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  • 「予備的な諸考察」第9節~第11節について
    「形式論理学と超越論的論理学」(エトムント・フッサール著 立松弘孝訳 みすず書房)は本論に入る前に「序論」があり、さらにそれに続く「予備的な諸考察」もあります。今回は「予備的な諸考察」の全11節のうち第9節~第11節のまとめを行います。第9節の冒頭で「論理学のどの事項にもある二面性は、われわれの最初の諸解説ですでに明らかなとおり、客観的と主観的のこの両面を同等に扱うことを意味してはいない。」とありました。これは実証的諸学について言っているわけで「実証的な諸科学はもっぱら理論の段階で、すなわち、ひたすら認識の分野を主題にする方向で形成される理論の段階で成果を挙げている。」と説明がありました。第10節ではそうした中での心理学のことが述べられていました。「実証的な諸学が、唯一のテーマである純粋な客観という理念を満足させるために、諸事象を経験し思惟する作用に伴うたんに主観的な事柄に属するものとは一切絶縁するとしても、やはりそれら諸学自身の圏内で〈諸主観についての独特な実証科学〉が登場する。それが人間と動物についての科学、すなわち〈人間と動物における心理的な事柄、主観的な特徴を主題にする心理学〉である。」第11節ではさらにabcという小題がつけられていて、aでは客観的・理論的な思惟の形成物を目標とする論理学について考察されていました。「すでに最初の論理学が知識と学問について独自の詳察をした際にも主に、客観的で理論的な諸形態に拘泥しすぎて、最初もその後も長らく、そのテーマを完全に意識して明確に〈純粋な判断と認識の形成物に限定すること〉に考え及ばなかったが、実はこれらのことこそやはり論理学研究本来の分野であった。」bでは洞察についての主観的反省が述べられていました。「洞察して獲得された《真実》《帰結》《無矛盾な事柄》は判断の形成物そのものについての特性および述語として、客観の側に現れるのであるから、意味の純粋論理学によって扱われる形式的な諸理論のテーマだ、ということである。」cはその結論です。「論理学がその発達過程全体をとおして最近まで(すなわち超越論的哲学の諸動機が論理学にラジカルな影響を与えていなかった間)、その重要な主題の領野を理論の分野に、つまり多様な判断の形成物と認識の形成物の分野に、もたねばならなかった理由と、外面的には非常に目立つ〈主観の思惟行為の主題化〉がそれにもかかわらず、まったく二次的な性格しかもたなかった理由を理解するであろう。」本論に入る前段階としての「予備的な諸考察」はここまでにいたします。次回から本論に入ります。
    週末 梱包完了して安堵感
    私の彫刻作品が陶彫という技法を使っているために、個展の搬入搬出や保存に結構気遣ってきました。焼き物は割れ易いということがあって、木割で補強した丈夫な木箱にエアキャップで包んだ陶彫部品をひとつずつ収めているのです。陶彫である以上、梱包に時間がかかるのは仕方がないと思っています。例年この時期は梱包に明け暮れています。今日やっと梱包が完了しました。昼過ぎに搬入業者が荷物の状態を見に来ました。昨年よりやや少なめの木箱の量を見て、来週搬入のトラックの大きさや作業員のことなどを見積もっていました。毎年お願いしている業者なので、私は安心して任せられるのです。梱包材で包んだ板材や木箱に収めた陶彫部品の他に、電動工具や接着剤などを準備して工具箱に入れて、それも持って行きます。後はどのくらいスタッフが集められるのか、私の方でそれぞれに連絡をしなければなりません。実はこの梱包作業が完了して、私は漸く安堵感を持ちました。それでも毎年やっている個展というイベントは、開催までに何があるのか分からず、慣れというものは存在しません。毎年のように何かしら問題が生じることあるのですが、もともと非日常空間を作るための苦労なので、内心は楽しくて面白くて、つい夢中になってしまうのです。人は生活を豊かにする媒体に痺れてしまうものなのかもしれません。これに生活がかかっていると思うと世知辛くなってしまうのです。もちろんギャラリー関係者は生活がかかっているものですが、私にとっては自分の思索を具現化し、理想の空間を創出するための手段なので、生活とは関係ないところに立っていられるのです。私が建てた工房も非日常です。そこに通ってくる美大受験生も大きな捉えの中では特殊な世界で生きていると思っています。今日は朝から毎週来ている高校生がいました。蒸し暑い工房の中でデッサンに励んでいました。彼女を代車で送りながら、ディーラーに立ち寄り、車検の済んだ光岡ビュートを取ってきました。来週はビュートに5人乗って東京銀座に向かいます。
    週末 個展開催と感染拡大の狭間で…
