2020.05.01 Friday
新型コロナウイルス感染拡大が、日常生活に影響を及ぼす状況がこのところずっと続いています。5月になっても通常の生活に戻れる気がしません。そんな中ですが、今月の創作活動について考えてみたいと思います。創作活動は幸いにも職場での困り感とは大きく異なり、緊急事態宣言が延長されても大きな変化はありません。ただ、恒例の7月個展が開催できるのかどうか心配しているところですが、発表時期がずれ込んでも制作工程に従って、粛々と作っていく私の姿勢は崩れるものではありません。制作の姿勢としては、発表ありきではなく制作ありきなので、どんな状況であろうが制作の手は止めないつもりです。今月はゴールデンウィークがあり、他県移動を含めた外出自粛が呼びかけられています。私は創作活動第一主義なので、自宅と工房の行き来しかゴールデンウィークの予定を考えていません。今月中には陶彫による新作は全て完成させる計画でいます。5月31日(日)に図録用の写真撮影を予定しているため、必ず完成させるしかないわけで、そのためにゴールデンウィークを制作一辺倒で考えている次第なのです。陶彫制作の他にRECORD制作も遅れを取り戻すべく頑張ろうと思っています。自宅のリフォームが大方完成し、RECORD制作が出来る環境が整ってきました。鑑賞は緊急事態宣言の延長によって美術館や博物館、劇場や映画館の休館が続くかもしれず、足を運んでオリジナル作品に触れる機会が今後もあるのかどうか、皆目分からない状態です。個性的な映画を扱うミニシアターは存続の危機に晒されているとも聞いております。私の好きな分野が風前の灯火であることに心が痛みます。もちろん作品を扱うギャラリーも同じです。新型コロナウイルスが一刻も早く収束してくれることを祈るばかりです。読書は創作の刺激にもなるイサム・ノグチ関連の書籍を読み漁って、今月も有意義な1ヶ月にしていきたいと思っています。
2020.04.30 Thursday
今日で4月が終わります。今月は新型コロナウイルス感染拡大を防ぐため、首都圏の外出自粛から全国的な規模による緊急事態宣言に移行した1ヶ月になりました。職場も在宅勤務が始まり、年度初めに恒例として行われていた総会も書面総会に変わり、今後の見通しがまったく立たない中で、現在も数人の職員が出勤しております。業務がストップしている状況はいつまで続くのか、職員全員が不安に駆られていることは確かです。そんな中ですが、今月の創作活動を振り返ってみたいと思います。今月は「発掘~聚景~」の陶彫部品の補充や乾燥した陶彫部品の窯入れ、さらに今月から始まったテーブル彫刻「発掘~突景~」のテーブル部分の砂マチエール施工と油絵の具による下地塗装、その上に置く陶彫部品の成形や彫り込み加飾を行いました。緊急事態宣言があって美術館や博物館、劇場や映画館が休館し、また外出自粛のため鑑賞に行けなくなったことで、週末は工房で作業するしかありませんでした。内に籠るとはこんなことを言うのだろうと思い、創作活動においてはこれもまた良しと考えて過ごしていました。今月は私事で辛いことが2つありました。ひとつは母の死去で、感染症の世相を反映して簡略した葬式しかやってあげられなかったことです。もうひとつは自宅のリフォーム工事で、リフォーム自体は住み易い環境を作ることで歓迎すべきことでしたが、そのために不自由な生活を強いられ、家内に相当なストレスがかかってしまったことです。私は職場と工房を行ったり来たりしていたのでストレスは軽く、家内に申し訳ないと思っています。母のこともリフォームのことも、そのうち心は癒えるだろうと思っていますが、大きなことが今月になって一気にくるとは思いもよりませんでした。RECORDは下書き先行が習慣化してしまっています。何とかしなければと思いつつ1ヶ月以上も日が過ぎています。読書はイサム・ノグチ関連の書籍を読んでいます。来月こそ通常の生活に戻れることを願っていますが、果たしてどうでしょうか。
2020.04.29 Wednesday
例年ならゴールデンウィークに入り、観光地がごった返しているニュースが流れていますが、今年は新型コロナウイルス感染拡大の影響で、全国に緊急事態宣言が出されていて、外出自粛が呼びかけられています。以前私はこの時期に栃木県益子や茨城県笠間の陶器市(陶炎祭)を見に行ったこともありましたが、近ごろは工房に立て籠もっていることが多く、緊急事態宣言がなくても遠出はしていません。ましてや自宅のリフォーム工事が最終局面を迎えている今年は自宅にいるしかない状況です。工房はそんな私に心の癒しと造形への展望を与えてくれる唯一の場所です。心の癒しとしては亡父が残してくれた植木畑に工房が建っているため、毎年春から初夏にかけて新録が美しく、それを眺めているだけで心が安らぐのです。今日は好天に恵まれて青葉若葉が風に揺れていました。気温も寒くもなく暑くもなく絶好の創作活動日和でした。私は朝から工房に篭っていました。