Yutaka Aihara.com相原裕ウェブギャラリー

note

  • Tag cloud

  • Archives

  • イサム・ノグチ 「あかり」と牟礼
    「石を聴く」(ヘイデン・ヘレーラ著 北代美和子訳 みすず書房)は「イサム・ノグチの芸術と生涯」を扱った評伝で、今回は第42章「小麦そのもの」と第43章「赤い立方体、黒い太陽」のまとめを行います。いよいよノグチが晩年に差し掛かり、私が最も影響を受けた代表作品が登場してきます。1960年代半ばには彫り跡を残し、磨いた面や加工した面を織り交ぜて充実した空間を有する石彫群が生まれました。同時に和紙と竹による「あかり」が登場しました。「《あかり》は、アートは日常生活の役に立つ一部となりうるというノグチの考え方を完璧に表現する。~略~ノグチがたえずデザインをしなおしたことが、店にとっては《あかり》を売りにくくした。ノグチはランタンを非対称にすることでコピーをほとんど不可能にし、ときには竹の助材を取り去った。~略~ノグチが《あかり》に感情的に執着したのは、一説によれば子ども時代の父親の記憶と関係があるという。ノグチが月を見るまで寝ないと言い張ったとき、父親は障子の反対側に明かりをおいた。~『日本というバックグランドは、ぼくに簡素なものに対する感性をあたえた。それはぼくに、より少ないものでより多くをおこなうこと、そして自然をそのディテールすべてのなかで認識することを教えた。たとえば小麦が加工されたら、麦粒には似ていない。小麦を味わいたかったら、パンは食べない。ぼくの彫刻は小麦そのものなんだ。』」次の章ではマリーン・ミッドランド銀行の広場に設置された金属による巨大な赤い立方体に関することから始まり、やがて石彫による「黒い太陽」が登場します。「歳月を重ねるにつれて、ノグチはしだいに日本に多産する花崗岩と玄武岩を彫るというむずかしい仕事に惹かれていった。~略~和泉は讃岐岩、それから地元の庵治石から円盤の切り出しにとりかかった。一年後、四国にもどったノグチは感心した。1968年以降、和泉正敏はノグチの生活と仕事にかけがえのない存在となる。間もなくノグチも牟礼の和泉家の所有地にアトリエを構え、和泉の協力を得て、これ以降の作品のほとんどをそこで制作することになる。そのなかでも最大のひとつはシアトル美術館の《黒い太陽》である。~略~たしかに《黒い太陽》は動きに満ちる。永遠の静止を内包しているように見えてなお、光が変化するにつれて花崗岩のへこみとでっぱりのおかげで輪は転がるように見え、それが彫刻に瞬間性をあたえている。」私が複数回訪れたイサム・ノグチ庭園美術館設立の起源がここにありました。
    彫刻における台座の意味
    「地面が庭園の一部であるのと同じように、床を彫刻の一部である場所、あるいは平面と考えた。~略~ノグチは、日本では地面に据えられた岩は『下にある原始の塊体から突き出す突起を表現している』と言った。庭園の構成要素は、鑑賞者の想像のなかで大地の下で結合される。」という一文は、「石を聴く」(ヘイデン・ヘレーラ著 北代美和子訳 みすず書房)の中でイサム・ノグチより提唱された彫刻の在り方に関するものです。彫刻の台座を取っ払い、彫刻が置かれた地面を表現の一部にする考え方に、私は大いなる共感を覚えました。また原始の塊体から突き出す突起を表現しているという発想も、まさに私自身の陶彫による集合彫刻に通じていて、この時代にイサム・ノグチが既に思考していた彫刻の概念に感じ入ってしまいました。彫刻にとって台座とはどんな意味を持つのでしょうか。絵画における額縁と同じで、芸術品は美術館で鑑賞するものという前時代的な概念があるために台座を用意していると言えるでしょう。私も人体を塑造している時は台座も作っていました。その頃の彫刻は生活とは切り離した表現であったのですが、彫刻が建築を初めとする環境造形に進出してから、彫刻的世界が生活の中に取り込まれていったように思っています。造園家だった亡父が造営していた庭園の考え方に彫刻が歩み寄ったと私はふと思いつき、私自身も立体概念が変わっていきました。まさにイサム・ノグチ的空間転換だったと思い返しています。私の「発掘シリーズ」は大地から突き出した造形物をイメージしていて、本書にある通り、鑑賞者の想像のなかで大地の下で結合される要素があります。ただし、現代彫刻における台座は不要なのかというと、そうではありません。台座の上の彫刻を鑑賞するための台座ではなく、台座そのものも表現の一部になっているケースもあるからです。たとえばジャコメッティの針金のような人体は台座が重要な表現になっています。台座を表現の一部にした作品は、台座まで鑑賞の対象になります。芸術品の展示方法は時代を反映していると改めて感じてしまうこの頃です。
    「命題論的分析論としての形式論理学」第18~22節について
