Yutaka Aihara.com相原裕ウェブギャラリー

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  • 三連休 制作&自宅断捨離の開始
    三連休になりました。朝から工房に行きました。染めのアーティストも来ていて、彼女は近く台湾で発表する大作に挑んでいました。私の新作である屏風6枚と彼女の布が工房に広がっていて、いつもより工房が手狭に感じました。新作の屏風6枚は工房の床に置いてあって、砂マチエールを施工したばかりですが、そこに油絵の具を滲みこませていて、完全に固まるまではもう少し時間がかかりそうでした。それでも今日はそこに油絵の具を上から滴らせる作業をしました。ベースとなる色彩は既に滲みこませてありましたが、別の色彩を散りばめました。言わば巨大なドリッピングです。今日のところは3色を上に重ねていきました。例年なら赤錆た陶彫の色に合わせて、暗い色調にするところを、今回は明るいパステルカラーにしてみました。今日はここまでにして砂や油絵の具を固まらせるために放置することにしました。工房の床を広く使ってしまっているので、通行の邪魔になりますが、暫くは仕方がありません。ドリッピングはまだまだ続きます。昼からは陶彫部品に彫り込み加飾を施す作業に切り替えました。絵の具を使った作業の後で陶土に触れている自分は、平面と立体を同時に進めていて、何だか不思議な感覚を持ちました。夕方は早めに自宅に帰り、まるで家を引越すような荷物整理に追われていました。家内は昨日からずっとやっていて、自宅の床はダンボールが所狭しと置かれています。次の月曜からいよいよリフォーム工事が始まるのです。まず1階の和室を壊して洋室に変えていく工事になります。和室にあるのは家内のものばかりですが、そのダンボールをどこに置いたらいいのか、それは2階のリビングにしようと決めたので、リビングの片付けも必要になったわけです。1階は家内が片づけをしていて、2階は私がやっていました。片付けながら断捨離もやっていて、不要なものはゴミ袋に詰めました。断捨離を伴う片付けは明日も継続です。ゴチャゴチャになった自宅で今晩は過ごしています。
    「北斎晩年の<ふしぎな世界>」について
    「あそぶ神仏」(辻惟雄著 ちくま学芸文庫)のⅢ「北斎晩年の<ふしぎな世界>」についてのまとめを行います。今や国際的な名声のある日本人画家といえば葛飾北斎の右に出る者はいません。西欧人にフアンが多いのは19世紀から20世紀初頭にかけて印象派の画家たちが挙って北斎の浮世絵からインスピレーションを受けたことによります。北斎を写実主義者というにはちょっと抵抗があり、晩年になるほど写実的な描写から離れ、独特で説得力のある象徴的な表現へと移っていきます。私は北斎のそうした晩年の作品に魅力を感じる一人です。北斎イズムと言われる不思議な世界について文中から拾ってみます。「一方には、自然や人間の形態、表情を鋭く観察し、それをユーモラスに再現することのできるリアリストとしての北斎があり、そして他方には、自然のかたちを奇妙な北斎イズムの世界に翻訳することに熱中するマニエリスト北斎がある。」具体的な例としていくつかの滝を描いた絵画を引き合いに出し、その表現に卓抜とした構成力が発揮されているのを私は確認しました。「この神秘感に満ちたイメージは、かれが滝の伝説をもとに、想像力を駆使してつくりあげた大いなる幻影といえるだろう。」滝の絵画に限らず、北斎には植物や動物の描写でも奇想的なイメージが付き纏っています。「こうした北斎の奇想は、70代になってあらわれたものではなく、若いころからすでに潜伏していた。化物を描くとき、その奇想は、他方のリアリストとしての資質と結び付いて衝撃的なイメージをつくりだしている。~略~かれは妖怪の実在を信じていたに違いない。それでなければどうしてこのような迫真的なお化けのイメージがつくれるだろうか。」北斎の眼と心に着目した一文もありました。「北斎が描く鳥や動物や魚は、草花以上に直接にかれの心を伝えてくる。その心とは人間である自分も動物と同じ霊魂を持ったとみるアニミスティックな心であり、その心を直接伝えるのは眼である。」北斎は画業一筋に長寿を全うした世界にも類を見ない画家でした。私も北斎の「ふしぎな世界」を日本人として誇りに思います。私が感銘を受けた北斎の作品はここに取上げられていませんが、有名な「神奈川沖浪裏」をさらに発展させた「男浪」と「女浪」です。本作品は、長野県小布施にあり、祭り屋台の天井図として描かれたものですが、荒れ狂う波だけで表現された世界に私は惹き込まれてしまいました。90歳で生涯を閉じた北斎でしたが、最後にこんな文章を引用いたします。「辞世の句は『ひとだまで、ゆく気散じや、夏の原』であった。自分の魂が体から離れて、夏の原を自由に飛んでいくーそれを北斎は『気散じ』ということばであらわしている。死を間近に控えてのこの余裕は、かれの戯作者としてのユーモアの精神をあらわすものだろうが、それ以上に、死後の霊魂の存在を確信する精神のしたたかさを感じさせる。」
    劇作家の逝去記事を巡って
