2020.01.02 Thursday
「創作活動の再始動」なんて大袈裟なタイトルをつけましたが、大晦日まで連日陶彫制作に明け暮れていて、元旦だけ陶彫制作を休んで今日からまた始めたので、再始動と言っても休んでいる感じはしません。仕事の閉庁日が続いている間は継続的に創作活動に勤しんでいて、毎日のように陶土に触れています。それでも新年になり、そのけじめとして2020年の制作は今日から始めるという宣言をしたいと思います。その宣言が故に「再始動」なのです。ともあれ今年も7月に個展を開催するため、現在は個展で発表する新作を一所懸命作っています。しかし私にとって個展がゴールではなく創作活動の途中経過に過ぎません。未だゴールは私には見えません。どこに向っていくのかも考えが至らず、造形思索のキャリアを積むだけという意識が強いのかなと思っています。生涯を賭けて作り続けた後にどんな景色が見えるのか、それを見てみたい願望のようなものも実はあります。詩人の故黒田三郎の詩に「苦業」という作品があります。暗く険しい螺旋階段を只管上っていくうちに、きっと水平線が見えるはずだという内容で、ずっと私の心に残っているコトバです。今日は朝9時から夕方4時までの7時間を作業に費やしました。恒例の箱根駅伝をラジオ中継で聞きながら、成形やら彫り込み加飾をやっていました。私にとって創作活動の日常は、水平線を見るために螺旋階段を坦々と上っていくことだし、駅伝じゃないけれども私も長距離ランナーみたいなものだと認識しました。焦らず休まずブレることもなく継続していくことが自分のやり方で、今年もその流儀でやっていこうと思います。二足の草鞋生活を続けていく上でのシステマティックな日常は、無駄がない分メンタル的には救われているような気がしています。ウィークディは公務員管理職、週末は彫刻家という二兎を追う身では、余計なことを考える余地がないのです。他分野の波を被ることがないと言ってもいいと思います。家内は私の今の生活を創作充電期間と言っていました。ギャラリーで発表していたとしても、それ以上でもなく以下でもない生活。それを家内は充電と言っていますが、自分も螺旋階段を上がっている身をイメージしているので充電を自覚しているのかもしれません。2020年はこのモチベーションを維持していけそうです。
2020.01.01 Wednesday
2020年になりました。新春のお慶びを申し上げます。今年もよろしくお願いいたします。2020年は今まで報道されているように東京オリンピック・パラリンピックが開催される年です。昨年のラグビー・ワールドカップも熱狂させていただきましたが、オリ・パラでもきっと幾つもの筋書きのないドラマが見られるでしょう。心より楽しみにして開催の夏を待ちたいと思います。2020年は自分にとってどんな年になるのか、創作活動でも新たな希望が湧いてきます。私はまだ公務員管理職と彫刻家の二足の草鞋生活を続けていけそうで、日常生活に大きな変化はないものの、2021年3月が退職の年になるので心の準備だけはしておこうと思います。さて、我が家の元旦は、裏山の小さな稲荷の祠や実家にある古井戸に小さく刻んだ餅と油揚げを供物として捧げることから始まります。祠は自宅と母の実家の間にある雑木林の中に鎮座しています。何代か前の私の先祖が、廃棄してあった稲荷を拾ってきて祠を作ったことで、相原の家は栄えたのだと亡き祖母が言っていました。当時、我が家は半農半商だったようで、商いとして祖父は大工の棟梁をやっていました。父は造園業に転じ、羽振りがよい時期もありました。私の代になっても元旦くらいは先祖に従い、氏神となった小さな祠を大切にしていこうと思っています。昼頃は毎年恒例になっている東京赤坂の豊川稲荷に出かけました。母の息災延命と家内と私の芸道精進を祈願して護摩を焚いてもらいました。小さなお札も購入して祠に入れておく予定です。今日くらいは陶彫の作業を休もうと思っていたのでしたが、明日の成形準備のために座布団大のタタラを数枚用意しました。1時間程度の作業でしたが、工房の窯にもお供えをして無事に焼成が出来るよう炎の神様にもお願いをしてきました。特定の宗教を持たない私ですが、祈りの気持ちは常に持っています。現在やっている私の仕事が自然の理に叶っているのかどうかを、私は気にするタイプです。そこに理屈はありませんが、依怙地になって無理をしているとしっぺ返しがくると、幼い頃から固く信じている節があります。何よりも自分が居心地の良い場所で思い切り仕事をするのがベストと思っているのです。今年もHP&NOTE(ブログ)も合わせて、よろしくお願い致します。
