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  • 三連休 自宅リフォーム前日準備
    三連休の最終日です。今日も朝から工房に行っていました。このところずっと染めのアーティストが工房に通ってきています。彼女と一緒に制作していると張り合いがあって作業が進みます。暗黙のうちにお互いを刺激しあっているのかもしれません。今日の私の制作は専ら陶彫の彫り込み加飾だけを集中してやっていました。床に所狭しと置いてある屏風は、砂マチエールや油絵の具が乾くまで暫く放置です。工房での制作のことより今日は明日から始まる自宅のリフォーム工事のことが頭から離れず、制作は早々に切り上げて自宅に戻りました。家内は新型コロナウイルスの影響で演奏会が全て中止になり、ずっと家にいるためリフォームの片づけをよくやっています。明日から始まるリフォームは最初に和室を洋室に改修していくので、和室にある荷物を持ち出すことから始めました。和室の中はほとんど家内のものばかりで、胡弓や三味線といった邦楽器や演奏に使う着物などをとりあえず2階のリビングに運びました。30年前に新築した自宅は長い間に荷物が増え、幾つものダンボールに衣類や小物を詰めました。足の踏み場もなかった和室はしだいに荷物がなくなり、夜には何もない状態になりました。その分他の部屋にはダンボールが積まれています。断捨離をしたため、ゴミが大量に出ました。決められたゴミの日に随時出していかないと玄関はゴミ袋に埋もれてしまいます。和室だけでもこれだけのゴミが出るのかと改めて知って、次から次へとリフォームをしていく中で、どのくらいのゴミが出るのか末恐ろしくなります。明日は月曜日なので勤務がありますが、自宅のことが気になって仕事が手につかないのではないかと思うところです。
    三連休 制作&墓参り
    三連休2日目です。今日も朝から工房に篭りました。染めのアーティストが今日も来ていて、昨日と同様それぞれの場所で制作をやっていました。私は昨日まで取り組んでいた板材の油絵の具塗装の作業は休んで、今日は陶彫制作に戻りました。新作の陶彫部品もまだ足りない状況で、陶彫には成形と彫り込み加飾の後、乾燥をさせる時間が必要です。不足している陶彫部品を急いで作らなければ乾燥時間の確保が難しくなるので、まず陶彫制作を優先しようと思ったのでした。朝から座布団大のタタラを数枚準備し、今日はビニールで包まず、そのまま放置しました。用事を済ませてからそのタタラを使うので、多少硬めにしておく必要がありました。用事というのは相原の菩提寺に墓参りに行こうと家内と決めていて、昼前に仏花を持って出かけました。家内も私も彼岸を忘れていて、姪に言われて気づいた次第です。罰当たりな子孫で申し訳ないと思っています。墓参りを済ませて昼過ぎに工房に戻ってきました。さっそく陶彫成形を始めました。床に置いた屏風の板材に絵の具を振りかける作業より、陶土を立体に立ち上げる作業の方が、自分としては気軽に取り組めてホッとしています。つくづく塑造が好きなんだなぁと改めて思います。夕方になって早めに自宅に戻りました。昨日から私は自宅の片付けに入っていて、今日も3時間ばかり片づけをやっていました。断捨離をしながら片づけをしていますが、過去のものが沢山出てきて、いろいろな思いに囚われてしまうので、この作業は創作活動とは異なる疲れを感じます。公務員管理職としては来年度人事を控え、彫刻家としては7月の個展に向けて制作が佳境を迎え、自宅ではリフォーム工事が目前に迫っていて、私は今や混乱の最中にいるといってもいいでしょう。夜7時に工房にいる染めのアーティストから連絡があり、私は彼女を家の近くまで車で送りました。感染症のこともあって公共交通機関を使わせないようにしているのです。明日も継続です。
    三連休 制作&自宅断捨離の開始
    三連休になりました。朝から工房に行きました。染めのアーティストも来ていて、彼女は近く台湾で発表する大作に挑んでいました。私の新作である屏風6枚と彼女の布が工房に広がっていて、いつもより工房が手狭に感じました。新作の屏風6枚は工房の床に置いてあって、砂マチエールを施工したばかりですが、そこに油絵の具を滲みこませていて、完全に固まるまではもう少し時間がかかりそうでした。それでも今日はそこに油絵の具を上から滴らせる作業をしました。ベースとなる色彩は既に滲みこませてありましたが、別の色彩を散りばめました。言わば巨大なドリッピングです。今日のところは3色を上に重ねていきました。例年なら赤錆た陶彫の色に合わせて、暗い色調にするところを、今回は明るいパステルカラーにしてみました。今日はここまでにして砂や油絵の具を固まらせるために放置することにしました。工房の床を広く使ってしまっているので、通行の邪魔になりますが、暫くは仕方がありません。ドリッピングはまだまだ続きます。昼からは陶彫部品に彫り込み加飾を施す作業に切り替えました。絵の具を使った作業の後で陶土に触れている自分は、平面と立体を同時に進めていて、何だか不思議な感覚を持ちました。夕方は早めに自宅に帰り、まるで家を引越すような荷物整理に追われていました。家内は昨日からずっとやっていて、自宅の床はダンボールが所狭しと置かれています。次の月曜からいよいよリフォーム工事が始まるのです。まず1階の和室を壊して洋室に変えていく工事になります。和室にあるのは家内のものばかりですが、そのダンボールをどこに置いたらいいのか、それは2階のリビングにしようと決めたので、リビングの片付けも必要になったわけです。1階は家内が片づけをしていて、2階は私がやっていました。片付けながら断捨離もやっていて、不要なものはゴミ袋に詰めました。断捨離を伴う片付けは明日も継続です。ゴチャゴチャになった自宅で今晩は過ごしています。
