2020.10.11 Sunday
横浜は台風の影響から離れていたために、今日は曇り空が広がる一日でした。私は朝から工房に篭って制作三昧の一日を過ごしました。昨日タタラを数枚用意していたので、今日はそれらを使って新作の13点目になる陶彫成形を行ないました。今回の成形は今までの直方体ではなく、変形した形態を作りました。新作は大きな円形が土台にあり、円形の中心に近くなるほど陶彫部品の設置面が小さくなります。底辺の図形が正方形から台形に変わり、上に伸びるカタチは斜面のついた三角形になります。今日は通常作っている直方体ではなく、円形の中心に位置する変形の形態を作りました。今後はこうした形態を作ることが増えていくのではないかと思います。高さの調整も必要になるのですが、まだ出来ている陶彫部品が少ないため、今のところは高さの調整は考えなくて済みそうです。とにかく部分を作っているうちは気が楽で、近視眼的な視点で済みますが、陶彫部品の数が増えてくると全体を把握しなければならず、そうなると結構骨の折れる作業になっていきます。陶彫部品は労働の蓄積で、数量が満たされないうちはどうにもならないのです。今月は通常の週末しかなく、長い休日がとれないので、陶彫部品を作ることに専念しようと思っています。10月になって芸術鑑賞には適した季節になり、どこかに出かけたい思いに駆られることもありますが、とりあえず只管作ることに週末を使おうと思っています。行きたいなぁを思っている展覧会はあるのですが…。今日は美大受験生が一人工房に来ていました。彼女はデザイン科志望で平面構成をやっています。基礎的なことをコツコツ積み上げていく姿勢に好感が持てますが、彼女は無我夢中なのです。夕方、彼女を家の近くまで車で送ってきました。来週末も頑張ろうと思います。
2020.10.10 Saturday
週末になりました。台風14号の影響があって、昨日から終日雨が降り続いています。気温も急激に下がり、上着が必要になっています。昨日は外会議から帰る途中に日用雑貨店に立ち寄ってハンドスプレーを購入してきました。プラスチック製の安価なものですが、先日壊れてしまい、陶彫制作にはなくてはならないものだと認識しました。制作途中の陶彫部品は表面が乾かないように水を打ってビニールで覆っておきます。その水を打つためのハンドスプレーなのです。毎週末、制作途中で作業を中断することが多いので、工房にはビニールで包まれた陶彫部品が数点あります。成形だけで終わっているものや彫り込み加飾がまだ出来上がっていないものなどがあり、乾燥の具合を見て作業を進めていきます。今日の作業は彫り込み加飾2点と、明日の成形に備えて大きなタタラを数枚用意することでした。彫り込み加飾は前にも書きましたが、工芸的な作業で時間がかかります。今までの作品はひとつパターンが決まれば、全てその文様を彫り込んできましたが、新作は陶彫部品によってそれぞれ彫り込む文様を変えています。とは言ってもパターンの法則性はそのままにしておいて、デザインのバリエーションを増やしているのですが、これが手枷足枷になってなかなか厳しいものになっています。私は自分自身で法則を作って苦しんでしまうのが癖になっていて、自分で自分の展開力を試しているところがあるのです。新作は構築物としては単純な直方体が基本なので、彫り込み加飾で変化をもたせようとしています。陶土が粗いため緻密な文様は出来ませんが、それでも繰り返す文様は一定の美しさを保っています。これを造形全てを覆う飾りとしてではなく、立体に変化を齎す効果として扱っているのです。文様を施すことで立体に性格をもたせ、個性を引き出そうとしています。彫り込み加飾は、実のところ加飾ではなく、それ自体も立体の内容を雄弁に語る要素です。今日は朝9時から午後4時までの7時間を工房で過ごしました。ほとんど彫り込み加飾に費やしてしまいましたが、全て仕上がったわけではなく、今後も作業は続行です。明日は新たな陶彫成形を行なうので、彫り込み加飾はどんどん遅れをとってしまっている現状があります。昨日買っておいたハンドスプレーが活躍しました。
2020.10.09 Friday
「イサム・ノグチ エッセイ」(イサム・ノグチ著 北代美和子訳 みすず書房)を読み始めました。先日まで読んでいた「石を聴く」(ヘイデン・ヘレーラ著 北代美和子訳 みすず書房)では、ノグチの彫刻やそれを取り巻く空間の解釈に、私自身が自作を振り返って改めて彫刻の存在意義を確認することをしていました。ノグチの主張が私の造形思考の起点になっていることが少なからずあったからです。それならばノグチ自身が実際に著した文章を読んでみたいという衝動に私が駆られたとしても不思議ではなく、まだまだ私の頭の中はイサム・ノグチ・ワールドに占領されていると言えます。「イサム・ノグチ エッセイ」にはモノクロの写真が多く掲載されています。その写真を見ているだけで、私は彫刻に対する意欲が湧きあがってきます。冒頭の文章を少し読んでみると、ひとつずつの章は短く、また独特な言い回しがあって、意味を吟味しながら読み進めていく必要を感じます。それでもノグチはかなりの文章家であることが分かり、その思索には興味津々です。ノグチの師匠であるブランクーシに関する章もあり、また庭園に関する文章も散見され、他者が書いた伝記とは違う意味合いを感じながら読んでいきたいと思います。私は彫刻とは精神の産物で、それは思索によって支えられていると常々考えています。彫刻は、平面的な絵画と違い、立体構成物として空間に存在することが思索を促す要因になっていると思っています。それは現象学にも通じ、モノが存在する本質的な捉えとはいかなるものかを考えさせる動機にもなります。イサム・ノグチの著したものに少なからずそうした内容が含まれているはずです。私自身も思考を深めながら本書に向かい合いたいと思います。
