出していました。毎週来ている美大を受験する高校生ではなく、同じ高校生でも文学をやっていきたいと考えている子で、彼女は詩や随想を書き溜めています。高校時代は私も詩人に憧れていた時期がありました。私の実家には文学的な環境が整っていなかったために、文学全集などは一冊もなく、詩に触れたのは高校の教科書を通してでしたが、授業の中で扱った詩の世界に惹かれてしまったのでした。私はコトバを操ることを途中で諦めて、美術の専門家になるべく人生の舵を切ったのでしたが、彫刻家になっても詩的な世界観がなければ創作活動は出来ないと今でも思っています。一緒に昼食をした時に、彼女のノートを見せてもらって、その初々しい感性に溢れたコトバに接しました。現在はネット社会であり、疑似体験が容易に出来ることが利点でもあり、また難しい点でもあることが分かりましたが、いずれにしても自分が感じたことを、コトバを通して表出できることは素晴らしいと思いました。この世界を継続して欲しいと願ってやみません。夕方、彼女を車で送りながら建材店に材料の買出しに行ってきました。ベニヤ板材の切断数が多いことと店が閉まる間近だったことで、ベニア板材の引き取りは明日になってしまいましたが、梱包作業は明日も継続する予定です。
    イサム・ノグチ 社会的彫刻と壁画運動
    「石を聴く」(ヘイデン・ヘレーラ著 北代美和子訳 みすず書房)は「イサム・ノグチの芸術と生涯」を扱った評伝で、今回は第16章「社会的目的をもつアート」と第17章「メキシコ」のまとめを行います。1933年に連邦政府によるアートプロジェクトの最初のひとつである芸術計画公共事業(PWAP)は始動したけれども、ノグチの作品は認められず、名簿から外される辛い仕打ちを受けました。そんな中で社会的な意味をもつ話題作「死」が作られました。「ノグチが『ニューヨーク・タイムズ』に語ったところによれば『人間に対する人間の非人間性』に対する抗議だった《死》の輝く身体は、炎の熱を避けようとするかのように脚を曲げ、死の苦しみに身をよじっている。ドラマにさらに切迫性をあたえるために、ノグチは像を本物のロープで金属の絞首台から吊るし、それによって鑑賞者をもこの犯罪の加担者とする。」また舞踏家マーサ・グレアムの舞台装置を手がけ、新たな空間を創出しています。「グレアムと仕事をすることでノグチは空間を彫刻し、装置をダンサーの動きの一部にできた。『マーサの場合、魔法のようなその小道具の使い方は驚異的だった。マーサは小道具を自分自身の身体の延長として使った』。『彫刻だったのはロープではない。ロープが創造した空間、それが彫刻だ』」。次の章ではメキシコに旅立ったノグチが、プロパガンダ的な壁画運動に参加したことが書かれていました。「ノグチは1935年最後の2ヵ月間に壁画レリーフの仕事をし、1936年はじめに完成させた。8ヶ月間のメキシコ滞在は最近のニューヨークでの怒りと欲求不満を鎮めてくれた。」また壁画運動の旗手ディエゴ・リベラの妻フリーダ・カーロとの情事もあったようです。「カーロは当時28歳、その美しさの絶頂にあり、ふたりはすぐに情事を始めた。官能的な唇とつながった二本の眉の下の突き刺すような視線、カーロはありきたりの美女よりもはるかに強くノグチを魅了した。」メキシコでは刺激的な日々を過ごしていたようです。