2020.06.20 Saturday
週末になりました。個展の搬入まで数えるくらいしか週末がない中で、出展作品の梱包を最優先していますが、つい作りかけの最新作品が気になってしまい、今日も梱包の後で、創作的な仕事を入れてしまいました。梱包は「発掘~突景~」の3本柱を1本ずつ包みました。ビニールシートにエアキャップを貼って、作品が傷まないように配慮しているのです。次の梱包は数多くある陶彫部品になるので、いよいよ木箱を用意しなければなりません。明日からの梱包は陶彫部品になります。午後からは最新作品に取り組みました。現在作っている最新作品は50センチの高さがある直方体で、幅は30センチあります。先週末に成形が終わっているので、彫り込み加飾の下書きをやっていました。この時期は梅雨とはいえ、陽が照ってくると夏本番の暑さになります。雨が降ると一転して涼しくなるため、どうも体調が思わしくなく、今日も工房で6時間ほど作業をしていましたが、身体に妙なダルさがあって、気持ちよく作業は進みませんでした。最新作品はイメージが見えているようで、曖昧なところが多く、彫り込み加飾の下書きも陶板の表面に鉄針であたりをつけてみたものの、気に入らないので全てやり直しました。彫り込み加飾は工芸的な作業ですが、実は手間も時間もかかります。彫り込み加飾は明日も継続になりました。1点ずつ陶彫部品を丁寧に作って、それを集めてひとつの世界を創出させる計画は、始めたばかりのこの段階ではまだ先が遠くて、全体図はぼんやりとした霧に覆われています。1点ずつ近視眼的に部品を作っていく作業は、精神的には楽な反面、最終的にはどんなものになるのかハッキリと見えず、多少の不安を抱えています。創作の面白さはまだこれから起こってくるもので、今は我慢を重ねていく制作工程にあります。一気呵成に出来ない集合彫刻の生真面目な歩みこそ、自分らしさが出ると私は思っていて、焦らず休まずをモットーにして頑張っていこうと思っています。
2020.06.19 Friday
私は久しぶりに難解な思考に網羅された専門書を読もうとしているのですが、今までもなかなかそれに手が出せず、若い頃のように途中放棄をしたくないため、これから読んでいく書籍には慎重にならざるを得ません。自分の頭脳を一定時間それに費やさないと解読が出来ないので、今の職場の立場で休憩時間が取れる時に、自分を追い込んでいくのが得策と考えることにしました。自宅でゆっくりしている時は絶対に頭に入ってこない領域のひとつだからです。職場での休憩時間は45分なので、それ以上その日は読まないこととして日々取り組んでまいります。「形式論理学と超越論的論理学」の著者であるエトムント・フッサールは現代に至る現象学の体系を創始したオーストリアの学者として知られた存在です。フッサールは最初数学者として出発しましたが、現象学を提唱にするに至って20世紀哲学の流れを作ったという情報もあります。嘗て私が読んだ「存在と時間」を著したマルティン・ハイデガーは、フッサールの弟子でした。フッサールとハイデガーは論理の齟齬から袂を分かつことになりますが、双方とも自分が興味のある論理を展開したため、今回の読書に繋がりました。本書は現象学を紐解くために傍らに置いた方がよい書籍とされているので、フッサールの思考を考える上で重要なものだろうと思います。私が本書にどのくらい食らいついていけるのか、NOTE(ブログ)では小さなまとめを掲載したいと思っています。今までも専門書のまとめを掲載してきましたが、これは読者への語り口というより、私が自らのために行っているメモと思っています。読者には迷惑なことですが、ご容赦ください。
2020.06.18 Thursday
「レオニー・ギルモア」(エドワード・マークス著 羽田美也子 田村七重 中地幸訳 彩流社)を読み終えました。世界的に有名になった彫刻家イサム・ノグチの母であり、詩人野口米次郎の妻であったレオニー・ギルモアとはどんな人物だったのか、イサム・ノグチの伝記から読み取れるレオニー・ギルモアは、常に脇役であり、運命に翻弄されるままの女性という印象を私は持っていましたが、どうもそれだけでは語れないところがあるように思えました。運命を受け入れても自立した人生観を持ち、自発的行動力が伴っていることに、私は驚きました。また、イサム・ノグチの彫刻作品に対し、息子に信頼を寄せつつ、的確な批評をしていることも特筆できます。「訳者後書き」にこんな文章がありました。「実際、レオニーの受けてきた教育を知り、彼女が人生の節目、節目に自ら決断し、行動し、人生を自らの手で作りあげてきたことを知るにつれ、わたしたちはレオニー・ギルモアが、単に献身的で犠牲的な女性であったという考えは全面的に改めなくてはならないことに気がつく。~略~また、母としてのレオニーが、イサムを芸術家にするために、いかに強い目的意識をもってあたったかを知るにつれ、彼女の意志の強さに驚かざるを得ないのである。レオニーと野口米次郎との関係はある意味、悲劇的な結末を迎えたといえるが、案外そこに悲壮感がないことも興味深い。シングルマザーとして子どもを育てるレオニーの生活は、経済的には切迫していたものの、彼女はいつも前向きで、希望と活力に溢れている。」(羽田美也子・田村七重・中地幸 著)イサム・ノグチの芸術家としての出発に欠かせない母の存在、レオニー・ギルモアを知れば知るほど、彼女の生き様を通して芸術家の母としての揺るがない意志力に、私には頷けるものがあると感じました。