    「形式論理学と超越論的論理学」(エトムント・フッサール著 立松弘孝訳 みすず書房)の小節のまとめを行います。本書の本論は初めに第一篇「客観的な形式論理学の諸構造と範囲」があり、その中の第1章として「命題論的分析論としての形式論理学」が掲げられています。そのうちの第18~22節を読み終えました。第22節で第1章が終了しますが、難解な言い回しに何度も悩みつつ、今回も章ごとに気になった文章を書き出して、それでまとめにさせていただきます。第18節は単純な分析論の根本問題と称された章でした。「任意の諸判断がそのまま、しかも形式的にのみ一つの判断に統合されうるのはどういう場合であり、しかもどのような諸関係で可能であろうか?」という問いかけが本章ではありました。第19章では可能な真理の条件としての無矛盾性という命題があって、私には次の文章が気に留まりました。「今ここでは始めから判断はただたんに判断として考えられているのではなく、認識の努力に支配される判断として充実されるべき思念、すなわち〈判明性にのみ由来する所与という意味での対象自体ではなく、目指す《真理》そのものへの通路となる思念〉として考えられているのである。」第20章では単純な分析論における類似の諸原理について述べられていました。論理が展開する中で結論めいた部分を見つけたので、これを引用しますが、これだけ抜き出しても意味が通らないとは思います。「〈直接的な分析的帰結それ自身の直接的な分析の帰結はやはりまた、それぞれの理由の分析的な帰結だ〉ということであり、このことからは〈任意の間接性の帰結自身も、この理由の帰結だ〉ということが整合性として明らかになる。」第21節は最広義の判断の概念です。「最広義の判断の概念は、混乱、判明、明確の違いを意に介さず、これらの差異を故意に無視する概念である。」第22章は今までのまとめになった箇所がありました。「無矛盾性の形式論理学と真理の形式論理学をわれわれが分離したのは斬新なことではあるが、この分離はいまでは各用語についても広く一般に知られている。これらの用語は〔従来とは〕まったく別のことを、すなわち《認識の》具体的な《題材》を無視する形式論理学の問題設定一般と、何らかのかなり広い(もちろん明確に把握されていない)意味で論理学の側から提起された諸問題との間の区別を考えていた。」今日はここまでにします。
    イサム・ノグチ 自伝と遊び場
    「石を聴く」(ヘイデン・ヘレーラ著 北代美和子訳 みすず書房)は「イサム・ノグチの芸術と生涯」を扱った評伝で、今回は第40章「自伝に向かって」と第41章「形態と機能の入門書」のまとめを行います。自伝を出版することになったノグチは筆者ジョン・ベッカーとの間にトラブルに見舞われますが、その前に彫刻の空間概念に関する興味ある個所がありました。「(ローマの)アカデミー滞在中にノグチは床を台座として使う彫刻の制作を始めた。地面が庭園の一部であるのと同じように、床を彫刻の一部である場所、あるいは平面と考えた。~略~ノグチは、日本では地面に据えられた岩は『下にある原始の塊体から突き出す突起を表現している』と言った。庭園の構成要素は、鑑賞者の想像のなかで大地の下で結合される。」私自身の彫刻観とも相通じる概念がここに出てきました。話を自伝に戻します。自伝出版に関するトラブルは、ノグチが自伝に手を入れて筆者との誤解を正そうとし、また印税の分配でも揉めて、結局プリシラによって仲介されたことが分かりました。決着するまで紆余曲折あったわけです。「本は一人称で書かれ、自分が言うのではない言い方で自分が考えていないことを言われるのは不可能です。」次章「形態と機能の入門書」では、ノグチが拘った遊び場に関する記述がありました。「自伝では遊び場をつくるには子どものように考えなければならないと述べている。『ぼくは遊び場を形態と機能の入門書と考えたい。単純で神秘的、そして想像力をかきたてる。したがって教育的でもある。』」このプロジェクトは建築家ルイス・カーンとの協働であってもなかなか実現せず、ノグチを苛立たせました。「ジェイコブスは、ノグチは最近日本で《子どもの国》と呼ばれる遊び場を完成したのに、自分の祖国では遊び場設計者としては『名誉のない預言者』であると指摘した。~略~コラボレーションについてカーン自身は楽観的な見方をしていた。『私は建築の言葉では語らなかった。ノグチは彫刻の言葉では語らなかった。私たちのどちらもが建物を地形の輪郭の一部としてとらえていた。しかも独立した輪郭ではなく、絡みあい、漂ったりしている輪郭の相互作用として。そしてそれは、建築を主張するものでも、彫刻を主張するものでもないことを願っていた』。」横浜にある「子どもの国」はノグチ設計による遊び場だったことを改めて認識しました。
    15回目の個展をExhibitionにアップ
    今夏、開催した15回目の個展をホームページのExhibitionにアップしました。Exhibitionでは、ギャラリーせいほうの展示空間をそのまま見ることができて、図録の撮影の時とは違った雰囲気があります。白い空間に彫刻を配置し、照明を当てると立体感が映えて我ながら美しいと感じます。Exhibitionの説明文に「命の蘇生」という月並みなコトバを使ってしまいました。本心を言えば、造形思考はそんなに短絡的ではないのですが、文章を簡単にまとめなければならず、都合のいい言い回しができなかったのが正直なところです。このExhibitionのいいところは過去の展覧会が全部見渡せられるところです。私自身はあの時はこんな思いで作っていたなぁとか、この年はこんな大きな事件事故があったなぁということが頭を過ります。東日本大震災、新型コロナウイルス感染症、母の死去など作品に影響を及ぼすことが多々あったことも事実です。造形思考を深化させたいと願っていても、表現の振り幅が大きくなり、あれもこれも欲張ってしまっていることも、作者にしか分からないことですが、確かにあります。連作にしようと始めた作品が、その後の展開が続かず休止していることも、その逆に自分の意向に反して連作になってしまっている作品もあって、私の造形計画と実施にはムラがあることも認めざるを得ません。Exhibitionを通して、いろいろなことが思い出されますが、15回も毎年継続してきたことだけは自分を褒めてもよいかなぁと思っているところです。