2019.12.31 Tuesday
2019年の大晦日を迎えました。まず今年の総括を行う前に、今月を振り返ってみたいと思います。新作の陶彫制作ですが、床に這う根の部分は19点が出来上がり、今は屏風に接合する陶彫部品を作っている最中です。屏風に接合する部品は現在12点の成形や彫り込み加飾が終わっています。一日1点ずつ作っているRECORDは、下書きばかりが先行する悪癖が出てしまい、仕上げは来年に持ち越します。二足の草鞋生活のもうひとつの顔である公務員管理職として今年は職場が変わり、新しい仲間たちと一緒に仕事をしてきました。9ヶ月が過ぎて大分慣れてきましたが、多少勝手が違うこともあって今だに困ることもあります。来年度は続投の依頼がきましたが、定年になって仕事が創作活動だけになってしまうと一体どうなるのか、そろそろ考え始めなくてはならないと思っています。今月の鑑賞は美術館や画廊に行く暇がなく、映画鑑賞だけになってしまいました。「シュヴァルの理想宮」、「存在のない子供たち」(2本ともシネマジャック&ベティ)を見てきました。私には2本とも刺戟のある優れた映画だったと振り返っています。自宅に関する私事になりますが、築30年になる自宅の雨樋修理や屋根の補修、外壁塗装などをやることになり、大型台風の影響があったため、災害保険の適用を受けました。全額は出してもらえず貯蓄から持ち出しになりましたが、次は内部のリフォームをやっていこうと計画しています。私たち夫婦も断捨離をする時期を迎えたのかなぁと思っています。工房ではロフト拡張工事を行ない、増えてきた彫刻作品の保存を真剣に考えざるを得なくなりました。個展(ギャラリーせいほう)は今年14回目を終わらせたので、作品が増えていくのは仕方がないなぁと思っています。何しろ今年も病気も事故もなく創作活動に邁進出来たことが何よりも幸運だったと思っています。二足の草鞋生活で職場には迷惑をかけないようにしたいと私は思っていて、そのために職場環境を良くしておかないと創作活動もままならなくなります。日頃から職場の人との繋がりや組織を大事にしていきたいと思っています。最後にホームページについて触れておきます。このホームページは私の創作活動の面から情報発信をしているもので、画像は陶彫作品とRECORD作品に限られています。カメラマンと相談しながら画像の構成をしていますが、今後はさらに充実させたいと考えています。NOTE(ブログ)は日々の記録ですが、日記というより展覧会や映画の感想や、書籍から得た知識、作品の進行具合など思いつくまま書いています。拙い文章を読んでくださっている方々に感謝申し上げます。来年もよろしくお願いいたします。皆さまにとって来年が良い年でありますようにお祈りしています。
2019.12.30 Monday
先日、常連になっている横浜市中区にあるミニシアターにレバノン映画「存在のない子供たち」を観に行きました。上映が始まると、中東の貧民窟の生活が映し出され、演出ともドキュメントとも言えない凄まじさの中に自分が放り込まれた感覚を持ちました。これは女流監督の独特な手法にあったらしく「弁護士に扮したラバキー(監督)以外は、ほとんどが映画初出演の素人をキャスティングしている。主人公の少年ゼインも、ゼインを助けたエチオピア移民のラヒルも、演じる役柄とよく似た境遇の人々が選ばれた。ラバキーは彼らに、感情を『ありのまま』に出して、自分自身を生きてもらい、彼らが体験する出来事を演出するという手法をとった。」と図録にありました。映画の冒頭で「両親を訴えたい。僕を産んだ罪で」と裁判長の質問に答えた少年ゼイン。