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  • 週末 自宅リフォーム完成&陶彫制作
    今日の午前中に自宅リフォームを担当してくれた業者がやってきて、最終チェックを行なった後、リフォームが完全に終わったことを伝えてくれました。自宅は30年前、亡父が残してくれた植木畑に建てました。因みに農道を挟んだ別の植木畑に工房があります。自宅は築30年の間、一度もリフォームをすることなく過ごしてきましたが、昨年の大型台風によって屋根や外壁に雨漏れが生じ、雨樋も壊れてしまったために、外装の大がかりな修復工事を行なったのでした。NOTE(ブログ)のアーカイブによると昨年の11月23日(土)に外壁工事が始まったという記載があります。12月27日(金)に外装工事が完了し、次の段階として内装のリフォームを計画しています。設計が始まり、システム・キッチンを選びにショールームを訪れたのが今年の2月8日(土)だったようです。実際の工事が始まったのは3月23日(月)で、それから1ヶ月半は不自由な生活を強いられました。リフォームは完成してみると、実に素晴らしい空間を創出してくれる結果になりました。箱詰めした荷物がそのままの状態になっていて、断捨離をしながら片づけをするのにまだまだ時間がかかりそうですが、私にとって生涯最期の住空間になるであろう自宅はかなり満足を与えてくれています。新型コロナウイルス感染防止のために外出自粛になっていることも、今後の荷物整理に役立つと考えるようにしました。そうでなければ、家内は演奏活動が忙しくて、ずっと自宅に篭ることが出来なかったからです。私も家内も漸くリフォームが終わったという気持ちになったところで些か疲労が出てきました。午後私は工房に行きました。疲労があっても制作工程は待ってくれず、屏風を並べ、床に陶彫部品を置いて、あとどのくらい部品が必要なのか見積もりました。さっそく繋ぎ用の陶彫部品作りに着手しました。幸い気温が高くなってきたので、陶彫部品の乾燥が早く進んで窯入れも早々に出来そうです。今月末までに新作が全て完成するかどうかヒヤヒヤしています。毎年こんな危うい綱渡りをしていますが、今までも気持ちに余裕が生まれることはなかったように思います。明日も制作は継続です。
    読書癖で保つ外出自粛
    職場勤務と自宅勤務を正副管理職で交互にやっている生活が続いています。先行きが見えない不安を抱える中で、こんな事態は社会人になって初めてのことですが、海外での留学を含め長い学生生活を送ってきた私は、暇人として生きた時間が多かったために現在も暇を持てあますことなく日常が送れているのではないかと思います。身分が公務員なので民間の大変さから比べれば呑気なことを言っていると受け取られるかもしれませんが、責任職としてさまざまな事態を想定していることも確かです。私の若い頃からの日常には読書が欠かせない存在です。私は決して速読ではありませんが、鞄に年中書籍を携帯し、常に栞を挟んでいて読書途中であることが日常化しているのです。私はどこでも時間があれば頁を捲っています。創作活動にはそれなりの構えが必要ですが、読書は難なくその世界に入っていける気楽さがあります。前にどこかで書きましたが、一冊の書籍の中には広いイメージ世界があって、頭が冴えている時には、活字から紡ぎ出されるイメージは鮮明で豊かです。映像等のビジュアル表現とは異なり、活字を手掛かりに自分の蓄積された記憶を総動員して、自分勝手な世界を作り上げるのが読書の醍醐味と言えるのです。日常を忘れさせてくれるひと時は、私にとって至福な時です。ただし、難解な書籍は自分の語彙に対する力量の有無や全体の意味把握、つまり理解力に対する己への挑戦があり、時には諦めの気持ちも湧いてきます。若い頃は堪え性も忍耐もなく途中で放棄してしまった書籍が多々ありました。今は若い頃に比べれば体力がなくなっているにも関わらず、知力はそこそこ身についているようで、数行読んでは立ち止まる専門書にも何とか食らいついています。そんなことで遊べる自分は、新型コロナウイルス感染症の影響で外出自粛が呼びかけられていても、読書癖で保つことができるのです。現在のNOTE(ブログ)に頻繁に読書感想が出ているのは、そんなことに関係しています。
    「第4章 東京時代」について
