2020.03.30 Monday
フランス生まれの現代アーティストであるマルセル・デュシャンは芸術に対する見方や考え方を根底から変革した巨匠です。変革者としてはピカソに匹敵するかもしれず、現代社会の中にさまざまなカタチでアートが取り入れられている現状には、デュシャンの影響も少なからずあろうかと思います。工業化された既製品を美術品として扱い、展覧会においてそれに題名をつけて展示したことは、美術関係者なら誰もが知る有名な事件ですが、それだけではないデュシャンの世界観を私は常々知りたいと願っていました。以前に東京国立博物館でマルセル・デュシャンの大掛かりな展覧会があって、デュシャンの生涯を概観する機会を持てたことは幸運でした。その時にギャラリーショップで購入したのが本書「アフタヌーン・インタヴューズ」(マルセル・デュシャン カルヴィン・トムキンズ聞き手 中野勉訳 河出書房新社)で、デュシャンがリラックスしてインタヴューされている様子が伺えます。今までデュシャンの書いたものや発したコトバを聞いていると、意味が判読できないものや矛盾も散見されます。そうしたことを全て含めてマルセル・デュシャンの全貌かなぁと思います。デュシャン没後に評論家がさらに深く世界観を洞察したものが出版されていますが、本書の方が生の作家に触れることが出来るのではないかと私は考えていて、今から読むのが楽しみになっています。現代の美術家もデュシャンの見方や考え方を推し進めている人が結構いると考えています。現代彫刻の中にもそうした考え方が入って来ていると感じます。改めて眼から鱗になることも期待しています。
2020.03.29 Sunday
今月最後の日曜日です。新型コロナウイルスの感染拡大の影響を受けて、今日も首都圏では外出自粛という措置を取っています。ちょうど桜が満開を迎えていますが、桜は毎年咲くものなので今年は鑑賞を断念してもいいのではないかと私は思います。今は感染症にかからないために自ら行動を制御する方が大事かなぁと思っています。工房は自宅から僅かな距離にあるので、今日もそこで創作活動を行いました。今日の横浜は雪に見舞われ、午前中は周囲が白くなるほど雪が降っていました。そんな中にも関わらずいつもやってくる染めのアーティストが工房に顔を出しました。車で来るのは危険と判断し、公共交通機関を使ったとのこと。私もこの雪では車は出せないと彼女に言っていたのでしたが、作品の梱包作業のため雪も感染症も恐れずに頑張って工房にやってきたのでした。私は陶彫制作に拍車をかけていました。まだまだ陶彫部品が必要で、今日は3点の陶彫成形を終わらせました。午後になって雪はやみましたが、工房内は底冷えのする寒さになり、今日ばかりは時折ストーブに齧りつく作業になりました。彫り込み加飾は後日に回すことにしましたが、彫り込み加飾はかなり時間のかかる作業なので、ウィークディの夜にでも工房にやってこようかと思っています。今月は屏風を作り上げることにしか頭になかったので、屏風がカタチになってみると、次から次へとやらなくてはならないことが頭を過ぎり、焦る気持ちが湧き上がってきます。一難去ってまた一難というのが新作の制作工程ですが、ここまでくればやりきることしかないと思っています。ウィークディの勤務時間を何とかやり繰りできないかなぁと予定を見ながら検討しているところです。
2020.03.28 Saturday
新型コロナウイルスの感染拡大の影響を受けて、首都圏ではこの週末に対して外出自粛という措置を取りました。海外の都市では非常事態宣言が出されているところもあり、閑散とした街の状況がニュースになっています。そんなことを考慮して工房は、毎週やってくる美大受験生を呼ばないことにしました。高校は休校になっていて、彼女は暇を持て余していると思いますが、感染が落ち着くまでの辛抱です。いつも通ってくる染めのアーティストは工房に来ていました。期限までに台湾に郵送する作品の仕上げと梱包があるためで、これは不要の外出には当たらないと判断しました。台湾の染料会社のスペースを借りて展示するようですが、作家は搬入に行くことができず、向こうの方々にお任せするしかないようです。外出自粛といっても工房は自宅から近いので私は気兼ねなく工房に行って創作活動が出来ます。今月の制作目標として掲げた屏風6枚の砂マチエール施工とそこに油絵の具を滲みこませる塗装作業は今日の午前中に終わりました。ドリッピングも4層降りかけたことになり、画面の色調を見て、ここまでにしようと思ったのでした。今月最後の週末となった今日で制作目標が達成したことを嬉しく思いましたが、午後は土錬機を回し、次の陶彫部品を作る工程に入りました。陶彫部品がまだまだ足りないことが分かったので、若干焦りも感じました。明日は一日中陶彫制作に勤しむ所存です。首都圏が提唱した外出自粛で、それぞれの家で退屈している人も多いと聞きますが、染めのアーティストや私にとっては外出している暇がないため、それは関係ありません。創作活動で一日があっという間に過ぎていきます。明日も創作活動は継続です。
2020.03.27 Friday
