Yutaka Aihara.com相原裕ウェブギャラリー

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  • 3月の制作目標
    新作は6枚の厚板を屏風に仕立て、そこに接合する陶彫部品と、屏風の前の床に置くステーションと名付けた陶彫部品を連結して集合体にしようと考えています。これらを集合彫刻として場を設定した空間演出の展示にする計画です。まず2つのステーションは焼成まで終わり、完全に出来上がっています。屏風にボルトナットで接合する陶彫部品も焼成まで終わっています。屏風になる厚板の格子模様の刳り貫きは全て出来上がり、次の制作工程である砂マチエールを行なう予定です。まだ手をつけていないのは2つのステーションと屏風に接合する陶彫部品を繋いでいく陶彫部品で、これはまったく出来ていないのです。あと何点くらい陶彫部品を作ればいいのか、計算しながら制作を続けようと思っています。まず、今月の制作目標は屏風の板材に砂マチエールを施し、油絵の具を染み込ませる作業を中心にしようと思います。つまり屏風の完成を目指しているのです。同時に前述した繋ぎの陶彫部品の今後の見通しと制作も加えたいと思っていますが、今月中にそこまで出来るかどうか分かりません。今月は春分の日を含む三連休がありますが、年度末を迎えた昼間の仕事が多忙化するため、身体的にも精神的にもかなり負担が生じると考えているからで、職場が新型コロナウイルスの影響で2週間休業しても、管理職の仕事が楽になるとは思えません。ただし、制作工程で言えば最後の段階が一番面白くて、逆に大変厳しく、この3月と4月をどう乗り切るか、これが新作が成功するか否かのポイントになるといっても過言ではありません。ここが気分が一番高揚するところでもあるのです。陶彫制作に限らず、RECORDも何とか挽回できないものか、特別な休業期間を使って、仕事の休憩時間に制作を試みるつもりです。新型コロナウイルス感染防止のために人と接することはせず、内側に篭ることなら創作活動は絶好の機会です。今月は頑張りたいと思います。
    週末 年度末の3月を迎え…
    年度末の3月を迎えました。私は現在の職場に異動してきて、漸く1年が過ぎようとしていますが、私自身は変わらぬ気構えで管理職をやっています。年度末は職員の異動があり、出会いと別れの季節です。私の職場も新しい年度に向けて心機一転していく必要を感じています。来年度人事の作成は私の仕事です。この1ヶ月が管理職が管理職たる自覚を持つ時期なのです。頑張り甲斐のあるところです。創作活動も7月個展に向けた図録作成を考える時期に差し掛かります。ここから3ヶ月弱で新作を完成しなくてはなりません。実に大変な1ヶ月だなぁと思っています。今日は昨日から続いている新作の屏風に取り組んでいました。6枚の厚板で構成する屏風ですが、厚板の板材は2枚重ねています。一層目には格子模様を全面に刳り貫き、二層目は部分的に刳り貫いています。今日の夕方になって全ての刳り貫き作業が完了しました。12枚の刳り貫き作業は結構手間暇がかかって大変でしたが、新作の見せ場になるので焦らず休まず丹念にやっていました。ここからどうするのか、今月の制作目標は機会を改めますが、制作工程は全体構成を視野に入れつつ、終盤の佳境を迎えることは確実です。今日は日曜日なので毎回やってくる高校生がいつのもように基礎デッサンをやっていました。学校が新型コロナウイルスの影響で臨時休業になり、彼女の学校でも長い春休みに入るようです。こんなことは今までにない特別なことなので、どんなふうに過ごすのか、予め計画を立てた方がいいように思えます。私も休みたいくらいですが、管理職としての仕事山積のため私は通常勤務です。自宅のリフォームは今月の後半から始まります。その時は何とか仕事をやり繰りして職場を休めないものかと思案しています。RECORDは下書きばかりが先行しているため、今月は解消に取り組む予定です。鑑賞のために美術館等へ足を運ぶのは躊躇するところですが、感染防止を徹底すれば大丈夫かなぁと思っていますが、臨時閉館するところもあって、展覧会は事前に調べて行くべきでしょう。読書は先月から継続です。
    週末 2月を振り返って…
    今年は閏年に当たっているため、今月は29日までありました。今日がその29日で、今月最後の日になりました。相変わらず世間では新型コロナウイルスの感染が席巻し、予断を許さない状況になっています。私はいつものように朝から工房にいました。新作の屏風は一層目が完了し、現在は二層目に入っています。屏風は厚板6枚で構成し、一層目は全体的に格子模様を刳り貫いています。その下に接着する二層目はところどころ格子模様を刳り貫いています。二層目が終わると、すぐに一層目との接着作業に入ります。今日の作業で6枚あるうちの4枚まで完了しました。このペースでいけば、明日にも屏風の木材加工は終わる予定になります。順調と思いたいところですが、創作活動は何があるか分からないので、制作工程にも懐疑的になってしまうのです。今日が今月最終日ということで、今月を振り返ってみようと思います。週末は全て木材加工に充てていて、板材刳り貫き作業に明け暮れました。完了まであと僅かというところまで辿り着きました。