2019.12.13 Friday
先日から「あそぶ神仏」(辻惟雄著 ちくま学芸文庫)を読んでいます。本書の1「日本美術に流れるアニミズム」についてのまとめを行います。本章では、縄文時代の土器から江戸時代の絵師伊藤若冲と葛飾北斎に至るまでのアニミズムの際立つ特徴的な作品を取り上げ、日本美術の独自性を浮き彫りにしていました。あらゆるものに神仏が宿ると祖父母に教えられてきた私は、我が家での身近な風習を思い出し、実家の裏山に鎮座する稲荷の祠を蔑ろにすると罰が当たると信じていたのでした。地元の神社の周囲にある巨木にも何かが棲息していると子供心に思っていたことが、アニミズムへの憧憬とも感じられて、本書に書かれた内容に共感を覚えました。「古い巨きな樹に、人々は神が宿ると信じ、神木として崇めてきた。仏教が入って来てからそうした聖なる樹に仏が化現するようになる。神と仏との融合である。山中で修行する修験僧は、樹木に仏の姿が化現するのをまのあたりにすることができた。かれらはその姿を生きたままの樹木に彫り付けた。いわゆる立木仏である。」また、実家で使い古した食器にも不思議な謂れがありました。「『つくも神』は人間や他のものの霊が器物にとりついたのではなく、古くなった器物がそのまま精霊に化したものである。それは日本人のアニミスティックな心性の端的なあかしにほかならない。15、6世紀の絵巻にいきいきと描かれたこれら器物の妖怪のイメージは、中世人のアニミスティックな心を映し出す鏡といえるのである。」解説はさらに伊藤若冲や葛飾北斎に及んで、私はこんな文章に注目しました。「日本の美術に見る動物たちが、可愛らしく擬人化されているのは、日本人が自分たちとかれら動物たちとの間にはっきりした境界を設けないことに関係する。日本美術におけるアニミズムは、自然に対するおそれだけでなく、このような自然への親しみをこめたユーモラスな遊びの表現と結びついている点に大きな特色があるといえよう。~略~日本のアニミズムは、道教や俗信仰を通じて中国のアニミズムの影響を絶えず受けながら、縄文以来一万年をうわまわる年月を生き延びてきた根強い文化伝統として現在にもまだ生きている。」そういうことならば現代美術にも脈々と流れるアニミズムがあるはずで、コトバで説明できない空気感かもしれず、私たちの生育歴から齎されるモノとも考えられます。最近のゆるきゃらにしても、おたく系のアニメ動画にしても、私は日本人としての独自性が発揮された表現と言えるのではないかと思っています。そこにちょっぴり不気味な要素が漂うと、まさにモノノケとの境界を設けない私たちの専売特許で、そこが外国人にウケるところかもしれないと思ったりしています。
2019.12.12 Thursday
「呪術としてのデザインー芸術民俗学の旅」(中嶋斉著 彩流社)を鞄に携帯して通勤途中に読んでいる最中ですが、私は昔から複数の書籍をあちらこちらと読み散らかしてしまう読書癖があります。興味の対象が目移りしてしまい、結果として書棚に書籍をため込んでいく傾向があるのです。今も自宅の書棚に未読の書籍がいっぱいあります。昨今では、デジタル書籍やネット映像が主流を占めて、そもそも読書から離れていく世代が目立っていると思われます。それでも私は若い頃から紙媒体による書籍が大好きで、頁を括っていく手触りに安らぎを感じてしまうのです。書籍の装丁も好きな要素の一つですが、書籍は知識や表現された世界を鞄に携帯できることが素晴らしいと思っています。私がつい購入してしまう書籍は、専門書から軽妙洒脱なエッセイまでさまざまです。専門分野では芸術はもとより哲学系のものが多いなぁと感じます。よく読んでいるのは、ちょっぴり専門知識の入った評論やエッセイで、それにより自分の興味関心の在処が分かります。私には私なりの傾向があって、また年代によって興味の対象が変わってきています。今日から読み始めた「あそぶ神仏」(辻惟雄著 ちくま学芸文庫)は、江戸時代の宗教美術に視点をおいた書籍で、著者の辻惟雄氏は「奇想の系譜」で知られた我が国屈指の美術史家です。当然私も「奇想の系譜」を読んで、日本美術に対する面白さを開眼させていただいた一人です。