2020.07.10 Friday
「石を聴く」(ヘイデン・ヘレーラ著 北代美和子訳 みすず書房)は「イサム・ノグチの芸術と生涯」を扱った評伝で、今回は第22章「アンへの手紙」と第23章「ノグチとマーサ・グレアム、情熱的なコラボレーター」のまとめを行います。第22章では前章から続いているアン・クラークとの情熱的な愛がさらに加速していく過程を描いています。「結婚がノグチのテーマになり、アンを呼びもどすための策をたえず考え、自分はアンが双子の面倒を見るのを手伝えると言って説き伏せようとした。」また、作品制作では「1944年から45年にかけてのノグチの彫刻のいくつか、たとえば官能的な《ヌードル》や《タイム・ロック》はアンに対するノグチの愛情を反映しているようにみえる。」アンは南米チリにいて「アンは、ふたりでともに人生をつくりあげていくことのむずかしさを認めていた。それは『計画と労働と犠牲』を要求するだろう。」と考えていたようです。そんな折、ノグチに成功を齎せた表現活動がありました。第23章で描かれているマーサ・グレアムとの協働です。「アン宛の手紙では舞台をデザインするのは金を稼ぐためだと言ってはいたが、彫刻として機能し、ダンサーの動きの一部となる舞台装置の制作に夢中になっていたのは明らかだ。~略~舞台装置は主として着色した木製のオブジェで構成され、1944年に制作を開始したバイモルフィックな穴の開いたスラブ彫刻にきわめてよく似ている。これらのオブジェは明らかにミロやイヴ・タンギーのシュルレアリスム絵画、そしてミロに想を得たゴーキーの一部の作品に見られるフリーフォームから着想を得ていた。」舞踏家グレアムとの関係に触れた文章を引用します。「30年以上にわたるノグチとグレアムのコラボレーションは、ほかに類のない創造の対話だった。アーティストとして、そして人間として、ふたりはおたがいを理解し、尊敬し、深く愛し合った。情熱的なコラボレーターではあったが、愛人関係はなかった。~略~京都で訪れた庭園や寺院に対するノグチの愛は、ノグチによるダンスの舞台装置の切り詰めたフォルムを性格づけた。日本の遊歩式庭園とノグチの舞台装置のどちらにとっても重要な要素は、空間を通過する肉体による経験である。」
2020.07.09 Thursday
職場から年休をいただいて、自分の用事を済ませてきました。ひとつは歯の治療です。身体を酷使するとぼんやりと左上の奥歯が痛くなっていました。治療済の歯だったので、これはどうしたものだろうと思いました。とりわけ週末の創作活動の後は、ウィークディ以上に歯が痛みました。新型コロナウイルス感染拡大の影響で歯科医院に行くのが憚れましたが、そんなことも言っていられないので、万全の対策をして行ってきました。歯の噛み合わせが悪いのかもしれないため、そこの部分に治療を施し、暫く様子を見ることにしました。ついでに歯のメンテナンスもしてもらいました。歯のレントゲンを見ると、私は差し歯等の治療した歯がいっぱいあって、決して歯が丈夫とは言えないのですが、その都度治療に行って何とか現状を保っている状態です。歯は大事にしたいなぁと実感しました。今日は車検もあって、愛用している車をディーラーに預けてきました。私が乗っている光岡自動車は他社製のベースカーというものに光岡製の車体を乗せているので、車検はベースカーである日産で行っています。私はメカニックには疎くて、性能は一般的な普通レベルで充分なのですが、外観には気を使います。美術を専門とするためなのか、私にとってスタイルが大事なのです。とりわけクラシカルな雰囲気が好きで、前にPTクルーザーから光岡ビュートに乗り換えました。因みにビュートは2台目になります。洒落っ気たっぷりな車ですが、彫刻の板材を運ぶときは不便さを感じます。洗車を怠るとちょっと気恥ずかしくもなります。目立つ外観なので奇麗にしておかなければならないかなぁと思っているこの頃です。
2020.07.08 Wednesday
今年のRECORDは色彩をテーマにしています。一日1点ずつポストカード大の平面作品をRECORD(記録)と称して作っていますが、一日で作品が完成せず、下書きだけで終わってしまう日が多くあります。下書きには色彩がありませんので、下書きばかり先行している現状は危機的状況です。それでも今月のRECORDが既に始まっていて、今月は「朱」に決めています。4月のRECORDで「紅」を取り上げましたが、赤系列の色彩としては2度目です。今回も日本の色彩用語の中から色彩を選んでいます。西洋の色相環とは異なり、日本には情緒のある微妙な色彩があって楽しいなぁと思っています。若い頃の自分は色彩表現が苦手で、デザイン分野に進学することを諦めました。色彩が楽しいと感じたのは、20代後半に滞欧生活があったからと言えます。ヨーロッパの人たちの色彩に対する感覚は、なかなか優れていて、色彩の取り合わせが大胆かつ繊細だなぁと思いました。ヨーロッパは1年間を通じて鬱陶しい曇り空の日が多く、建物もグレートーンでしたが、その中で目に染みるような鮮やかな色彩があると、単調な風景の中でハッと驚くような刺激をもらいました。たとえばそれはファッションであったり、グラフックデザインであったりしましたが、それは原色ではなく何か少量が混色している色彩で、その取り合わせによって色彩が輝くような効果を齎しているのです。日本の味わいある色彩に触れたのもヨーロッパでの経験で、海外の人の眼を通して日本には素晴らしい色彩文化があると再認識をしました。「朱」はそうした色彩のひとつです。他の色彩と組み合わせることによって朱色が強調されるようなRECORDを目指します。