彼は人を刺した罪で拘置所に送られていたのでした。そこから彼の壮絶な過去が語られます。両親と兄弟姉妹で暮らしていたゼインは学校へも行かず、路上で自家製のジュースを売っていたり、雑貨店を手伝ったりして一日中働かされていたのでした。妹のサハルだけが彼の心の支えでしたが、親が決めた結婚の犠牲となった妹と別れ、ゼインは家出をします。外ではさらに過激な生活が彼を待っていましたが、万引きやら違法な薬物製造も行い、移民の幼児を抱えたゼインは逞しく生きていました。面倒を見てくれたエチオピア移民のラヒルは不法就労で警察に拘束されて、ラヒルの幼い息子はゼインが仕方なく世話をしていたわけで、物乞いをしながら子供がさらに幼い子供を支える状況が語られていました。やがて妹が死んだことを知らされたゼインは、旧知の妹の夫に傷を負わせてしまいました。その罪のために拘置所にいたゼインは、社会問題を取上げるテレビ番組に電話をして、自分が置かれた現状を知らせます。そこに反響があり、冒頭の裁判所に映像が戻ります。タイトルの「存在のない」とはどういうことか、監督へのインタビューでそれが判明しました。「研究を重ねていく中で、出生届を行う資金が両親に無いため、生まれても正式な証明書類が発行されない赤ん坊が何人もいることが分かった。そういった子供たちは、法的にも社会的にも、『不可視』な存在となってしまう。正式書類が無いが故に、死んでしまう子供たちも沢山いる。その理由の多くは、育児放棄、栄養失調、もしくは単純に病院での治療が受けられないから、というもの。」子供たちは生まれてこなければよかったと言っていて、国の経済政策によって人権までも侵害される現状を、この映画は全編を使って強く主張していると感じました。それを描き出した監督の力量に拍手を送ります。
2019.12.29 Sunday
昨日から始まった職場の閉庁日(休庁期間)ですが、改めて制作目標を掲げておきたいと思います。週末である今日も朝から夕方まで陶彫制作に明け暮れました。閉庁日9日間のうち、元旦と従兄弟会を除く7日間で何をどのくらい作るのか、具体的な陶彫部品の個数を挙げていこうと考えました。屏風に接合する陶彫部品は現在のイメージでは22点と思っていて、現時点で10点が成形と彫り込み加飾が終わっています。そのうち焼成まで終わっているのが5点あります。残り12点を閉庁日7日間で作れるのかどうか、こればかりは無理な感じがしますが、それでも制作目標に掲げておこうと思っています。屏風に接合する陶彫部品は床置きよりは小さめですが、手間は変わらず、寧ろ小さい分だけ時間がかかるように感じています。閉庁日7日間は屏風に接合する陶彫制作一辺倒です。寒い日が続き、陶彫部品の乾燥が進まないため、窯入れが出来ず、それは陶彫制作をやっていくには好都合です。今日は昨日準備したタタラを使って2点の成形を行いました。いつものように混合陶土が無くなったので、明日は土練りから始めなければなりません。毎日のように陶土に触れていると手が荒れてきます。ハンドクリームを手放すことが出来ません。陶彫制作に集中していると時間が経つのが早く、あっという間に一日が終わっていきます。日々決めている作業時間の7時間は、気持ちの持続にはちょうどいいのですが、なかなか進まず心は焦るばかりです。かといって時間を延ばすことは精神的に難しいと思っています。今朝の寝起きに屏風の全体イメージがふと頭を過ぎりました。公務員の仕事から次第に解放されていくと、彫刻に心身ともに近づいていき、イメージの更新が頻繁に起こります。私の中にまるで2人の人間が棲んでいて、私を突き動かしているようです。彫刻家の私はあまり冷静ではなく、自分の作品以外は目に入りません。因みに公務員管理職の私はさまざまなことが目について、あまり細かいことに拘っていると職員から疎まれる存在になってしまうのではないかと危惧しています。そのため極めて鷹揚に振舞うように努めているのです。別人格の2人のうち、今はすっかり彫刻家の私になっていて、我が強く専制君主のような精神状態です。他人に危害は加えませんが、彫刻家の私は鼻持ちならない人物に成り下がっているのです。