2020.04.21 Tuesday
自分の生涯としては一大事となる自宅のリフォーム施工が大詰めを迎えています。まず1階の和室を洋室に変えて、ダイニングと一体化した空間にしました。和室の半分を収納庫にして、そこに家内の邦楽器を収める棚と、和服等を入れた桐ダンスが入る空間を確保しました。仏壇もそこに入る予定です。広くなったダイニングと収納庫を区切る扉は、格子模様の4枚引き戸にしました。これは家内のセンスで決めたものであり、和モダンに憧れる彼女にとって最高の住空間になったのではないかと思っています。古くなったシステム・キッチンも最新式のものが設置されました。新しいシステム・キッチンは既に使用しています。私たちが茨城県笠間や栃木県益子を初めとする全国の陶芸の里から集めてきた器も新しい棚に収めました。今日漸く2階の書棚拡張工事が完成しました。現在は吹き抜けの玄関にクロスを貼るための足場を組んでいて、これから2階を含めて全体のクロス貼りの施工に入ります。そのクロス貼りの最中に私は書籍を新しい書棚に収めようと思っています。書棚は天井から壁一面にあるので、上段に書籍を収めるためには室内用の脚立が必要だなぁと思っています。書籍の一冊一冊にも器と同じく私の思いが詰まっていて、学生の頃に読むことを断念してしまった難解な書籍が数多くあります。最近になって古びた頁を捲って再読に励んでいるのですが、今でも難解な語彙に悩まされている次第です。20代の頃より60代になった今の自分の思考が、多少なりとも落ち着いてきたことで、難解な書籍に自我を奮い立たせ、読破を希求している証拠なのかもしれません。そうした住宅環境を理想的に作り変えるために、退職金を投入して再任用満了の年に、私は自宅のリフォームをやろうと決意したのでした。リフォームはもうすぐ完成です。ダンボールに詰めたあらゆるものを早めに整理して、さらに断捨離を進めて、新しい住宅環境を満喫したいと願っています。
2020.04.20 Monday
「アフタヌーン・インタヴューズ」(マルセル・デュシャン カルヴィン・トムキンズ聞き手 中野勉訳 河出書房新社)・Ⅲのまとめを行います。この章でインタヴューは終了していますが、その中で今回はM・デュシャンの代表作というべき2点の作品について取り上げます。1点目は「階段を下りる裸体」という絵画作品です。「運動というアイデア、階段を降りてくる女性ってアイデアは、まるで連中(キュビスト)の気に入らなかった。それに、同じころ未来主義者たちがその手のことをやっていたのを知っていたかもわからん。わたしは知りませんでしたし、未来主義者は当時、パリで展覧会をしたことはなかった。」キュビズムに関してはこんなことも言っています。「完全に静態的だった。それに、静態的であることを自慢にしていた。ひっきりなしに、いろいろ違う断面からモノを示してみせるんだが、それは運動じゃあなかった。おおよそ、対象の面をすべていっぺんに見るという、一種四次元的な発想だった。」2点目は「大ガラス」と呼ばれる作品で、日本語の題名は「彼女の独身者たちによって裸にされた花嫁、さえも」と称されていて、本作品は移動中にガラスが割れてしまったのですが、それも作品の意図として受け入れたものが現在アメリカに残っています。「わたしにしたら、キャンヴァスと油絵具ってのはここ九世紀間で実に濫用されてきた道具だったんで、そこから逃げ出して、何か違うことを表現するチャンスを自分に与えたかった。そのとき〈ガラス〉のアイデアが出てきたわけです。」さらに「大ガラス」には着手前から制作過程に至るまでの断片的なメモ「グリーン・ボックス」があります。「飛び散りとかいうようなのはみんな、絵に描いてあるんじゃあなくて、絵画的に記述してあるんです。〈ガラス〉と本とは非常につながっている。つながっているだけじゃあなくて、おたがいのためにつくってある。~略~〈ガラス〉の部品という部品、セクションというセクションが、何のためにやってあるのかを、文学的な形式ですべて記述した説明です。~略~それは『グリーン・ボックス』というかたちを取った。〈ガラス〉のために特別にこしらえたものです。」思索された世界を視覚と文学の双方の形式によって表現した作品が「大ガラス」でした。私が魅力を感じる要素がこんなところにあるのかなぁと思った次第です。
2020.04.19 Sunday
