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  • 週末 新たなテーブル彫刻の制作開始
    週末になりました。今月の制作目標に従って、今日から新たなテーブル彫刻の制作を始めました。新たなテーブル彫刻として、昨年制作し7月にギャラリーで発表した「発掘~曲景~」の対を成す作品を作ろうと思っています。「発掘~曲景~」は曲面を多用した作品でしたが、今回の新作は尖った平面を多用するイメージです。基本となる形態は三角形で、テーブル部分の加工は昨年のうちに終わっています。今日はテーブルになる厚板2枚を接着して乾燥させることにしました。テーブルの上には陶彫部品を3点配置しようと思っています。一番大きな新作である屏風に接合する陶彫部品はどれも曲面を生かしたものばかりで、これは「発掘~曲景~」にヒントを得たものです。テーブル彫刻は矩形による立体にするので、今までとはちょっと勝手が違います。これも大いに楽しんでいこうと思っています。今日は朝から工房に篭っていましたが、染めのアーティストが久しぶりに顔を出しました。首都圏が新型コロナウイルスの感染拡大の影響を受けて緊急事態宣言を出したため、暫く彼女の家で制作するとのことで、道具や材料の運搬のために自分の車でやってきたのでした。彼女は工房では何かと仕事を手伝ってもらっている大事なスタッフなので、大きな空間が必要なときは再びここに来るように伝えました。その他工房に通ってきているスタッフは高校生たちなので、新型コロナウイルスの騒動が一段落しないと、工房には来させられないと思っています。彼女たちはどんな過ごし方をしているのかなぁと時折思いを巡らせていますが、私は暇を持て余すことはなく制作に没頭しています。いろいろな意味で創作活動をやっていて良かったと思えることがあり、また創作世界の構築のイメージが広げられたり、自分の中で思索をすることで、こんな緊急事態の窮屈な時ほど、メンタルが助けられているのではないかと感じることもあります。明日も制作は継続ですが、夕方には亡き母の用事も控えています。
    4月RECORDは「紅」
    4月のRECORDを「紅」にしました。と言っても今月のRECOERDはまだ1点も色彩を使っておらず、下書きに色彩のメモを記入してあるだけです。一日1点ずつポストカード大の平面作品を作り続けて10年以上が経ちました。それを全てRECORD(記録)と称していますが、制作は夜に限られています。自宅のダイニングで古新聞紙を下敷きにしてアクリルガッシュで彩色しています。時にペンで仕上げをする場合もあります。毎晩RECORDの制作をやってきたのですが、現在は自宅のリフォーム工事でダイニングが使えません。旅行に出た時も下書きだけをホテル等でやっていて、仕上げは自宅に帰ってからやっているのです。制作場所として決めてきたダイニングが使えない状態では、RECORDが一向に進まず、今後どうなっていくのか不安は募ります。今はRECORD史上最大のピンチとも言えます。そんな中でもテーマを決めて、下書きだけでも蓄積することにしました。テーマとした「紅」は「くれない」と読み「呉の藍」の音が変化したもので、日本文化特有の色彩感覚に基づいた色です。染料で言えばキク科の紅花で染めた濃い赤で、外来の色彩とは少々異なり、日本人の繊細なセンスが受け継がれています。そうは言ってもRECORDはアクリルガッシュで彩色するため、微妙な雰囲気は出せないかもしれません。「紅」のことを調べようとネットを検索すると「XJAPAN」のメジャー曲が出てきたり、宮崎駿監督の「紅の豚」が出てきます。今では「紅」は案外ポピュラーな色彩なのだろうと思っています。ダイニングが整ったら、RECORDの遅れを取り戻すべく頑張っていこうと思っています。
    新しいキッチン設置
    自宅1階のリフォーム工事が進んでいます。室内全体にクロスを貼るところまできたようですが、今日はシステム・キッチンが搬入されました。2人の業者がキッチンの組立てを行いました。私たちにとってキッチンがない生活はなかなか大変で、煮炊きや食器洗いが思うようにできないことがこんなにも辛いことかと思っていました。現代生活の利便さを謳歌している私たちは、基本的な生活として身についてしまっている習慣があって、そんなことで疲弊感を覚えてしまうのです。嘗て外国で暮らしていた私は、生活日用品の不足を何とか補ってやっていましたが、あの頃とは雲泥の差とも言うべき現在の感覚に我ながら驚いています。災害があって困窮した生活を余儀なくされている人たちは、こんなにも不自由な生活を送っているのかと改めて思いを巡らせた次第です。ましてや私たちは先が見えない生活ではないので、我慢も期限付きです。キッチンは明日から使えますよと業者は言っていましたが、部屋の壁が出来ていない状態では、いくらガスや水道が繋がっても即刻使う気分になれないものです。