2020.10.08 Thursday
「石を聴く」(ヘイデン・ヘレーラ著 北代美和子訳 みすず書房)は「イサム・ノグチの芸術と生涯」を扱った評伝でした。1904年に生まれ、1988年に没し世界的な名声を得た日系彫刻家イサム・ノグチは、彫刻の概念や空間の解釈に対し、私にさまざまな啓示を与えてくれた人でした。私の陶彫による集合彫刻の試行錯誤は、ノグチの示唆によって造形の方向が与えられました。本書の最後にあった箇所を紹介しながら本書を閉じたいと思います。ノグチは晩年になっても創作意欲は衰えず、また女性に対しても精力的でした。草月会館のプロジェクトに関わった建築家川村純一の妻京子とも深い縁になったことが書かれていました。また生涯で最も巨大なプロジェクト「モエレ沼公園」については「札幌市の廃棄物処分場、モエレ沼の広大な野外空間を訪れた。それは三方を豊平川の蛇行に囲まれた広い丘で、ごみが積みあげられていた。ノグチはすぐにそこが気に入り、400エーカーの空間すべてをひとつの巨大なーその全彫刻家人生で最大のー彫刻にしたいと考えた。」とありました。ノグチ亡き後、2005年に「モエレ沼公園」は完成しました。本書の最後に「この終わりがないという立場を維持しつづけたのは、ひとつにはあまりにも好奇心に満ちていたからである。~略~ノグチにとって家がないという感覚はひとつの起動力だった。『帰属への願望が私の創造の原動力となってきた』。さすらい人ノグチは、彫刻を制作することによって自分自身を大地に、自然に、世界に埋めこむ道を探し、発見した。」とありました。訳者のあとがきにも触れますが、こんな一文がありました。「東洋の美術家として石という自然が語ることに耳を傾けながらも、そこに自分自身の鑿の痕跡を残そうとしたという意味では、あくまでも西欧の彫刻家であった。」私は次に読もうと決めているのは「イサム・ノグチ エッセイ」です。本書を読み進めるにあたって、文筆活動もやっていたノグチの随想をも読んでみたいと思ったためで、私は翻訳されたノグチの書籍は全部読む計画でいます。
2020.10.07 Wednesday
「石を聴く」(ヘイデン・ヘレーラ著 北代美和子訳 みすず書房)は「イサム・ノグチの芸術と生涯」を扱った評伝で、今回は第50章「価値あるものはすべて贈り物として終わらなければならない」と第51章「京子」、第52章「始まりにも、終わりにも」のまとめを行います。この第52章をもって本書は終わりますが、ノグチの生涯と同じで最後に至るまでアートの情報が詰め込まれていました。まず日米2つの美術館建設の話題が掲載されていました。「誕生日を四国の私の避難所に庭園をつくることで祝う。それは未来への贈り物、そして私の母をかくまい、私に幼年時代の歳月をあたえてくれた国民への贈り物である。価値あるものはすべて贈り物として終わらなければならない、というのは正真正銘の真実である。」というノグチの一文があり、これは牟礼に建設した庭園美術館に関するものです。もうひとつはニューヨークのロングアイランド・シティに建設した美術館に関するもので「より静穏で拘束のない世界に運ばれていく場所として多くのニューヨーカーから愛されているイサム・ノグチ庭園美術館は、それ自体がひとつのアート作品である。」とありました。次に知名度を誇るヴェネツィア・ビエンナーレ出品に関する掲載があり、展示作品を巡って周囲の助言者とノグチの間に溝があったことが伺えました。「ディ・スヴェロはノグチに、こんなにたくさんの《あかり》を展示したらグランプリは獲れないと警告した。だがノグチは《あかり》は『商売とはまったく関係なく、ぼくが純粋の愛情からやったひとつのことだ』と言った。アメリカ人として栄誉を得ることで満足はしていても、ノグチはちょっと天の邪鬼的に自分の日本人の側を強調する展示を構成した。~略~《スライド・マントラ》創作のアイディアは、ノグチが1985年にアメリカ館で使用可能な空間を確認するためにヴェネツィアを訪れたときに生まれた。ノグチは中庭には白大理石の滑り台が必要だと考えた。~略~ビエンナーレのノグチの展示に対する反応はさまざまだった。ヨーロッパ人は作品の多様性にまごつき、《あかり》はアートではなく工芸品かデザイン・プロダクトだと考えた。」最後に「モエレ沼公園」建設の箇所がありますが、それを残して今回は終わります。