2020.04.14 Tuesday
「アフタヌーン・インタヴューズ」(マルセル・デュシャン カルヴィン・トムキンズ聞き手 中野勉訳 河出書房新社)・Ⅰのまとめを行います。現代アートに大きな影響を与えた巨人マルセル・デュシャンへのインタビューで語られているのは、突飛な発想ではなく、寧ろアートを特別視しないデュシャンの自然な考え方でした。私が興味を感じた箇所を書き抜いてみます。聞き手のC・トムキンズの「新しいアート活動がこれだけ起きているというのは、或る意味で健康なしるしなのでは?」という問いかけに、「そういう面はある、社会という観点から考えるんならね。ただ、美学の観点からすればたいへん有害だと思います。わたしの意見では、こんなに生産が活発になっては、凡庸な結果しか出てこない。あんまり繊細な作品を仕上げる時間的余裕がない。生産のペースが猛烈に速くなってしまったんで、また別の競争になるわけだ。」またこんなことも言っています。「20世紀が装飾的だとは、わたしはぜんぜん思わない。ただ、アートのつくり方において、まるで耐久性がない。アートの生産に用いられている手段がたいへん傷みやすい。粗悪な顔料を使っている。わたしらみんなそうしていた。わたし自身そうしていたんだ。だから短期間のうちに、そういう生産物は消滅するだろう。~略~その瞬間のためのアート、未来にも過去にもお構いなしのアート。わたしの思うに、それが20世紀全体の特徴だったんじゃあないか、フォーヴ以降ね。」インタビューが前後しますが、そんなアートの世界で天才は現れるのだろうか、ということにもデュシャンは意見を述べています。「締めくくりにわたしは、アートの方面では、未来の偉人というのは目に見えない、見えるべきではない、地下に潜行すべきだ、と言った。ちょっとでもツキがあれば、死んだあとに認められるかもしらんが、まるきり認められないかもしらん。地下に潜行するというのは、社会とカネの取引をしなくてもいいという意味です。そういう人は統合なんぞいさぎよしとしないはずだ。地下がどうのというのはたいへん興味深い話で、いま現在、天才アーティストってのもいるかもしらんが、まわりをカネの海に囲まれて、そのせいでダメになったり汚染されたりしてるんなら、才能は完全に溶解してゼロになってしまうからね。」こんなところが私には気になりました。
2020.04.13 Monday
今日は4月とは思えない寒い一日で、雨がどしゃ降りの時間帯がありました。午前10時から横浜市北部斎場で、我が家の菩提寺である浄性院の住職を呼んで、母の葬儀を執り行いました。本来なら親戚縁者が集まってくるところを、新型コロナウイルスの感染拡大の影響で、家族だけに限った6人の質素な葬儀になりました。他の葬儀を見ていると、我が家と同じくらいの人数で行なっていたので、感染症がこんなところにも影響を及ぼしていることがよく分かりました。私は職場から忌引きの休暇を今日までいただいていましたが、朝から副管理職と電話で打ち合わせをしていました。私たちの職種はテレワークというわけにはいかず、それでも職場の待機人数を減らしているとのこと、少ない人数で職場が上手く回ってくれることを望んで、人員配置を副管理職にお願いしました。副管理職は私に代わって、よく陣頭指揮を執ってくれていると思っています。母の葬儀に話を戻すと、母の遺体を家族で囲んで花を手向ける場面がありました。横たわる遺体の風貌は母そのもので、安らかに眠っている姿が印象的でしたが、それは既に母ではなく何か別の雰囲気がありました。不謹慎を承知で言うと、母はもはや母ではないと感じました。人間は生物的な死とは別の、たとえば魂の在り処がどこにあるのか、それが失われるとその人は外見だけを留めた存在になるのではないかと思います。死を哲学できるのは高度な知性を有する人間に限られていて、そのために他界への準備を行い、後に残された人々が死者が歩んでいくであろう死後の世界をイメージできるようになるのだと私は考えます。以前読んだショーペンハウワーの哲学書にそんな記述がありました。その頼りとなるのが宗教で、私はそれがどんな宗教であっても可としています。我が家の菩提寺である浄性院は浄土宗で、浄土宗なりの死後の世界観があって、住職が読経し、故人を偲んで説話をするのもそうしたイメージに私たちを導くために行なっていると考えられます。私は浄土宗のことはよく知りませんが、先祖代々慣れ親しんだ宗教文化を否定する気になれません。読経は昔から馴染みがあって快いと感じることが大切なのかなぁとも思います。私が学習したのはキリスト教ですが、どうもキリスト教文化には今ひとつ馴染めないところが、若い頃の滞欧生活で感じたところです。母の葬儀でそんなことをあれこれ考えていました。私もあと何年生きるのでしょうか。自らの死生観が具現を伴って私の心に棲みついたようです。
2020.04.12 Sunday