    「北斎晩年の<ふしぎな世界>」について
    「あそぶ神仏」(辻惟雄著 ちくま学芸文庫)のⅢ「北斎晩年の<ふしぎな世界>」についてのまとめを行います。今や国際的な名声のある日本人画家といえば葛飾北斎の右に出る者はいません。西欧人にフアンが多いのは19世紀から20世紀初頭にかけて印象派の画家たちが挙って北斎の浮世絵からインスピレーションを受けたことによります。北斎を写実主義者というにはちょっと抵抗があり、晩年になるほど写実的な描写から離れ、独特で説得力のある象徴的な表現へと移っていきます。私は北斎のそうした晩年の作品に魅力を感じる一人です。北斎イズムと言われる不思議な世界について文中から拾ってみます。「一方には、自然や人間の形態、表情を鋭く観察し、それをユーモラスに再現することのできるリアリストとしての北斎があり、そして他方には、自然のかたちを奇妙な北斎イズムの世界に翻訳することに熱中するマニエリスト北斎がある。」具体的な例としていくつかの滝を描いた絵画を引き合いに出し、その表現に卓抜とした構成力が発揮されているのを私は確認しました。「この神秘感に満ちたイメージは、かれが滝の伝説をもとに、想像力を駆使してつくりあげた大いなる幻影といえるだろう。」滝の絵画に限らず、北斎には植物や動物の描写でも奇想的なイメージが付き纏っています。「こうした北斎の奇想は、70代になってあらわれたものではなく、若いころからすでに潜伏していた。化物を描くとき、その奇想は、他方のリアリストとしての資質と結び付いて衝撃的なイメージをつくりだしている。~略~かれは妖怪の実在を信じていたに違いない。それでなければどうしてこのような迫真的なお化けのイメージがつくれるだろうか。」北斎の眼と心に着目した一文もありました。「北斎が描く鳥や動物や魚は、草花以上に直接にかれの心を伝えてくる。その心とは人間である自分も動物と同じ霊魂を持ったとみるアニミスティックな心であり、その心を直接伝えるのは眼である。」北斎は画業一筋に長寿を全うした世界にも類を見ない画家でした。私も北斎の「ふしぎな世界」を日本人として誇りに思います。私が感銘を受けた北斎の作品はここに取上げられていませんが、有名な「神奈川沖浪裏」をさらに発展させた「男浪」と「女浪」です。本作品は、長野県小布施にあり、祭り屋台の天井図として描かれたものですが、荒れ狂う波だけで表現された世界に私は惹き込まれてしまいました。90歳で生涯を閉じた北斎でしたが、最後にこんな文章を引用いたします。「辞世の句は『ひとだまで、ゆく気散じや、夏の原』であった。自分の魂が体から離れて、夏の原を自由に飛んでいくーそれを北斎は『気散じ』ということばであらわしている。死を間近に控えてのこの余裕は、かれの戯作者としてのユーモアの精神をあらわすものだろうが、それ以上に、死後の霊魂の存在を確信する精神のしたたかさを感じさせる。」
    劇作家の逝去記事を巡って
    先日、新聞に劇作家であり童話作家でもあった別役実逝去の記事が載っていました。今月の3日に亡くなったという記事でしたが、私は20代の頃に演劇を観に、東京のあちらこちらに通っていた懐かしい時代を思い出しました。当時はアンダーグランド演劇がピークを過ぎた頃で、赤テント(状況劇場)の唐十郎、黒テントの佐藤信、天井桟敷の寺山修司に並んで鈴木忠志が率いていた早稲田小劇場にも足を運んでいました。早稲田小劇場では女優の白石加代子の鬼気迫る演技にも惚れ惚れしていました。そんな早稲田小劇場で観た演目が劇作家別役実のものだったと振り返っていますが、その日常に潜む不思議な感覚を齎す世界が今でも印象に残っています。空虚で乾いた世界というべきか、何か根底に怖ろしいものがあって、それを誇張するわけでもなく何気なくサラリと演じる役者に妙なリアルも感じていました。それは不条理演劇という分野に入るものらしく、理屈に合わない世界に無意味であっても無意味とは言い切れない新しさも感じていました。20代の私が日常とは何だろうと考える契機にもなっていました。別役実著の童話集「淋しいおさかな」も購入して読みましたが、その書籍は40年前に友人に貸したまま戻ってきていません。別役実には宮沢賢治の影響があったようで、中・高時代に宮沢賢治の詩や童話を愛読していた私は、宮沢賢治に似た世界観を別役実に見取って身近に感じていたのかもしれません。フォーク歌手の小室等が歌う「雨が空から降れば」も別役実の詞で、「雨の日はしようがない」というフレーズが不条理をそのまま受け入れて達観しているような気がしています。私にとっては青春の一幕ですが、アンダーグランド演劇の昂ぶりがなくなってしまっている今も、実験的な演劇活動が活況を呈して欲しいと願ってやみません。最近は映画には頻繁に行くけれど、演劇には足が遠のいている自分ですが、時間が出来れば昔のように演劇に心身ともに埋没したいと思っているのです。