今朝は自宅の新しくなったシステム・キッチンの食器棚に食器を収めていました。茨城県に住む陶芸家の友人の作品を初め、茨城県笠間や栃木県益子で手に入れたさまざまな器に思いを感じながら収納していました。自分が集めた日用品は奇しくも自分らしさを表現していて、どれも泥臭くモダンな雰囲気を纏っているのに気づきました。私は趣味趣向がはっきりしているんだなぁと改めて思いました。それは日用品に限ったことではなく、書籍を選んだとしても、美術館の展示や映画館の演目を選んで出かけて行くことも、全て自分らしさに裏打ちされたものだったんだと、至極当然なことに今更ながら思い至りました。暫し自宅の片づけを家内に任せて、午前中は工房に出かけました。実は職場も自宅も落ち着かない中で、唯一工房だけは安らかな気分になれる場所であり、非日常が齎す雰囲気によって溌溂とした時間を過ごせる場所でもあるのです。最近は若いスタッフが外出自粛していることがあり、工房は私一人が気儘に使える空間になっています。それは他者の目がないので気持ちが緩むこともあるのですが、安らいだ空気感はいいものだなぁとも思っています。今日は新作のテーブル彫刻のテーブル部分に砂マチエールを施す作業を行ないました。先日、「発掘~聚景~」の砂マチエール施工を多くのスタッフの手を借りて行なったばかりですが、現在進めているテーブル彫刻は「発掘~聚景~」ほど大きくないので、私一人でも充分出来る範囲なのでした。神田文房堂から大量に取り寄せた砂や硬化剤は残り僅かとなり、来年またこの技法を使うとすれば、追加注文しなければなりません。砂マチエールは乾くまで1週間はかかるので、来週末に油絵の具による塗装を予定しています。同時にテーブル彫刻に接合する陶彫部品も作らなければならず、時間は切迫しているのです。明日は職場に出かけますが、在宅勤務とのバランスを考えながら、また落ち着かないウィークディを過ごすことになりそうです。
2020.04.18 Saturday
週末になりました。在宅勤務が増えている昨今、週末になった気分がしませんが、創作活動はウィークディの仕事とはきっちり分けているので、今週末も工房に行って新作の制作工程を先に進めることにしました。陶彫部品で乾燥が進んだものが3点あって、今日は仕上げと化粧掛けを行いました。窯入れは明日の夕方行なうこととして、2時間ほどその準備に充てました。毎回NOTE(ブログ)に書いていますが、乾燥した陶彫部品を窯に入れて焼成することで漸く作品は完成するのです。この最後の工程は緊張と楽しみが同居していて、何とも言えない気分になります。焼成を成功させるために陶彫にさまざまな制限があり、そうした中で自分の意図するカタチを創造していくのです。失敗すれば今までの苦労は水泡と化してしまい、同じモノは二度と作れないのです。今日の創作活動はここまでにして、自宅のリフォーム工事が次の段階に進んだので、自宅の日用雑貨を元に戻す作業をしました。1階の和室を洋室に変える工事が終了し、さらに新しいシステム・キッチンが設置されたので、ダンボールに仕舞いこんでいた雑貨を取り出しました。これは今日で終わらず、片付けは明日も続行です。さらに2階のリビングにある作り付けの書棚の増設工事が始まることになり、材料が大量に自宅に運び込まれてきました。昨晩、リビングの床に大量に置いてあった書籍を一旦別の場所に移動しました。新しく作り付ける書棚の場所の確保のために、仕事帰りの疲れた身体に鞭打って書籍の移動をやっていました。私は電子書籍が好きではありません。アナログな書籍の頁を捲って行間を読むのが好きなのです。そのせいで書籍が増えてきてどうしようもない状態になっています。新しく作る書棚は壁一面を使います。来週月曜日から工事に入る予定ですが、長年の間、山積みされた書籍を漸く整理できるのかと思うと感慨一入です。
2020.04.17 Friday
新型コロナウイルスの感染拡大が続いていて、政府は全国に緊急事態宣言を出しました。私の住む神奈川県は東京に次ぐ首都圏として以前から緊急事態宣言が出されていて、不要不急の外出を自粛しています。私の職場は在宅勤務が3分の2以上いて、閑散とした雰囲気になっていますが、例年なら今頃は新年度の仕事量に忙殺されて職員全員がクタクタになっているところです。いくら多忙であっても、例年であれば今の状況よりは健全であるし、やりがいを感じられるのではないかと思います。今は職場に来ても在宅勤務であっても何となく落ち着きません。各種総会は中止になり、ほとんどが書面総会となりました。職場でも職員が集合しての打ち合わせや研修会は出来ず、出勤した職員は分散して仕事をやっている状況です。職場はそんな流れですが、職場から帰宅すれば自宅もリフォームの施工が入っていて、ここも落ち着くことが出来ません。リフォームは自分の人生に与える褒美と思えるくらい楽しいことで、完成したら自宅が様変わりすることが嬉しいはずですが、荷物が溢れ、不自由を強いられている生活は、心に不安定を齎すものだなぁと感じています。家内はよく耐えていますが、私の唯一の逃げ場は工房なのです。工房は例年通り制作工程に従って制作をしているので、新作の違いこそあれ、気分は落ち着いています。新型コロナウイルスの感染拡大がいつ頃終息するのか見当もつきませんが、早く日常を取り戻したいという思いでいっぱいです。今まで毎日が当然の如く普通に過ぎていたことは何という幸せなことか、安心安全とはあたりまえのように存在しているのではなく、さまざまな立場の人が努力して得たものを、私たちが享受しているのです。それを改めて確認できたこの頃です。