    「レオニー・ギルモア」(エドワード・マークス著 羽田美也子 田村七重 中地幸訳 彩流社)の「第4章 東京時代」についてのまとめを行います。世界的彫刻家イサム・ノグチの母であるレオニー・ギルモアはどんな生涯を送ったのか、本書の頁を捲りながら彼女の人となりを考えていきたいと思います。この章では母子が日本に到着し、父である野口米次郎が迎える場面から始まっています。「『おとうさんよ』とレオニーはイサムの顔を私に向かせようとした。しかしイサムは私を見ることなく、目をすぐに閉じた。まるで、父親というものが存在するとは考えたこともないようだった。実際、彼は私がアメリカを去ってしばらくしてから、妻が生んだ子供であった。~略~イサムは何でも動かなかったり音をたてないものは嫌いだった。何も遊ぶことがないと、障子を開けたり閉めたりし始めた。」マリー・ストープスの日本滞在日記が1909年に書かれ、こんな描写がありました。「私には、彼女(レオニー)の人生が灰色の影に覆われているように感じられました。でも彼女の小さな息子はその正反対で、まん丸い目にバラ色の頬をして、房のついた毛糸のとんがり帽をかぶり、まるでピクシーのようでした。まだ四歳だというのに、お母さんと女中の間の通訳をつとめていました。~略~なんとラフカディオ・ハーンの家に行き、奥さんやご家族の人たちにお会いしたのですよ!普段ハーンの家は聖域として外界から守られていますから、これはめったにない素晴らしい機会でした。私がお招きにあずかったのはN夫人(レオニー)の友情のおかげです。前にも言ったように、彼女はハーンの長男に英語を教えていて、心から慕われているからです。」来日した米人記者に日本の家について説明するレオニーの言葉がありました。「たいていの家は小さなサイズで、木や竹や瓦でとても軽く作られていますが、これは地震からの損害を少なくするためです。一般的に、最も経済的で実用的な家のサイズは、八部屋くらいある、二階建てのものですが、これが家に関する日本の共通規格でしょう。」最後にイサムの芸術に関しての文章を掲載しておきます。「最初からイサムの芸術的名声は、アメリカ人としての自己と日本人としての自己の狭間、つまりアイデンティティの相克の中から生まれた。~略~五歳のときのイサムの最初の彫刻の成功は、偶然ではなかった。レオニーは実際に何年もの間、最初の公の展覧会を準備していた。イサムがかろうじて14ヶ月の時、レオニーはヨネ(野口)に、イサムをアートスクールに送るという考えを書き送っている。この考えは徐々に彼女の頭のなかで固まっていき、時に並々ならぬものになった。~略~単に人と違っているのみでなく、文字通り差異の具現者であるイサムにとって、この『やり方』は二つの全く違う文化的なアイデンティティの間での生涯にわたる格闘を意味しようとしていた。」
    日系彫刻家の出発点
    現在、世界的な彫刻家であるイサム・ノグチに纏わる2冊の書籍を読んでいます。イサム・ノグチは氏名の由来通り日系アメリカ人です。特異な環境の中で誕生し、人種差別があった時代に育ち、やがてグローバルな世界にアーティストとしての地位を獲得する人ですが、日米を往来する中で、2つの文化を複眼で見つめる視点を有し、それが前衛としても新しい価値観を持つことになった稀有な作家とも言えます。彼の成育歴や考え方やその独創的な感覚を理解しようと、私は実際の作品を見たり、書籍に親しんできました。今読んでいる一冊は「石を聴く」(ヘイデン・ヘレーラ著 北代美和子訳 みすず書房)で、これはイサム・ノグチ本人の伝記を著したものです。もう一冊は「レオニー・ギルモア」(エドワード・マークス著 羽田美也子 田村七重 中地幸訳 彩流社)で、イサム・ノグチの母の生涯を扱った書籍です。今のところ「石を聴く」より「レオニー・ギルモア」を優先して読んでいます。それはイサム・ノグチの出発点をより深く具体的に知りたいと私が考えたからです。アーティスト本人の目覚ましい活躍よりも、独自なアートを形成するに至った最初の契機、その過程に興味関心があるためで、それには母の生涯を扱った「レオニー・ギルモア」の内容をまず押さえるべきかなぁと思いました。イサム・ノグチが母と共に幼少時に住んだ日本の風物がどんな形であれ、アーティストに与えている影響は計り知れないものがあると私は察しています。