    先日、新聞に劇作家であり童話作家でもあった別役実逝去の記事が載っていました。今月の3日に亡くなったという記事でしたが、私は20代の頃に演劇を観に、東京のあちらこちらに通っていた懐かしい時代を思い出しました。当時はアンダーグランド演劇がピークを過ぎた頃で、赤テント(状況劇場)の唐十郎、黒テントの佐藤信、天井桟敷の寺山修司に並んで鈴木忠志が率いていた早稲田小劇場にも足を運んでいました。早稲田小劇場では女優の白石加代子の鬼気迫る演技にも惚れ惚れしていました。そんな早稲田小劇場で観た演目が劇作家別役実のものだったと振り返っていますが、その日常に潜む不思議な感覚を齎す世界が今でも印象に残っています。空虚で乾いた世界というべきか、何か根底に怖ろしいものがあって、それを誇張するわけでもなく何気なくサラリと演じる役者に妙なリアルも感じていました。それは不条理演劇という分野に入るものらしく、理屈に合わない世界に無意味であっても無意味とは言い切れない新しさも感じていました。20代の私が日常とは何だろうと考える契機にもなっていました。別役実著の童話集「淋しいおさかな」も購入して読みましたが、その書籍は40年前に友人に貸したまま戻ってきていません。別役実には宮沢賢治の影響があったようで、中・高時代に宮沢賢治の詩や童話を愛読していた私は、宮沢賢治に似た世界観を別役実に見取って身近に感じていたのかもしれません。フォーク歌手の小室等が歌う「雨が空から降れば」も別役実の詞で、「雨の日はしようがない」というフレーズが不条理をそのまま受け入れて達観しているような気がしています。私にとっては青春の一幕ですが、アンダーグランド演劇の昂ぶりがなくなってしまっている今も、実験的な演劇活動が活況を呈して欲しいと願ってやみません。最近は映画には頻繁に行くけれど、演劇には足が遠のいている自分ですが、時間が出来れば昔のように演劇に心身ともに埋没したいと思っているのです。
    「北斎の信仰と絵」について
    「あそぶ神仏」(辻惟雄著 ちくま学芸文庫)のⅢ「北斎の信仰と絵」についてのまとめを行います。葛飾北斎は国際的な名声を得た日本の画家として有名ですが、自らの画業を完成させるため、長く生きることに執着したことでも知られています。私が羨望の眼差しで葛飾北斎を見ているのは、独特な世界感や卓抜した表現力もそうですが、長い生涯を画業で全う出来たことによります。そんな北斎は仏教的解脱から遠い存在のように思われていて、生涯を紐解くと絵画に賭ける生々しさが伝わってきます。本当のところは果たしてどうなのか、本章はそこを探っていきます。「彼の友人の滝沢馬琴が、北斎の母の年忌に際し、彼の困窮を見かねて香典を包んだ。その日の夕方、北斎は馬琴のところへ来て談笑するうち、懐から紙を出し鼻をかんで投げ出した。馬琴がそれを見ると朝与えた香典の包みである。馬琴は大いにおこって、中の金は仏事に使わず他のことに使ってしまったにちがいない、親不孝な奴め、とののしると、北斎答えて曰く、たしかに、いただいた金は自分の口中にしてしまった。精進物を供え、僧を雇って読経させるようなことは世俗の虚礼である。父母の遺体はすなわち自分の一身なのだから、自分の体を養い、100歳までの寿命を保つのが親孝行ということにならないだろうか…」(飯島虚心『葛飾北斎伝』)これでは北斎は不信心だったと思われても不思議はないのですが、こんな一文もありました。北斎は「妙見(妙見菩薩・北辰菩薩)を信仰した。妙見菩薩は北極星・北斗七星を神格化したもので、延命、除災、とくに眼の病を救う守護神として平安時代から信仰されていた。~略~彼の号戴斗は、妙見信仰からきたものである。~略~このような北斎の信仰は、呪術に頼って除魔・除災といった現世利益を得ようとする江戸時代庶民の宗教感情を如実に反映したもの」ということで、北斎の信仰はなかなか独創的でもあったようです。北斎の肉筆画「西瓜図」には包丁が描かれていて、包丁についた白い点々がゴミではなく北斗七星であることも北斎の信仰を物語るものとして知られているようです。「西瓜図」は何とリアルで美味しそうに見えることか、改めて彼の画力に驚いてしまいます。
    コトバによる現実逃避
    昼間は公務員管理職として来年度人事に取り組んでいます。この時期が一番骨の折れる時期です。全職員の配置を考えながら、さらに組織の活性化を目指し、仕事がやり易くコミュニケーションがスムーズにいく職場環境を作ろうと私は朝から夕方まで悩んでいるのです。これが私の仕事と言えばそれまでですが、理想的な体制がなかなか組めず、ちょっとした休憩時間には、気分転換のために現実離れしたコトバで遊んでいます。まさにコトバによる現実逃避です。詩らしきものが生まれる時は、こんな時もあるのかなぁと思っていますが、どうでしょうか。造形による創作活動も、全て満たされたバランスの良い生活では緊張感のある作品は生まれないのではないかと思っています。気持ちのどこかに欠如したものがあって、それを補おうと必死に何かを作り上げる行為が、素晴らしい作品を生むと私は考えています。コトバも同じかなぁと思っていて、自分の魂が自分の身体を抜けて上空から私を眺めている場面を想像してコトバを紡ぎました。ついさっきまで頑張っていた私は抜殻になり、その頑張っていた気配だけがあって、上空にいる私はそれを優しく評価しているのです。また梱包された書類の束を見て、これは意味を失った抽象に過ぎないと私は思っていて、私がやろうとしている仕事は、梱包されたことによってアートになってしまったと、怠け者の私は頷いてみせたり、ふと窓の外の春めく風景を眺めて、萌え立つ新緑に自然の蘇生力を見取ったりしていました。おぉ、自然の蘇生力とは何と素直で朴訥なコトバだなぁと思いましたが、春の暖かさとぽっかり浮かんだ雲を見て、そこに捻りを加えることなど出来ないと感じていました。つまり現実逃避は創作活動の第一歩であると言い訳をして、そろそろ休憩時間を終えて真面目な仕事に戻らなければとならないと自分に言い聞かせました。