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  • 意欲を保つために…
    新型コロナウイルス感染拡大が続き、今年度当初は在宅勤務や各種行事の中止があって、先が見えない状態がありました。現在、職場は通常を取り戻しつつありますが、先が見えない状態は変わりません。感染症防止を行いつつ、経済活動を回していくのは、なかなか困難です。私個人で言えば、職場があり、組織があり、そこには同じ悩みを抱える職員集団がいるので、社会と繋がっている感覚は常に持っています。逆に個人経営や個人事業を興している人たちは社会情勢によって厳しい立場に立たされることになり、先行きの不安から事業が破綻してしまうことがあろうかと思います。身近なことで言えば、家内の演奏活動はストップしたままです。邦楽器演奏者の中には高齢な方々もいらして、その方たちの意欲が削がれているのではないかと家内は心配しています。年齢的なことも関係あるかなぁと考えるのは、60代の私も創作意欲の持続にやや不安を感じているからです。私は葛飾北斎のように老いても旺盛な意欲に支えられた活動をやりたいと願っていて、この意欲を保つために何をやったらよいだろうと考えるようになりました。先日まで開催していた個展ですが、鑑賞者は少なかったものの、これは意欲を保つためには効果的だったと言ってもよいと思います。コロナ渦の中で、よくぞギャラリーが開催してくれたものだと今でも思っています。イベントを単なるイベントとして考えていると、祭りの後の空虚感や脱力感がやってきます。意欲がそこでダウンすることもあります。これは祭りではなく、創作活動の一時的な報告会なんだと考えると、その先の展開もあるかなぁと思っています。私はひとつの作品を作り終える前に、新作を並行してスタートさせます。これが意欲を保つ私なりの秘訣です。常に作り続けていること、常に考え続けていること、これが日常化していることが私にとってベストなのだろうと思っています。
    イサム・ノグチ 結婚と原爆慰霊碑
    「石を聴く」(ヘイデン・ヘレーラ著 北代美和子訳 みすず書房)は「イサム・ノグチの芸術と生涯」を扱った評伝で、今回は第32章「山口淑子」と第33章「北鎌倉」のまとめを行います。「おそらくノグチと山口が親近感を抱いたのは、おたがいのなかに潜在する悲しみを見分けたことと関係があったのだろう。どちらもが美貌と才能、成功に恵まれていたにもかかわらず、異なるふたつの文化のあいだで引き裂かれていた。」女優山口淑子は中国の満州で育ち、中国人の養女となり、日本帝国主義支援の女優・歌手としてデビューしていました。日米混血の彫刻家と日中で活躍する女優の結婚は、当時話題になっていたようです。北大路魯山人との出会いで、北鎌倉にある住居を2人のために魯山人が気前よく使わせたのも話題でした。「日本人の花嫁とともに隠れ家、しかも日本的な儀式の隠れ家をつくることでノグチは自分自身をひとつの場所に結びつけた。『ぼくは歓びと活力に満たされた』。」ところが2人の結婚は長く続きませんでした。「ノグチと山口はとても愛しあってはいたが、問題もあった。ふたりの生活様式はノグチが選んだ。『こんな、全く見知らなかった異質の世界に身を置いて』と山口は書いている。『私はそのすべてを吸収しようと努力しました』。どちらもが激しい性格で頑固だった。そして文化の違いもあった。山口の目からみればノグチはまったくのアメリカ人だった。」ノグチの制作に関してはリーダーズダイジェスト社の庭園を手がけたり、原爆投下による復興中の広島での橋の欄干のデザインの依頼を受けたりしていました。「11月末、ノグチは橋の欄干工事の進捗状況を見るために丹下健三と広島にいった。ノグチ、丹下、広島市長はノグチが原爆犠牲者の慰霊碑をデザインする可能性について話し合った。」ところが、これはノグチの国籍等の問題で実現には至りませんでした。「ノグチは慰霊碑の不採用を『日本におけるぼくのもっとも不愉快な経験』と呼んでいる。最終的に委員会は丹下が慰霊碑をデザインすることに固執し、丹下は原爆記念日に間に合うようにデザインを1週間で仕上げなければならなかった。」また時代背景も変わっていき、ノグチの日本での立ち位置も微妙になってきました。「ノグチはもはや西洋の文化に飢えた日本にモダニズムの知らせをもたらす先触れの鳩ではなかった。~略~この反米感情を考えれば、日本芸術界とノグチの関係が変化したのも驚くことではない。ノグチはもはや魅力的な新来者ではなかった。」
    週末 日常を取り戻す