陶彫部品では一度窯入れを行ないました。業者が来て窯の錆や皹に対してメンテナンスをしてくれました。陶彫における焼成というプロセスは人の手が及ばない工程で、博打的な面白さを感じたのと同時に、木材加工は逆に全て人の手で賄える着実な安心感があり、それぞれの素材の特徴を改めて思い知った1ヶ月でした。鑑賞は東京上野の博物館に出かけ、2つの大きな展覧会を見てきました。「人・神・自然」展(東京国立博物館東洋館)、「出雲と大和」展(東京国立博物館平成館)で、2つとも私好みの展示内容で創作活動に大いなる刺戟をもらいました。この展覧会鑑賞の後に新型コロナウイルスの影響があって、他の美術展や映画館に行くことを躊躇ってしまい、今月はこの2つの展覧会だけになりました。RECORDは下書きだけが先行する悪癖が出てしまい、毎晩苦戦していました。仕事から帰ってくると、疲労がとれず、RECORDの下書きを描いていると睡魔に襲われる日々でした。これは何とかしたいと思っているところです。読書は仏像仏画の楽しい評論と、イサム・ノグチの生涯を綴った書籍を交互に読んでいて、比較的平易な文章のため気楽に取り組むことが出来ています。2冊とも継続です。今月は自宅の大掛かりなリフォームについての契約も行ないました。来月後半からリフォームが始まりますが、私にとっては一大決心だったことを付け加えておきます。
    新型コロナウイルスの影響
    連日、マスコミで報道されている新型コロナウイルス。職場においても影響が少なくありません。各種研修会の延期や中止が相次ぎ、人が大勢いる私の職場でも何らかの対応を迫られている状況です。私たちの職種は自宅に持ち帰られる仕事が少なく、職員の出勤制限もかけられないのです。臨事休業となれば、職員がそれぞれ自分の仕事や周囲の整理をしてからでないと休みが取れない有様です。そういう中でも管理職は連日出勤かなぁと思うところですが、今後は主幹となっている職員と話し合いながら、職場の方針を決めていこうと思っています。感染防止を行う以上は外出もままならず、美術館等の鑑賞に出かけることは当分やらない予定です。植木畑に建つ工房は、人が密集している職場より安全だと私は思っています。私を含め1人ないしは2.3人のアーティストがそれぞれ離れた場所で制作をしていることで、たっぷり空間を確保しているからです。工房の有難みを感じながら、創作活動が出来る幸せを味わっています。ここ1ヶ月が感染拡大防止の曲がり角と政府は言っていますが、オリンピック・パラリンピックへの影響はどうなるのでしょうか。私の個展開催がオリ・パラ開催時期と重なるので、横浜の工房から東京銀座のギャラりーせいほうまでの搬入搬出経路を、私は心配しています。オリ・パラ開催中でも物流を止めることは出来ないので、道路を迂回しながら何とか作品を運べるのではないかと思っていますが、問題はギャラリーに人が来てくれるかどうかです。新型コロナウイルスが夏までに終息してくれることを祈るばかりです。
    造園と彫刻との関係
    私の父は造園業を営んでいて、父が存命の頃は複数の植木職人が実家に出入りしていました。先祖代々野菜を作っていた畑には、植木が植えられ、また庭石が置かれていました。実家にはトラックの駐車スペースがあり、前日に切り落とした枝葉で職人たちが焚火をやっている光景もありました。中学生の頃から造園業を手伝っていた私は、とりわけ園芸仕事が好きというわけではなく、草花も商品として見ていたし、雑草は私が刈らなければならないものという認識があって、緑を楽しむ発想はありませんでした。「石を聴く」(ヘイデン・ヘレーラ著 北代美和子訳 みすず書房)を読んでいると、世界的な彫刻家であるイサム・ノグチが、幼い頃に神奈川県茅ヶ崎でアメリカ人の母と共に小さな家に住み、山から採取してきた草花を庭に植えている様子が描かれています。当時のノグチは園芸家になろうとしていたことも書かれていました。それがやがて木工作業になり、彫刻に発展していく様子は、私だからこそ共感を覚えるのかもしれないと思うところですが、私が歩んだ道はイサム・ノグチとは逆でした。父の造園業を見直したのは、私が彫刻を学んだことが契機だったからです。造園から発展して彫刻に辿り着いたイサム・ノグチと、彫刻を知ったが故に造園を見直した私。世界的彫刻家と比べるのは些か気が引けますが、私がイサム・ノグチの世界観に特別な親近感を抱いているのはこんな事情です。書籍の中にあった「断定的主張の欠如」というイサム・ノグチの彫刻の特徴を示した語句に、私は敏感に反応してしまいました。まさに日本庭園がもつ自然をそのまま受け入れた造形に通じるものがあるからです。庭石の肌や見え方に従って石を置く位置を少しずつ変えて、石と石の関係性を大切にする、また植木の枝ぶりを見て向きを決定する、そんな父の指示によって、若い職人たちと半端職人の私は力を振り絞っていました。何のためにそんなことをするのか、これは風景の模倣であり、象徴化された自然を再現することにあるのです。己の造形的主張より自然との融合を優先する考え方は、まさに「断定的主張の欠如」なのだろうと思っています。イサム・ノグチはそんな日本庭園の考え方を自作に取り入れた最初の芸術家だったと私は認識しています。