今日、私は忌引きの休暇を取得して自宅にいました。葬儀等に使うお金は家内が銀行に行って引き落としてきました。自宅に業者が入っている関係で、私か家内のどちらかが自宅にいなければならず、毎日家内が自宅に待機していたので、今日くらいは外出をして駅前の銀行に行ってもらったのでした。自宅にいると業者が出す騒音があまりにも凄いのが分かりました。設置の際に電動工具を使っていると、こんな騒音が出るのかと思い、私も工房で似た施工をしているのに気づきました。これを毎日家内が聞いていたのかと思うと、申し訳ない気持ちになりました。新型コロナウイルスの感染拡大の影響で外出自粛と言われても、自宅待機がストレスという場合があるなぁと思いました。こんな状況なので葬儀の準備も夫婦で出来ず、どちらかが行なっているのです。
    4月の制作目標
    昨日、母が亡くなり、私は生きることの意味を考えていました。終焉があるからこそ生きる素晴らしさがあると感じていて、その生きた証としての創作活動が自分の中では重要な意味を持つと結論付けることに至りました。私にとって現行の制作を進めていくことが自分の人生を謳歌することと思っています。そんなことを含めて、改めて今月の制作目標を考えてみたいと思います。先日、カメラマンに連絡し、図録を作るための作品撮影日を5月31日(日)に計画しました。それまでに個展に展示する作品は全て完成させていこうと思っています。先が見えてきたので、この2ヶ月で何をするべきか明確になりました。まず一番大きな新作は6枚の厚板を屏風に仕立て、そこに接合する陶彫部品と屏風の前に置く陶彫部品を繋げて成り立つ集合彫刻です。これは残りの連結する陶彫部品を作っていけば完成となります。そろそろこの新作の題名を考える時期になったなぁと思っています。もうひとつの新作はテーブル彫刻で、屏風の作品に比べてやや小さめです。この作品のテーブル部分の厚板加工は終わっています。そこに砂マチエールと油絵の具塗装、テーブルに設置する陶彫部品、テーブルを支える柱の数本をこれから作ります。今月の制作目標はこのテーブル彫刻が中心になるかなぁと思っています。さらに毎年作っている「陶紋」と呼んでいる小品数点をこれから始めていかなければなりません。陶彫は乾燥に時間がかかります。早めに作っておかないと撮影日に間に合わなくなります。陶彫による立体作品は以上ですが、気になっているのはRECORDです。今月いっぱい自宅のリフォーム工事が入るために、ダイニングテーブルが使えず、下書きは出来ても彩色や仕上げが出来ません。改めてRECORDも陶彫と同じように制作場所に左右されることを痛感しているところです。下書きだけが進行するのは今までもありましたが、仕上げまでどのくらい時間を要するのか、ちょっと絶望的な気分になっています。それでも諦める事はせず、何とかしたいと考えています。
    母が他界した日
    私の母が他界しました。享年94歳。大正15年生まれで、大正、昭和、平成、令和の4つの時代を生きた人でした。数年前から介護施設にいて、昨晩体調が悪化して病院に救急搬送され、その時家内と見舞ったのが母の最期の姿になりました。今日は職場に出勤していた私に家内から連絡が入り、急遽病院に駆けつけたのでしたが、11時16分心拍停止、呼吸停止で臨終となりました。いろいろな原因による死因を医師が説明をしてくれましたが、決して流行の新型コロナウイルスではなく、老衰による自然死というのが私の理解です。私は無意識ながら残念に思い、身体の力が抜けましたが、94歳という年齢を考えると悲しみはありませんでした。母の安らかな顔を見ると大往生ではなかったかとも思いました。母は東京蒲田の生まれで実家は和菓子屋を営んでいたそうです。店の向かいに映画館があったというのですから、言うなれば都会育ちでした。その母がまだ田畑が広がる横浜の片田舎に嫁に来たのですから、その文化的な衝撃はさぞ大きかったことでしょう。その証拠に介護施設では介護士を相手に同じ昔話を繰り返していたと聞いています。昨日のことを忘れているのに若い頃のことは鮮明に覚えているのが認知症の特徴なのかもしれません。鞄から取り出した何気ない紙を使って母の顔をデッサンしました。父が亡くなった時も同じことをしていました。写真による遺影などより、鉛筆によるデッサンのほうが生々しい記憶が刻まれるようです。対象をデッサンできる絵画力が自分にあることを嬉しく思いました。横たわる母の姿を見ていると、死とは何かを考えてしまいます。父の時よりもさらに自分の中で死生観が培われていくのは、自分の年齢によるものかなぁと思いました。人は死に向かっていくからこそ生きる意味を探すのかもしれず、自分の創作活動における思索の意味もそんなところにあると感じました。感染症の影響で葬儀も家族葬になってしまい、交友関係が広かった母にしてみれば残念に思うかもしれません。