書籍の内容から幼子イサムは大変利発な感じを受けるし、母が息子をアーティストにしたいという強い思いがあることが見受けられます。アーティストは勝手に育ってくれるものではなく、誰かが意図的に、または周囲の人からの影響で育っていくものだろうと思っています。特異な環境の中で誕生した者は、その独自性を保ちながら特異なアーティストになっていくものだと書籍を捲っているうちに感じ取れるようになりました。私が注目したのは辛い環境からの好転で、自分の宿命をプラスに変える力です。イサム・ノグチほど特異でないにしても、アートとして優れたものを作り出す力は、自分の中に何かを探り出して身につけていくものではないかと思っています。
    「第3章 ロサンジェルス時代」について
    「レオニー・ギルモア」(エドワード・マークス著 羽田美也子 田村七重 中地幸訳 彩流社)の「第3章 ロサンジェルス時代」についてのまとめを行います。世界的彫刻家イサム・ノグチの母であるレオニー・ギルモアはどんな生涯を送ったのか、本書の頁を捲りながら彼女の人となりを考えていきたいと思います。「将来の彫刻家イサム・ノグチが、新聞のニュースに予期せぬ初登場をしたのは、誕生後ようやく1週間になろうかという時だった。ロサンジェルスの『ヘラルド』紙のレポーターが誕生を聞きつけて、ロサンジェルス郡病院の病室で、難産の後の身体を休めているレオニーのもとへやってきた。~略~ヨネ・ノグチのベイビー、病院の誇り 作家の白人妻、夫に息子を贈る(『ロサンジェルス・ヘラルド』1904年11月27日)」一方、野口は既に日本に帰国していました。「ノグチはニューヨークの通信社の従軍記者として八月に日本へ向かった。彼の妻は彼が日本へ発ったのと同じ頃にロサンジェルスにやって来て、それ以降当地に滞在している。~略~レオニーは、ヨネには彼らしく生きてほしいと、彼が望んだ返事をよこした。しかし子供のためには、いったん結婚と子供の存在を認めてほしいこと、そしてその上で法的に離婚してほしい、そうすれば彼はどんな女性とも自由に結婚できる、と書いてきた。」その後、レオニーはカリフォルニアでテントによる我が家を建てています。レオニーはそのことについて雑誌に詳細な記事を書いていて、当時の生活ぶりがよく分かります。旧知の修道女に書いた文章を引用します。「あれから色々ありましたが、一番にお伝えしたいのは私に男の子が生まれたことです。もうすぐ1歳になります。彼は日本人の血を引く元気な赤ん坊で、父親とよく似た穏やかな黒い目をしています。この1年ほどは、この赤ん坊に手を取られていますが、夫の文学上の細々とした仕事も手伝っています。夫ノグチはまだ東京にいて、大学でアメリカ文学についての講義を持たされているようで、この冬には辞めたいと考えていたのに、そうもできない状況のようです。だから、おそらく私の方が、来春にも赤ん坊を連れて日本へ行くことになると思います。」野口からの誘いの手紙もありました。「レオニー、これは重要な手紙なんだ。じっくり考えて、答えてほしい。以前僕は君に日本に来るように言った。僕はまたそのことを考えている。君と僕たちの赤ん坊にとって、そのほうがいいと僕は思っている。なぜかって?僕は赤ん坊を育てるのを助けることができるし、彼は父なし子にならないですむ。これはとても重要だと思う。また、君にとっても日本で生計をたてるほうが簡単なはずだ。君は学校教師として働けるし、仲間としても仕事ができる。」レオニー母子を日本に駆り立てたのは、実は野口からの切望ではなく、国際結婚が齎す弊害にあったようです。「ロサンジェルスはこれまでと変わりなく明るい気候であったが、日本人移民が歓迎されなくなりつつあるという怪しい雲行きを、レオニーは感じとっていたに違いない。ロシアの熊を相手に勇敢な戦いを挑んだ『小さな黄色い男たち』への熱狂は、太平洋におけるアメリカの利権や西海岸の安全を脅かす新たな黄禍論として、日本人への漠然とした恐れに取って変わられつつあった。」1907年の「国籍離脱法」がレオニーに日本行きを促す結果になりました。その法は「国際結婚をした女性の市民権は、その夫によるものとしている。」というわけで、「新しい法案はレオニーを大変困った立場に陥らせた。ヨネ・ノグチの妻とされている彼女はもはやアメリカ市民ではないのである。」