2020.02.06 Thursday
「あそぶ神仏」(辻惟雄著 ちくま学芸文庫)のⅡ「野に生きた僧」についてのまとめを行います。本章で取り上げられている風外慧薫について、私は恥ずかしながら全く無知だったため、本書の図版で初めて作品を知った次第です。風外慧薫の紹介では「地方にはほこりにまみれ垢じみた僧衣をまとう遊行僧の姿があった。かれらは師を求め道を求めて各地を放浪し、時には洞窟に雨露を凌いで修行を続けるかたわら、民衆と親しく交わって人生の教師となり、仏の道を説いて敬愛を集めた。風外慧薫はそうした近世における『野の聖』の草分けの一人に当たる異色の存在である。」とありました。活動した年代からすると風外慧薫は室町時代の人だったと思われますが、そうした遊行僧の姿は脈々と近代まで続いていたのではないかと思われます。私の実家にも流れ着いた僧が書き残した書があって、素人の目にも見事なものではないかと思うからです。明治だったか大正だったか、農家を営んでいた若い頃の祖母の元に乞食のような僧がやってきたそうで、粟や稗ではなく貴重な米の食事を与えたところ、部屋を所望されて暫し閉じ籠り、書を数点書き上げたそうです。そのうち1点が自宅にあり、もう1点は実家にあります。他は行方不明になっていますが、公式な鑑定はせずに私のお気に入りとして自宅に飾ってあるのです。風外慧薫に話を戻します。「風外慧薫は戦国時代の終わり頃に当たる永禄11年(1568)、上野国(群馬県)の山中、碓氷峠の近くに生まれた。幼くして母を失い、その乳房を恋い慕って吸うのを人が見て、仏縁が深いと、近くの曹洞宗の長源寺という寺に預けられ、成人後はこの上野・下野一帯の曹洞宗の寺を転々と放浪して修行を積んだ。」というのが現在分かっている出生です。「風外はその生涯に数多くの書画を残した。真鶴の滝門寺に伝わる『大字十二行書十二幅』のような大作もあるが、托鉢の折の布施の返礼として書かれたものが大多数である。~略~白隠、仙厓のいわゆる禅画と、室町水墨画の禅機図とをつなぐものとして、風外慧薫の作品を位置づけることができる。」また布袋図を評してこんな文章がありました。「いかめしい達磨にくらべ、袋をかついでちょこまかと画中を歩き、あるいは、天空の月に指さしまじめくさった顔で悟りの境地を示す布袋の姿には、愛嬌とともに哀愁がこもっている。」とあり、風外慧薫はどんな人だったのか興味が湧くところです。「風外慧薫は、忘れられた存在である。深い宗教体験と学識を持ちながら、白隠のようにそれを多く語らず、名利をかたくなに断って野の乞食として生涯を終えた。」
2020.02.05 Wednesday
今月はもう既に1回分の週末が過ぎてしまいましたが、改めて今月の制作目標を考えてみました。2月は建国記念日や天皇誕生日の振替休日があって、11回の休日があります。そのうち2回は過ぎたので、残り9回を創作活動に充てていきたいと思っています。やるべきことは新作屏風を構成する厚板に格子模様の窓を刳り貫く木材加工です。厚板は2枚を張り合わせる2層構造になり、1層目は陶彫部品が接合される部分とその周囲全体に広がっている格子模様を全て刳り貫くのです。2層目は1層目を張り合わせた時に、部分的に格子模様を刳り貫いて、貫通した部分と貫通しない部分を作っていこうと考えています。そこが今回の一番の見せ場ともいうべきところで、廃墟化した都市を鳥瞰した世界を作ろうとしているのです。陶彫部品も格子模様を施してあって、架空都市の中に異様な生物が横たわっているように見えるかもしれません。当初は格子窓に絡めるような陶彫部品を考えましたが、格子を小さく設定したために、途中からイメージを変えました。今月の制作目標としては木材加工を1層目も2層目も完了させることですが、果たして出来るかどうか、ちょっと厳しいところです。というのは乾燥をしている陶彫部品もあって、1回は窯入れをしたいと思っているのですが、どこの週末を使おうか思案中です。厚板に接合する陶彫部品は焼成が終わっていないと、大きさが割り出せず、陶彫部品が接合される部分の刳り貫きが滞ってしまうのです。そんなことも念頭に置きながら、今月は只管木材加工をやっていくしかないと思っています。
2020.02.04 Tuesday
先日、東京上野にある東京国立博物館平成館で開催中の「出雲と大和」展に行ってきました。本展は日本書紀成立1300年という節目で、日本の古代を出雲大社に鎮座する神である「幽」と、ヤマト政権において天皇を頂く「顕」を対比して展示された、かなり大掛かりな展覧会で、島根県と奈良県、どちらも私は足を運んだことがあり、旧知の展示品ながら、こうして並列して眺めてみると新鮮な感覚が芽生えたのが不思議でした。何しろ展示品から日本の古代文化を探ることは、自分のルーツを確かめられるような気がして、こんなに楽しい企画はないと思ったほどでした。日本書紀や古事記とは何か、図録の最初の文章を執筆した佐藤信氏の文章より拾ってみます。「『日本書紀』は、律令国家が自らの歴史的なアイデンティティーを主張した史書であった。」とありました。続いて「和銅5年(712)に、大和に本拠をもつ豪族出身の太安万侶が撰録した史書が『古事記』である。~略~『日本書紀』は、養老4年に舎人親王を編纂代表として撰進された国史である。」とありました。古代の出雲についてもこんなふうに書かれていました。「古代出雲は、多くの古代文献や遺跡に恵まれている。