若い頃は見向きもしなかった日本美術でしたが、この年齢になって足元に展開する摩訶不思議な美術が、私は大好きになったのでした。「あそぶ神仏」の冒頭に日本独特のアニミズムについての論考がありました。「アニミズムとは、動物、植物、あるいは石や水のような無機物にも、人間にあるのと同じ霊が存在するという思想である。~略~日本人のものの考え方、感じ方、あらわし方のなかに、アニミスティックな特徴が、さまざまなかたちで根強く続いていること、それが日本美術の表現をいきいきと活気づかせる上で無視できない役割を果たしていることを、私の専攻する日本美術史の視点から検証しようとするものである。」この文章によって本書「あそぶ神仏」の面白みが伝わります。読書中の「呪術としてのデザインー芸術民俗学の旅」と論考がクロスする箇所があろうかと思います。そうであるならば多角的な論考を併せて考察でき、私の薄っぺらな知識に多少なりとも奥行きを与えてもらえるのではないかと思っております。
2019.12.11 Wednesday
今晩の窯出しで新作の床置きになる第1ステーション4点、第2ステーション10点、合計14点の焼成が終わりました。ステーションの陶彫部品に関しては罅割れが少なく、まずまずの出来上がりだったなぁと思っています。第1・第2ステーションはそれぞれ設計通りの造形のため、組み合わせに新鮮な驚きはありません。それでも手間暇かけて作った分、それなりの迫力は感じます。自作の世界観を集合彫刻によって提示したいという意図は、今までも鑑賞者に伝わっていると自負していますが、組み合わせの妙が効果を上げて、寧ろ意図しない面白みが出ることを期待している私は、第1・第2ステーションの存在よりは、ステーション同士や屏風を繋ぐ根の陶彫部品に賭けていくしかないかなぁと思っているところです。昨年も根の陶彫部品を多めに作っておいて組み合わせによる面白みを狙いました。結局余分に作った陶彫部品は使わなかったのですが、それでも良いと考えています。現在は屏風に接合する陶彫部品を作っていますが、ステーション同士を繋ぐ陶彫部品も作らなければならず、意図しない意外性は今後の制作にかかっていると自覚しています。それは予め頭にある設計ではなく、その場凌ぎで思いついた感覚さえも取り入れていく余裕が齎すものではないかと思います。思いつきはさまざまな時や場面で訪れるもので、イメージの遊戯性とも言えるものです。そればかりでは作品は成立しないので、骨格を持ったイメージがまず存在して、その上で退屈なイメージを弄って壊していくような感覚です。構築と破壊の絶妙なバランスが頭の中でぐるぐる巡って、ギリギリに決着するのが最終作品になるのです。こんな発想が出来るようになった自分に多少の進歩を感じますが、それだけに着実性が失われていく危険も同時に感じます。ピカソのように破壊が常に隣り合わせなのは羨ましい限りですが、まだ自分はどうやらイメージの堂々巡りに陥ってしまっているようです。構築よりも破壊は数百倍も困難を極めます。自作の組み合わせによる新鮮な驚きは、鑑賞者ではなく、まず作者である自分が感じたいものなのです。
2019.12.10 Tuesday
「呪術としてのデザインー芸術民俗学の旅」(中嶋斉著 彩流社)の第2章の2「三保の羽車」についてのまとめを行います。静岡県にある三保の松原を有する海岸線は昔からの景勝地で、2013年に富士山世界文化遺産に登録されています。私は幼い頃に両親に連れられて、三保の松原を見に行った記憶があります。羽衣伝説で天女が羽衣を脱ぎ掛けた松は、柵に囲まれていて羽車磯田祠が立っていました。子どもの頃抱いていた漠然としたロマンが、本書によって伝説から伝承に至る文章で説明されていて興味が湧きました。「出雲の神は縁結びの神である。両性具有の蛇神は男と女、あの世とこの世を結ぶ神である。そして古来の呪術的信仰を、いち早く密教的観音信仰に結びつけた神であった。それは補陀落即ち印度の南の海に浮かぶ聖山の信仰を通してである。