    週末になりました。新型コロナウイルス感染拡大が再び東京で増加しています。野球場にも観客が入れるようになり、急減した消費を喚起する「Go Toキャンペーン」のトラベル事業を今月22日から開始すると、政府が言っていました。経済活動を回していかないと、日本全体に多大な影響を及ぼしかねないという判断なのでしょうが、感染を恐れているのは私だけではないはずです。そんな中で東京銀座で私の個展開催があります。美術館や画廊は通常通りの日程を取り戻し始めましたが、果たして鑑賞者がどのくらい来てくれるのでしょうか。個展開催と感染拡大の狭間で、私は心底悩んでいます。それでも今日は平静を保ちつつ、梱包用木箱の追加製作に明け暮れました。梱包用木箱の製作には慣れてきました。板材が足りなくなって、建材店に車を飛ばしました。夕方には追加の梱包用木箱が出来上がり、明日は残りの陶彫部品の梱包をしていきます。おそらくこれで全部が収まるのではないかと見積もっていますが、果たしてどうでしょうか。今年ほど搬入準備をしていこうとする気持ちに迷いが生まれているのは初めてです。準備が整ったとしても、その先の個展開催に関して、どのように考えたらよいのか分からないのです。そんなことに気を回さず粛々と準備をしておけば良いとは思いますが…。個展は展示が中心なので、コンサートや演劇とは違い、飛沫の影響は少ないと思っています。ただ場所が銀座の真ん中というのが、厳しいかなぁと思っています。
    イサム・ノグチ 彫刻と舞台装置
    「石を聴く」(ヘイデン・ヘレーラ著 北代美和子訳 みすず書房)は「イサム・ノグチの芸術と生涯」を扱った評伝で、今回は第22章「アンへの手紙」と第23章「ノグチとマーサ・グレアム、情熱的なコラボレーター」のまとめを行います。第22章では前章から続いているアン・クラークとの情熱的な愛がさらに加速していく過程を描いています。「結婚がノグチのテーマになり、アンを呼びもどすための策をたえず考え、自分はアンが双子の面倒を見るのを手伝えると言って説き伏せようとした。」また、作品制作では「1944年から45年にかけてのノグチの彫刻のいくつか、たとえば官能的な《ヌードル》や《タイム・ロック》はアンに対するノグチの愛情を反映しているようにみえる。」アンは南米チリにいて「アンは、ふたりでともに人生をつくりあげていくことのむずかしさを認めていた。それは『計画と労働と犠牲』を要求するだろう。」と考えていたようです。そんな折、ノグチに成功を齎せた表現活動がありました。第23章で描かれているマーサ・グレアムとの協働です。「アン宛の手紙では舞台をデザインするのは金を稼ぐためだと言ってはいたが、彫刻として機能し、ダンサーの動きの一部となる舞台装置の制作に夢中になっていたのは明らかだ。~略~舞台装置は主として着色した木製のオブジェで構成され、1944年に制作を開始したバイモルフィックな穴の開いたスラブ彫刻にきわめてよく似ている。これらのオブジェは明らかにミロやイヴ・タンギーのシュルレアリスム絵画、そしてミロに想を得たゴーキーの一部の作品に見られるフリーフォームから着想を得ていた。」舞踏家グレアムとの関係に触れた文章を引用します。「30年以上にわたるノグチとグレアムのコラボレーションは、ほかに類のない創造の対話だった。アーティストとして、そして人間として、ふたりはおたがいを理解し、尊敬し、深く愛し合った。情熱的なコラボレーターではあったが、愛人関係はなかった。~略~京都で訪れた庭園や寺院に対するノグチの愛は、ノグチによるダンスの舞台装置の切り詰めたフォルムを性格づけた。日本の遊歩式庭園とノグチの舞台装置のどちらにとっても重要な要素は、空間を通過する肉体による経験である。」
    歯の治療&車検
    職場から年休をいただいて、自分の用事を済ませてきました。ひとつは歯の治療です。身体を酷使するとぼんやりと左上の奥歯が痛くなっていました。治療済の歯だったので、これはどうしたものだろうと思いました。とりわけ週末の創作活動の後は、ウィークディ以上に歯が痛みました。新型コロナウイルス感染拡大の影響で歯科医院に行くのが憚れましたが、そんなことも言っていられないので、万全の対策をして行ってきました。歯の噛み合わせが悪いのかもしれないため、そこの部分に治療を施し、暫く様子を見ることにしました。ついでに歯のメンテナンスもしてもらいました。歯のレントゲンを見ると、私は差し歯等の治療した歯がいっぱいあって、決して歯が丈夫とは言えないのですが、その都度治療に行って何とか現状を保っている状態です。歯は大事にしたいなぁと実感しました。今日は車検もあって、愛用している車をディーラーに預けてきました。私が乗っている光岡自動車は他社製のベースカーというものに光岡製の車体を乗せているので、車検はベースカーである日産で行っています。私はメカニックには疎くて、性能は一般的な普通レベルで充分なのですが、外観には気を使います。美術を専門とするためなのか、私にとってスタイルが大事なのです。とりわけクラシカルな雰囲気が好きで、前にPTクルーザーから光岡ビュートに乗り換えました。因みにビュートは2台目になります。洒落っ気たっぷりな車ですが、彫刻の板材を運ぶときは不便さを感じます。洗車を怠るとちょっと気恥ずかしくもなります。目立つ外観なので奇麗にしておかなければならないかなぁと思っているこの頃です。