新作のテーブル彫刻「発掘~突景~」の陶彫制作に追われていて、成形したものに彫り込み加飾を施していました。じっと陶土を見つめ、鉄の掻き出しベラで彫り込みをし、木のヘラで表面を整えていきました。私はそうしている時が一番幸せを感じている時かも知れず、それが証拠に時間はあっという間に過ぎていくのです。それは単純な作業のようでいて、全体の量感を見ながら彫り込み文様を考えていくもので、機械的な作業ではありません。これはそれほど職人的な技巧を必要としないのですが、全体とのバランスを常に確かめているので、創作的と言えばそうかもしれず、私にとっては多少の緊張を伴った楽しい作業なのです。先日窯入れした陶彫部品3点が焼きあがっていました。何度も書いている通りこの焼成という制作工程が、全工程の中で一番スリリングでエキサイティングです。窯の中は炎神が支配する高温になって、私の手が及ばないところで作品たちは変貌を遂げるのです。石化するという言葉通り、全身に硬質な鎧を纏った姿になって作品たちは帰還してきます。これがあるからこそ私は陶彫をやめられないのです。昭和の日は彫刻制作一辺倒で過ごせる幸福を満喫させていただきました。明日は今月最後の日なので職場に出かけます。
2020.04.28 Tuesday
現在作っているテーブル彫刻の題名を「発掘~突景~」にしました。同じ大きさのテーブル彫刻は、一昨年前に発表した「発掘~角景~」、昨年発表した「発掘~曲景~」があり、今回はそれに並ぶ3作目になります。「発掘~角景~」はテーブルの下に陶彫部品を吊り下げ、「発掘~曲景~」はテーブルの上と下に陶彫部品を設置し、今回はテーブルの上だけに陶彫部品を置く作品です。テーブルの高さは今回の「発掘~突景~」を一番低い位置に設定するつもりでいます。つもりとしたのは柱の木彫をまだ始めていないので、あくまでもイメージの中でそうしようと考えているためです。上に置く陶彫部品は3点にします。3点の大きさは大中小というバリエーションを考えていて、いずれも頂点が尖っている形態にしています。今までのテーブル彫刻も同様ですが、作品がテーブルである以上、テーブルを支える脚が必要です。脚は木の柱を彫って作品の一部にしています。木彫にも作品の世界観を投影させる必要があり、鋭角なカタチを彫り出そうと考えています。私がイメージする木彫のカタチの源泉は、若い頃に旅したルーマニアの民家にあった木の門や家を支える柱に施された文様です。日本の社寺にも龍や雲の文様が彫られた柱がありますが、私は日本の緻密な具象彫刻よりも、ざっくりとした抽象性の強いルーマニアの建築造形に惹かれてしまいます。それはルーマニアの造形を基盤とした現代彫刻の父ブランクーシにも通じていて、形態に対する憧れに近いものが私の中に存在しているのです。私はルーマニアの、というよりブランクーシの「無限の柱」の残像から逃れられないと言った方がいいのかもしれません。木彫はカーヴィングであり、モデリングの陶彫とは立体に対するアプローチが異なります。双方の表現方法を合わせてひとつの作品にまとめ上げるのが、新作のテーブル彫刻「発掘~突景~」なのです。
2020.04.27 Monday
「レオニー・ギルモア」(エドワード・マークス著 羽田美也子 田村七重 中地幸訳 彩流社)を読み始めました。副題に「イサム・ノグチの母の生涯」とあって、現在読んでいる「石を聴く」(ヘイデン・ヘレーラ著 北代美和子訳 みすず書房)に連動する書籍になります。現在の私の読書はイサム・ノグチ一色になってしまっていて、ちょうど自分の新作が佳境を迎えている最中のため、これが格好な発奮剤になるのではないかと期待をしています。本書「レオニー・ギルモア」は新しく購入したものではなく、書棚の整理をしていた時に見つけた蔵書でした。いつ購入したものか忘れてしまいましたが、関連した書籍ではイサム・ノグチ本人の著作による「エッセイ」も見つけました。これも追々読んでいく予定です。本書の前書きでこんな一文に気が留まりました。「彼女の人生の大半は、詩人である夫ヨネ・野口と、より有名な彫刻家である息子イサム・ノグチを支える役割に徹してきた感がある。~略~ニューヨークのロウアー・イーストサイドの貧しい家で生まれたにもかかわらず、エリートのシンボルであるブリンマー大学やソルボンヌ大学で教育を受け、日本人詩人ヨネ・野口と結婚しようと決心した時には内なる人種差別への葛藤と戦い、外国の地でシングル・マザーとして孤軍奮闘しながら、息子を20世紀の第一級の彫刻家へと妥協を許さない態度で導いたのである。芸術家の母というものは、その子の発達の段階において、決定的な役割を果たしているものだ。」本書はレオニー・ギルモア本人が日々の記録を得意としなかったために、親友に宛てた夥しい数の手紙の資料を基に構成されたようです。イサム・ノグチの生涯はもちろんのこと、特異な環境にあったその母にも私は興味があって、「石を聴く」共々本書を楽しんで読んでいこうと思っています。