2020.07.07 Tuesday
「形式論理学と超越論的論理学」(エトムント・フッサール著 立松弘孝訳 みすず書房)は本論に入る前に「序論」があり、さらにそれに続く「予備的な諸考察」もありました。今回は「予備的な諸考察」の全11節のうち第5節~第8節のまとめを行います。この書籍は少しずつしか噛砕くことが出来ず、そのつど抽出した文章を載せて留めることが私に出来るまとめとしての限界ですが、諸学問に内在する論理学の在り方をさまざまな論考で述べていて、聞き慣れない語句に戸惑うこともあります。まずアプリオリですが、先天性の概念とでも訳すのでしょうか。「原理的な学問論としての論理学は《純粋で》《アプリオリな》各種の一般論を明示しようとする。~略~この論理学は既存のいわゆる諸学、すなわち学という名で諸事実になった文化の諸形態を経験的に追跡して、それらについて経験的な諸類型を抽出しようとするのではない。そうでなく、論理学にとっては範例的な批判の出発点を与えるだけの事実性とのあらゆる結びつきから解放されて、純粋に理論的な関心のあらゆる働きの中で漠然と念頭に浮かぶ、いろいろな目的理念を完全に明確にしようとするのである。」論理学の形成的性格に関する文章で、偶然的なアプリオリという概念が登場します。「主観性一般が、非常に多様な諸内容の中で引き続きわれわれが明証的に獲得する本質形式で考えうるのは、われわれが自分自身の具体的な主観性を直観によって開示し、そしてその主観性の現実を具体的な主観性一般の諸可能性へ自由に転換することによって、われわれの眼差しを、その際に観取される不変的要素へ、すなわち本質必然的な要素へ向けることによってのみである。」また「論理学が抜群の規範的機能をもつことは自明である。~略~論理学は規範的になり、実践的になる。見方を適宜変更すれば、論理学は規範的ー技術論的な学問に転換されうる。」とありました。また論理学の二面性について、こんな文章も拾っておきます。「どの場合にも問題になるのは理性の諸能作であり、しかも〔一方では〕能作する諸活動と各習性であり、そして他方では、それらの活動と習性によって能作〔つまり作成〕される不変の諸成果という、この二重の意味での理性の諸能作である。」今日はここまでにします。
2020.07.06 Monday
「形式論理学と超越論的論理学」(エトムント・フッサール著 立松弘孝訳 みすず書房)は本論に入る前に「序論」があり、さらにそれに続く「予備的な諸考察」もありました。今回は「予備的な諸考察」の全11節のうち第1節~第4節のまとめを行います。まとめと言っても重厚な考察を簡単にまとめることが出来ず、気になった文章を抽出することでまとめに変えたいと思っています。まず冒頭でロゴスをいくつかの語義の中から論述という語で表すことにしたという文章がありました。「ロゴスがもつ論述という意味によれば、われわれは主に、主張する思惟作用へ、通常の語義での判断する思惟作用へ、というよりはむしろ思想としての諸判断へ導かれるであろう。」次の節ではイデア性が登場します。このイデア性の特徴として「言語はいわゆる精神世界の、あるいは文化世界のいろいろな対象の客観性を保持しているのであって、たんに物理的な自然のそれを保持しているのではない。」さらに「論理学者にとって言語は当面まずそのイデア性の面だけが、つまり〈現実の実在化や可能な実在化とは対照的な、同一の文法上の語〉や〈同一の文法的な文および文の連関〉だけが問題になる、ということである。」第4節では意味指示機能をなしうる思惟作用のことをこのように論述されていました。「この最も一般的な《思惟作用》の範囲を本質的に限定する問題、つまり範例的な諸直観から本質を一般化してえられる本質類を明示すべき範囲限定の問題、しかもこの《思惟作用》のすべての特殊形態にとって類的に諸表現が形成され、そしてそれらに対してそれぞれ特殊な思惟作用が意味付与するであろうということが、洞察しうるような範囲限定の問題である。」今日はここまでにしますが、通常の生活では聞き慣れない語彙が頻繁に出てくる本書は、内容には入り込むまでに時間を要します。そもそもこれはどういうことかという基本に立ち返って考えてみる必要があるわけで、そこを困難と感じるか否かで、本書に対する取り組む姿勢が変わってくると思っています。