    昨日で個展が終了し、今日から通常の制作に入ることにしました。イベント終了の翌日は複雑な心境になります。一日ゆっくり休みたいと思うのですが、私の流儀はそうではなく、最新作の制作を何が何でも続けていくのが自分のやり方です。個展の疲労は確かに残っていますが、自分の中でイベント終了感は持たないようにしているのです。祭りの後の脱力感は危険な状態で、ここで創作活動を止めるわけにはいきません。けじめをつけることは敢えてやらないのです。今日は毎週通ってきている美大受験生がデッサンをやりに工房に来ました。この来訪者がいることは大歓迎で、緩んだ私の心を引き締めるのに役立ってくれています。私は最新作の陶彫部品を作るために土練りをやっていました。最新作は2点ほど陶彫部品が出来上がり、乾燥を待っている状態です。全体構想はほぼ出来上がっていますが、エスキースを描くことはしません。床を4メートル四方使うため、ギャラリーせいほうの床を見積もってきました。最新作は床を這う作品になり、高さはありませんが、大きな面積を有する作品です。広大な丘陵をイメージしていますが、どうなるのでしょうか。また一歩ずつ焦らず休まずコツコツと作っていく所存です。日常を取り戻すことは、次なる目標に向けて動き出すことで、モチベーションを保つことが出来ます。私としては個展があろうがなかろうが、高いモチベーションを維持しつつ造形思索を深めていくことが、自分には最良のことだろうと思っています。梅雨がまだ続いていて、今日は梅雨明けのような青空が覗いたと思ったら、どしゃ降りの雨になって、不安定な天候でした。ちょっと早めに作業を切り上げて、デッサンに励む高校生を車で送りました。
    15回目の個展最終日&搬出
    新型コロナウイルス感染拡大が毎日マスコミで報じられる中で、今回の個展開催が決定し、今日はその最終日になりました。感染者の数が高止まりしているにも関わらず、経済を回していかないと日本全体がダウンしてしまう事情を考えると、以前のような緊急事態宣言は出さないかなぁと思っていて、そんな社会情勢の中での個展は忘れられない記憶の一場面になるかもしれません。最終日には旧友の鎌倉彫の職人さんが来てくださったり、出版関係の方や作家の方々も見に来てくれて有難いと感じました。例年なら梅雨明けがあり、夏空が広がっていたはずなのに、今日も時より雨が降って、個展開催中はずっと曇り空だったように思います。重く垂れ込めた空、コロナ渦の影響で東京銀座の大通りも人が疎ら、そんな鬱陶しい状況も今年は特別だった感じがします。搬出作業は、搬入の時に手伝ってくれたスタッフが集合してくれました。もう15回目の個展となれば、搬出作業は慣れていて手際よく進みました。運送業者が預かっていてくれた梱包用木箱20箱、板材用ビニールシート数枚に、陶彫部品やら板材がどんどん包み込まれていって、1時間程度でギャラリーの空間はすっかり片付いてしまいました。個展は名誉なことで嬉しい反面、私にとってはじっと自分の作品と対峙しなければならない時間があって、辛いと感じることもあるのです。非日常空間は精神的に疲れることもあります。作品が全て梱包されてしまったことでホッとする瞬間があります。漸く1年1回のイベントが終わったと思えた時に、胸を撫で下ろすことが出来るのです。梱包された作品群はトラックに積まれて、横浜の工房に向かいました。手伝ってくれたスタッフたちも車2台に乗って、首都高速を一路工房に向かいました。工房の1階に積み下ろし、今日の作業は終了しました。ロフトに上げるのは冬に時期にしようと思っています。手伝ってくれた人たちに夕食を振舞って、今回の個展振り返りを行ないました。
    「スポーツの日」も個展会場へ…
    昨日の「海の日」に引き続き、今日は「スポーツの日」になっていて、日曜日まで含めると4連休になります。新型コロナウイルス感染が縮小していたら、「Go Toキャンペーン」のトラベル事業で観光が盛り上がっていたはずだったのですが、コロナ渦はなかなか思う通りにはなってくれず、観光地にとっても目論みが外れてしまった事業になりました。本来なら東京オリンピック・パラリンピックの開催セレモニーが行なわれる日だっただけに、これも残念で仕方がありません。昨年の個展で、オリパラ開催日程と個展が重なるので、交通規制が行なわれて作品の搬入搬出は大丈夫かと心配していましたが、取らぬ狸の皮算用だったようです。さて、私は今日の「スポーツの日」も個展会場へ行っていました。今日は誰も来ないと思っていましたが、見に来ていただけた方々がいて大変嬉しく思いました。まず懇意にしているカメラマン2人が会場内の雰囲気を撮影に来ました。これはホームページとお礼状に使う画像になります。横浜からも仕事仲間が来てくれました。毎年見に来てくれる人たちとは会話が弾みました。少し前まで工房に出入りしていた若いアーティストも来ました。彼女が仕事を転々とする中で、心の支えとして創作活動を再開しようとする意志に、私の個展が一石を投じられるならこれほど嬉しいことはありません。1年間頑張ってきた私の表現世界が鑑賞者の心に何かを齎せてくれるなら、これは本望というしかありません。今回の個展開催が危ぶまれる中で私が考えたのは、個展は決してゴールではなく、自分が表現しようとしている世界の発展途上における報告会であるということです。人が見ようが見まいが自分の造形思索を続けていくこと、個展は当然コミュニケーションの場ではあるけれど、それは自分の方向付けを確認するものであることを、今回は自覚しました。仕事の分野の異なる人も見に来ました。川崎で菓子店を営んでいる旧友ですが、自分が彼と海外で一緒に過ごしたことで、自分を振り返る良い機会だったと思っています。自分が歩いてきた道に無駄はないと改めて思いました。明日は個展の最終日です。