2020.06.17 Wednesday
昨日、東京板橋にある板橋区立美術館で開催中の「深井隆ー物語の庭ー」展に行ってきました。板橋区立美術館は過去に数回訪れたことのある美術館で、規模は大きくないけれど美しい空間をもつ美術館です。ただし、私の住む横浜からはかなり遠くて、嘗ては公共交通機関を使ったので電車を乗り継ぐのが大変でしたが、車で行くと割とすんなりと行ける美術館だったことが分かりました。彫刻家深井隆氏は私より5歳上の木彫家で、同じ世代と言ってもいいと私は勝手に思っています。経歴を見ると、藝大のアトリエで制作していた彼の方が恵まれた環境にあったように思いましたが、樟を使い、椅子や馬を象徴的に扱っている作品は、どこかの機会で拝見したことがありました。重厚感のある木彫の椅子に翼があったり、馬の上半身が彫られていて、これは何を意味するのか考えたこともあり、ただ、これは単体として彫刻を見せるのではなく、周囲の空間を意識して詩的なイメージを掻き立てるものではないかと察していました。何しろ空間の捉えが美しく、彩色した彫刻に自然な美を見て取れるのは、作家本人のイメージや考え方がしっかりしているためだろうと思いました。私がやっている陶彫もそうですが、自分の中で技術も含めて充分実材を咀嚼しておかないと、実材ばかりが目立ってしまい、何が作りたいのか分からなくなる傾向があるのです。作家のイメージが優先して見られるのは、長年にわたって樟という素材に、作家が正面から真摯に取り組んできた証と言ってもいいと感じました。質が高く、緊張した空間に私自身も活力をもらった展覧会でした。最後に図録にあった言葉を引用いたします。「『人間の存在とは何か、これを椅子、馬、柱といった形をかりて表現したい』という言葉からも明らかなように、深井が40年以上にわたる制作の中で作り続けたのは、人間の存在である。深井が人間の存在をテーマとしながら、作品の中に人間の形が認められないということは、ある特定の時代の人物ではなく普遍的な人間の姿を追求しているからであろう。」(弘中智子著)
2020.06.16 Tuesday
今日は職場を休んで亡母の用事を済ませてきました。母は東京都大田区蒲田に生まれています。そのため戸籍謄本を取るのに大田区役所に行く必要があり、家内と蒲田駅前にある大田区役所に自家用車で行ってきたのでした。母は大正15年生まれで、18歳まで蒲田に暮らしていました。母が生まれた時の住所は荏原郡蒲田町大字で、実家は和菓子屋を営んでいたようです。母は川崎にある高等女学校を卒業し、横浜の父の元に嫁いできました。戦前の横浜市保土ヶ谷区(旭区)は、鬱蒼とした雑木林に田畑が広がり、車は滅多に見かけず、道の舗装もない片田舎でした。相原の家は所有している田圃からコメを収穫し、それを保存して自給自足の生活をやっていました。戦後になって私が生まれた頃の相原の実家にはまだ土間があり、そこに大きなコメ蔵がありました。台所は薪で火を起こしていて、台所の裏には五右衛門風呂もありました。今でこそ懐古趣味を擽りますが、当時の私はそんな実家の構造が嫌いでした。母も都会育ちだったので私と同じような気持ちになっていたでしょう。私や妹が学生になり、母は育児から解放されるとさまざまな稽古事に手を出し、青春を取り戻そうとしていたように見えました。大田区役所では古い記録を探すのに手間がかかっていたようでした。昼ごろに書類が整い、私たちは大田区から板橋区へ向かいました。東京都をほぼ横断するように首都高速を走りぬけ、板橋区立美術館に辿り着きました。多くの美術館の展示が始まっていない中で、板橋区立美術館が現代彫刻家の個展を開催していたので、久しぶりに美術館に足を運びました。「物語の庭 深井隆」展は5月10日に閉幕していたはずがコロナ渦の影響で会期を延長していたので、詩想に溢れた木彫の大作を見ることが出来たのでした。今まで外出自粛が続いていたため、美術館という空間に改めて新鮮さを感じ、彫刻という実材を伴う立体表現を実際に見ることは、何て素晴らしいことなのだろうと思いました。空間の中に点在する彫刻の凛々しさに私の気持ちもストンと落ちて、自分もこの世界の端くれにいることに誇りを持ちました。「物語の庭 深井隆」展の詳しい感想は後日改めますが、とても快い時間を過ごせました。