『古事記』『日本書紀』が出雲神話を多く取り込んでいるほか、和銅6年(713)に編纂を命ずる詔が出された風土記として今日に伝わる五風土記のなかで、ほぼ完存する風土記として貴重な『出雲国風土記』があることは、大きな特徴となっている。『出雲国風土記』には、風土、物産、古老の伝承や地名起源説話など、地域の社会像も豊かに描かれており、地域の古代史像を具体的に物語ってくれる史料として注目される。」ここで「国譲り神話」に関する興味深い文章を見つけました。「『古事記』『日本書紀』にみられる出雲の立場は、『国譲り神話』に象徴的に示される。出雲の大国主神は、皇祖神の天つ神に葦原中国の支配権を譲るかわりに、自らを出雲の高い神殿に祭ってもらうことになった。」これは出雲大社に存在したと言われる特異な高さを誇る神殿のことを言っているのではないかと思います。本展にその遺構である心御柱と宇豆柱が来ていて、そこから割り出された高さ48メートルにも及ぶ神殿の模型もありました。私は2年前の夏に島根県立古代出雲歴史博物館でこの模型を見ていて、度肝を抜かれたのを思い出しました。この「出雲と大和」展は興味関心が尽きません。このNOTE(ブログ)ではまだ展示品に触れていませんので、稿を改めようと思います。
2020.02.03 Monday
先日、東京上野にある東京国立博物館東洋館で開催中の「人・神・自然」展に行ってきました。副題が「ザ・アール・サーニ・コレクションの名品が語る古代世界」とあってカタール国の王族のコレクションより厳選された工芸品が展示されていました。何より私が惹かれたのは人や動物がもつ表情の数々で、仮面が大好きな私としては必見の展覧会でした。コレクションが世界各地にわたっているため、その地域性と言うより、古代文化を概観できて、そこに共通するものを見出すことも出来ました。図録の冒頭の文章を拾います。「分立した小さな共同体から成る古代世界。そこで暮らす人々は、生命を育むと共に、脅威をもたらす存在でもあった広大な自然界に取り囲まれ、同時に創造主との好ましい関係をもとうと試みながら、自らの本質とアイデンティティを見極めようとしました。」これが人と神と自然の関係を考える上での最初の導入部分です。また、神に関しては地域性が現れてきます。「古代世界では、一神教と多神教の双方の信条が存在していました。最も有名な唯一神の例はユダヤの神ヤハウェであり、信者たちに『あなたには、わたしをおいてほかに神があってはならない』と述べたことがよく知られています。~略~古代エジプトや西アジアの伝統では、人間と、動物や鳥類を取り合わせた姿で神々を表すことで、その存在が信じられていた超自然の力と属性を表現しました。~略~古代ギリシャとローマの人々は、さらに一歩進んで神々を人間の姿で描写しました。~略~突然の飢餓や不安定な衛生状態、また、絶え間ない戦争と常に向き合わざるを得なかった古代においては、神の恩寵を勝ち取ることが不可欠と考えられました。」(ジャスパー・ガウント著)古代生活にあっては超自然なるものに畏怖を覚え、その原動力が美的産物を残したのであろうと察します。展示された作品群はどれも極めて美しく、現代では忘れがちな生命力に溢れたものがそこにありました。最後にアインシュタインの言葉の引用がありました。全文を書き出します。「私たちが経験できる最も美しく、深遠な感情は、不可思議なことを感じ取る感性である。それは真の科学を生む源になるものである。こうした感性を知らない人、もはや驚嘆することも、深い畏敬の念を抱くこともできない人は、死んでいるも同然である。私たちにとって不可解なことであっても、それは実際に存在するものであり、最高の叡智と眩いばかりの美となって現れるものであり、私たちの愚鈍な能力ではそれらの最も原初的な形でしか理解できないことを認識することーこの自覚、この感性こそが真の敬虔さの中心となるものである。」
2020.02.02 Sunday
今日は朝から夕方4時まで工房に篭りました。いつも来ている高校生が美大受験用の基礎デッサンをやっていました。私は昨日に続き、新作の屏風になる厚板の刳り貫き作業をやっていました。屏風は6枚の厚板で構成するように計画していて、そのうち2枚は刳り貫き作業が終わっています。厚板全体にわたって小さな格子窓を刳り貫いていて、そこに陶彫部品を接合していくわけですが、厚板は刳り貫いた板とは別に、もう1枚用意してあって、それらを2層目として下に敷いていこうと思っているのです。2枚の厚板を重ねた厚みが屏風1枚の厚みになります。陶彫部品を接合するのは2層目になる厚板です。2層目の厚板は1層目とは異なり、ところどころ刳り貫いて変化をもたせるつもりです。つまり貫通している格子窓もあれば、貫通していない格子窓があって、そこにデザイン性を盛り込んでいきたいと考えているのです。作業としては2層目よりは1層目の全面刳り貫きが大変で、今日の午後に3枚目に取り掛かりました。何とか早めに6枚を終わらせて、2層目に取り掛かっていきたいと考えています。屏風は2層で1枚になり、それが6枚出来たところで全面に砂マチエールを施し、油絵の具を染み込ませようと思っています。先を考えると気が遠くなりますが、今月は只管作業をするのみで、木屑まみれになって7時間やり続けました。今月はこの作業一辺倒になるかもしれません。いつ頃から2層目に取り掛かれるのか、改めて考えて制作目標を立てますが、なかなか厳しい作業だなぁと思っています。ただ、これが今回新作としての独創性でもあるし、他に類を見ない傾向でもあるのです。