「あそぶ神仏」(辻惟雄著 ちくま学芸文庫)を読み終えました。著者の辻惟雄氏は「奇想の系譜」を著した人として、江戸時代に埋没してしまった稀有の画家を発掘し、私に近世美術の面白さを示してくれました。それからというものの辻氏に取り上げられた画家の展覧会に私は必ず出かけ、その表現力を堪能してきました。本書も本物を味わうため地方に出かけたくなる作品が多く取り上げられていて、本当に楽しく読むことが出来ました。本書のあとがきに意外なことが書かれていました。「正直にいうと、私は仏教美術が苦手である。仏像や仏画の魅力はむろん否定できないが、それを学問するとなると、儀軌や図像の複雑な迷路に分け入らねばならない。~略~だが、近世美術のなかで馬齢を重ねるにつれ、それが意外に宗教性の強いものであることに思い至るようになる。」また、別稿のあとがきのなかでこんなことも書かれていました。「僧の堕落と幕府の宗教統制によって、江戸時代の仏教・神道は低迷したといわれる。だが、円空・白隠など本書にあげた画僧や修験僧たちの活気と個性、それにユーモアあふれる仕事ぶりを見ると、低迷という言葉がむしろそらぞらしく、逆に意欲的であったというべきであろう。」本書の解説の中で矢島新氏が指摘している箇所にも気が留まりました。「昭和初期の柳宗悦による民芸の提唱や、戦後の岡本太郎による縄文土器の称揚も、『稿本(稿本日本帝国美術略史)』に代表される取り澄ました史観への反発ととらえることができる。木喰の発見者でもある柳は、はじめ西洋の心理学や宗教哲学を学び、文芸雑誌『白樺』の活動を通して西洋美術に親しんだという経歴を持つが、学生時代に日本の工芸史を学んだ経験はなかった。岡本は言うまでもなく前衛芸術家であり、パリ大学で民族学を学んだ経験はあったが、日本の美術史に関しては素人に近かった。かつて著者は柳や岡本の発見を『眼の革命』と呼んだことがあるが、専門分野ではなかった故に既成のフィルターを取り払って虚心にモノを見ることができ、そうしたある種の自由さが眼の革命につながったという面はあるだろう。辻の唱えた『奇想の系譜』も、眼の革命と呼ぶに値する革新的な主張である。柳や岡本の声が美術史学の外側からであったのに対し、近世絵画を専門とする研究者の立場からの、すなわちアカデミズムの内側からの異議申し立てだった点が意義深い。」本書を読んで感じたことは、まだ発掘されていない画家や彫刻家が地方にひっそりと隠れているのではないかということです。現代の造形価値観で見ると、こんな凄い人がいたんだという発見があると楽しくなるなぁと思っています。
2020.03.26 Thursday
「あそぶ神仏」(辻惟雄著 ちくま学芸文庫)のⅣ「天龍道人源道の仏画」についてのまとめを行います。天龍道人源道という名前を私は初めて聞きます。どんな人なのか紹介文を拾ってみます。「東方に南アルプスを望む美しい環境の山腹に、清林山浄玄寺という浄土宗の寺がある。この寺の本堂、経蔵、書院など、いたるところの壁や襖、天井は、特異な絵で埋め尽くされている。18世住持であった徳誉源道和尚(天龍道人、1852-1925)の描き残したものである。」天龍道人源道は江戸から明治にかけて生きた人だったことが分かりました。どんな生涯だったのか、そこに触れた文章を引用いたします。「伝記・逸話を通じて、われわれに与えられる源道のイメージは、農民の暮らしに密着し、彼らの心のよりどころとなって敬愛を一身に集めた、生涯独身、高徳の清僧である。~略~だが、かれの残した絵は~略~そうした清僧のイメージとはかなり異質なものである。」ここで浄玄寺障壁画を2点紹介しています。まず「釈迦成道図」。文章を引用すると「釈迦のイメージを、その生地であるインドに見出すという源道の思想傾向がそこに反映していると思われるのである。インドの仏画を思わせるような濃厚な装飾的色調のエキゾティズムもこのことに関連しよう。だがそれにしても、日本の仏画の伝統からかけはなれた自前のイメージであり、土着性に満ちたプリミティヴな表現である。」とありました。次に「浄土七宝蓮池図」。これは「観無量寿経」のうちの第5番「宝池観」によったものと推定されていて「柔らかな七宝でできた八つの池水に60億の宝石の蓮花がある。池水は如意珠王(あらゆる願いを叶える最高の珠宝)から生じ、分かれて14の支流となる。-珠宝からは、美しい黄金色の光が流れ出し、その光は化して百宝色の彩りを持つ鳥となる。相和して鳴く声は甘美優雅であって、常に仏を念じ、法を念じ、僧を念ずることを讃える」というものです。著者は天龍道人源道を、日本が近代化を進める世相の中で、どう見て評価していたのか、次の箇所でまとめとします。「明治の日本は、国をあげて欧米の文明を志向し、それまでの日本人が日常生活のなかで育ててきた伝統的イメージの価値を否定し捨て去ろうとした。源道の作画は、そうした状況のもとで地方の民衆がなお保ち続けた土着的な想像力と信仰のイメージを、力強く代弁できたおそらく最後の例として、改めて注目されるべきだと思う。民衆の生活に密着し、アマチュア画家天龍道人として終始した源道の絵には、絹地や金銀の箔を用いたものが滅多にない。絵具もたいてい泥絵具系の安価なもので、緑青、群青、朱などの高価な絵具は使わない。だがそうしたハンディが、表現の直截な力強さ、イメージの独自性と不可分につながっている。近代化の波のなかに埋もれた土の匂いのする珠玉である。奇は巧まずしてそこにあらわれた。」