熊野からその地をさして船出する補陀落渡海は余りにも有名だが、五来重は、『修験道入門』(角川書店)で日本人のもつこの海上他界の観念にふれて、古来死霊や祖霊の集まる山上を霊場としてそこに修験道が発生したが、それに対して海の彼方にも祖霊が集まる世界(常世)があって、そこから人間界の救済に訪れる精霊を祀る海の修験道があったと書いている。その神霊や祖霊が海上を照らしながら寄りくる御崎の一つが美保の浦である。~略~いまこの美保の関を清水の三保に移して考えるならば、三保の浜辺でこの竜燈を焚くのは大山修験に代わる秋葉修験たちである。」こうしたことに興味が湧くのは、これが私たち日本人の土着から発生したものだからでしょうか。「近年三保の海辺で薪能が催されて、その地に因む『羽衣』が演じられる由だが、日本の芸能の多くは、伝統的に『松ばやし』の芸能であった。松に宿る精霊を松の木と共に迎え、その蘇生をはやし立てることが芸能の本義であった。今日の薪能は光の演出に重点をおいている。しかし本来薪は焼木で、松明は焼木の明かりであって、薪能は焼火の能である。松に宿る精霊の明かり(=出現)の芸能であろう。」最後にこんな一文がありました。「松ばやしの中に生まれた芸能にうたわれる『羽衣』は御崎の小島の松原に休らう弁財天にまつわる物語であったが、時と所に従って物語の筋も内容も変容を重ねていくように、神も仏も精霊もまたさまざまに変容をとげて、漁夫と契りを結ぶ比丘陀はいつしか竜宮に住む乙姫となり、またほのかな紅を白い裸体ににじませ、音曲の女神として江の島に祀られる。」ここから浦島太郎伝説を読み取ることが出来ました。
2019.12.09 Monday
「呪術としてのデザインー芸術民俗学の旅」(中嶋斉著 彩流社)の第2章の1「『花の時』を巡る」についてのまとめを行います。第2章から舞台は日本に移ります。しかも古代から受け継がれる祭りをテーマにしています。副題には「熊野に見るホトの祭り」とあって神話も含めた太古の遺物が登場してきます。初めの文章に「元来、椿は山茶花をさしていたらしい。それは春の始まりをことふれて歩く比丘尼の採物であった。大和や豊後に残る海石榴市の名は、彼女らが椿の枝をたずさえて魂ふりをしたことに由来すると折口信夫は推論する。」とありました。題名にある花の時と由縁のある霊場を訪ねるうち、こんな文章が目に留まりました。「『《日本書紀》にイザナミノミコトが火神を産んだとき、産道が焼けて死んだとある。また一書に、火神を産むとき、熱のためになやんで吐いたが、その吐いたものが金山彦となったとある。こうしてみると、このイザナミの出産の様子は、たたら炉から溶けた金属をとりだすときの光景と似ている。たたら炉の炎の色を見る穴をホド穴という。また鍛冶屋でも炭をくべてカネを焼くところをホド(火処)という。火神を産むときにイザナミがホト(女陰)を焼いて死んだと《古事記》の伝えるのは、これらと関連があるにちがいない』と谷川健一は『青銅の神の足跡』(集英社)で書いている。ホトは陰所であり、火処である。そこはクナドでカマドである。関西では火の神を荒神としいて祀り、そこをおクドさんと呼ぶ。家事では食物を煮たきする所であり、鍛冶では刀剣をきたえつくり出す所である。熊野は中央政権からはなれた陰所であり、難所で距てられた来名戸であったが、そこには山の陰所に住んで砂どりし、また、たたらを踏む鍛冶師の集団があったのだろう。スサノオがオロチを退治したが、オロチは鍛冶師の隠語であるというから、それを退治するのはその集団を支配することであった。」比丘尼に関した文章にも注目しました。「熊野比丘尼はミサキの神をいただいて歩く熊野信仰の尖兵であった。~略~彼女らは小さな神の祠を拝しながら、王子の死に自分たちの飢えに死なせた子供らのことを思い浮かべたり、死後の地獄の世界を思い合わせたであろうし、巨巌を仰いでは世の子らを慈しむ慈母観音を想像していたかも知れない。そして今日の不運や不安が明日の幸せにとって代わられることを祈り歌いながら、またそれを土地の人びとに説いて聞かせたにちがいない。その時花の窟は仏の姿となり、また旅立つ物の無事を祈る道祖の神となり、あるいは山に住むものにとっては来名戸の神として火処の守神となって、世を継いで祀られてきたのであろう。」