今日は朝から工房に篭って、新作の陶彫制作に追われていました。屏風になる新作の陶彫部品の追加もあれば、昨日から始まったテーブル彫刻を先に進める工程もあって、今月も多忙な週末になっています。今日はテーブル彫刻は横に置いておいて、新作屏風の陶彫制作を行ないました。陶彫部品の中にはかなり乾燥が進んだものがあって、ヤスリをかけて仕上げをしました。その後、化粧掛けを施して窯に入れました。陶彫は最終制作工程である窯入れをしないと作品が出来上がったとは言えないのです。窯内で壊れることもあり、焼成は予断を許しません。その分、人間の手が及ばない神の領域に作品を預けることになり、こちらの緊張も高まります。窯を出す時は決まって気分が高揚します。これがあるからこそ陶彫がやめられないのです。我が作品よ、炎神に翻弄されて強力な造形物になって帰ってこいと思わず声を出してしまうのは私だけでしょうか。窯に入れてしまうと工房の他の電気は使えず、今日は午後3時に作業を終了しました。今日の午後は先日他界した母の納棺があって、家内と横浜市北部斎場に出かけました。母は綺麗に化粧を施されていました。本来なら今日が通夜になり、母と縁があった多くの弔問客で賑わうはずでしたが、新型コロナウイルスの感染拡大の影響で、ほとんどの斎場で通夜を省略しているケースが目立ちました。家内と私だけの質素な納棺になりましたが、これも仕方がないのかと思いました。明日は葬儀ですが、私たちと妹夫婦だけの式になるのです。派手好きで社交的だった母には申し訳ないと思いつつ、まさかこんなことになるとは思いもよらなかった昨今の事情です。精進おとしを和食店で2人だけで行ないましたが、店には私たちしか入っていない状態でした。
2020.04.11 Saturday
週末になりました。今月の制作目標に従って、今日から新たなテーブル彫刻の制作を始めました。新たなテーブル彫刻として、昨年制作し7月にギャラリーで発表した「発掘~曲景~」の対を成す作品を作ろうと思っています。「発掘~曲景~」は曲面を多用した作品でしたが、今回の新作は尖った平面を多用するイメージです。基本となる形態は三角形で、テーブル部分の加工は昨年のうちに終わっています。今日はテーブルになる厚板2枚を接着して乾燥させることにしました。テーブルの上には陶彫部品を3点配置しようと思っています。一番大きな新作である屏風に接合する陶彫部品はどれも曲面を生かしたものばかりで、これは「発掘~曲景~」にヒントを得たものです。テーブル彫刻は矩形による立体にするので、今までとはちょっと勝手が違います。これも大いに楽しんでいこうと思っています。今日は朝から工房に篭っていましたが、染めのアーティストが久しぶりに顔を出しました。首都圏が新型コロナウイルスの感染拡大の影響を受けて緊急事態宣言を出したため、暫く彼女の家で制作するとのことで、道具や材料の運搬のために自分の車でやってきたのでした。彼女は工房では何かと仕事を手伝ってもらっている大事なスタッフなので、大きな空間が必要なときは再びここに来るように伝えました。その他工房に通ってきているスタッフは高校生たちなので、新型コロナウイルスの騒動が一段落しないと、工房には来させられないと思っています。彼女たちはどんな過ごし方をしているのかなぁと時折思いを巡らせていますが、私は暇を持て余すことはなく制作に没頭しています。いろいろな意味で創作活動をやっていて良かったと思えることがあり、また創作世界の構築のイメージが広げられたり、自分の中で思索をすることで、こんな緊急事態の窮屈な時ほど、メンタルが助けられているのではないかと感じることもあります。明日も制作は継続ですが、夕方には亡き母の用事も控えています。
2020.04.10 Friday
4月のRECORDを「紅」にしました。と言っても今月のRECOERDはまだ1点も色彩を使っておらず、下書きに色彩のメモを記入してあるだけです。一日1点ずつポストカード大の平面作品を作り続けて10年以上が経ちました。それを全てRECORD(記録)と称していますが、制作は夜に限られています。自宅のダイニングで古新聞紙を下敷きにしてアクリルガッシュで彩色しています。時にペンで仕上げをする場合もあります。毎晩RECORDの制作をやってきたのですが、現在は自宅のリフォーム工事でダイニングが使えません。旅行に出た時も下書きだけをホテル等でやっていて、仕上げは自宅に帰ってからやっているのです。制作場所として決めてきたダイニングが使えない状態では、RECORDが一向に進まず、今後どうなっていくのか不安は募ります。今はRECORD史上最大のピンチとも言えます。そんな中でもテーマを決めて、下書きだけでも蓄積することにしました。テーマとした「紅」は「くれない」と読み「呉の藍」の音が変化したもので、日本文化特有の色彩感覚に基づいた色です。染料で言えばキク科の紅花で染めた濃い赤で、外来の色彩とは少々異なり、日本人の繊細なセンスが受け継がれています。そうは言ってもRECORDはアクリルガッシュで彩色するため、微妙な雰囲気は出せないかもしれません。「紅」のことを調べようとネットを検索すると「XJAPAN」のメジャー曲が出てきたり、宮崎駿監督の「紅の豚」が出てきます。今では「紅」は案外ポピュラーな色彩なのだろうと思っています。ダイニングが整ったら、RECORDの遅れを取り戻すべく頑張っていこうと思っています。