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  • 週末 テーブル彫刻の砂マチ施工
    今朝は自宅の新しくなったシステム・キッチンの食器棚に食器を収めていました。茨城県に住む陶芸家の友人の作品を初め、茨城県笠間や栃木県益子で手に入れたさまざまな器に思いを感じながら収納していました。自分が集めた日用品は奇しくも自分らしさを表現していて、どれも泥臭くモダンな雰囲気を纏っているのに気づきました。私は趣味趣向がはっきりしているんだなぁと改めて思いました。それは日用品に限ったことではなく、書籍を選んだとしても、美術館の展示や映画館の演目を選んで出かけて行くことも、全て自分らしさに裏打ちされたものだったんだと、至極当然なことに今更ながら思い至りました。暫し自宅の片づけを家内に任せて、午前中は工房に出かけました。実は職場も自宅も落ち着かない中で、唯一工房だけは安らかな気分になれる場所であり、非日常が齎す雰囲気によって溌溂とした時間を過ごせる場所でもあるのです。最近は若いスタッフが外出自粛していることがあり、工房は私一人が気儘に使える空間になっています。それは他者の目がないので気持ちが緩むこともあるのですが、安らいだ空気感はいいものだなぁとも思っています。今日は新作のテーブル彫刻のテーブル部分に砂マチエールを施す作業を行ないました。先日、「発掘~聚景~」の砂マチエール施工を多くのスタッフの手を借りて行なったばかりですが、現在進めているテーブル彫刻は「発掘~聚景~」ほど大きくないので、私一人でも充分出来る範囲なのでした。神田文房堂から大量に取り寄せた砂や硬化剤は残り僅かとなり、来年またこの技法を使うとすれば、追加注文しなければなりません。砂マチエールは乾くまで1週間はかかるので、来週末に油絵の具による塗装を予定しています。同時にテーブル彫刻に接合する陶彫部品も作らなければならず、時間は切迫しているのです。明日は職場に出かけますが、在宅勤務とのバランスを考えながら、また落ち着かないウィークディを過ごすことになりそうです。
    週末 窯入れ準備&自宅書棚増設
    週末になりました。在宅勤務が増えている昨今、週末になった気分がしませんが、創作活動はウィークディの仕事とはきっちり分けているので、今週末も工房に行って新作の制作工程を先に進めることにしました。陶彫部品で乾燥が進んだものが3点あって、今日は仕上げと化粧掛けを行いました。窯入れは明日の夕方行なうこととして、2時間ほどその準備に充てました。毎回NOTE(ブログ)に書いていますが、乾燥した陶彫部品を窯に入れて焼成することで漸く作品は完成するのです。この最後の工程は緊張と楽しみが同居していて、何とも言えない気分になります。焼成を成功させるために陶彫にさまざまな制限があり、そうした中で自分の意図するカタチを創造していくのです。失敗すれば今までの苦労は水泡と化してしまい、同じモノは二度と作れないのです。今日の創作活動はここまでにして、自宅のリフォーム工事が次の段階に進んだので、自宅の日用雑貨を元に戻す作業をしました。1階の和室を洋室に変える工事が終了し、さらに新しいシステム・キッチンが設置されたので、ダンボールに仕舞いこんでいた雑貨を取り出しました。これは今日で終わらず、片付けは明日も続行です。さらに2階のリビングにある作り付けの書棚の増設工事が始まることになり、材料が大量に自宅に運び込まれてきました。昨晩、リビングの床に大量に置いてあった書籍を一旦別の場所に移動しました。新しく作り付ける書棚の場所の確保のために、仕事帰りの疲れた身体に鞭打って書籍の移動をやっていました。私は電子書籍が好きではありません。アナログな書籍の頁を捲って行間を読むのが好きなのです。そのせいで書籍が増えてきてどうしようもない状態になっています。新しく作る書棚は壁一面を使います。来週月曜日から工事に入る予定ですが、長年の間、山積みされた書籍を漸く整理できるのかと思うと感慨一入です。
    日常を取り戻したい
    新型コロナウイルスの感染拡大が続いていて、政府は全国に緊急事態宣言を出しました。私の住む神奈川県は東京に次ぐ首都圏として以前から緊急事態宣言が出されていて、不要不急の外出を自粛しています。私の職場は在宅勤務が3分の2以上いて、閑散とした雰囲気になっていますが、例年なら今頃は新年度の仕事量に忙殺されて職員全員がクタクタになっているところです。いくら多忙であっても、例年であれば今の状況よりは健全であるし、やりがいを感じられるのではないかと思います。今は職場に来ても在宅勤務であっても何となく落ち着きません。各種総会は中止になり、ほとんどが書面総会となりました。職場でも職員が集合しての打ち合わせや研修会は出来ず、出勤した職員は分散して仕事をやっている状況です。職場はそんな流れですが、職場から帰宅すれば自宅もリフォームの施工が入っていて、ここも落ち着くことが出来ません。リフォームは自分の人生に与える褒美と思えるくらい楽しいことで、完成したら自宅が様変わりすることが嬉しいはずですが、荷物が溢れ、不自由を強いられている生活は、心に不安定を齎すものだなぁと感じています。家内はよく耐えていますが、私の唯一の逃げ場は工房なのです。工房は例年通り制作工程に従って制作をしているので、新作の違いこそあれ、気分は落ち着いています。新型コロナウイルスの感染拡大がいつ頃終息するのか見当もつきませんが、早く日常を取り戻したいという思いでいっぱいです。今まで毎日が当然の如く普通に過ぎていたことは何という幸せなことか、安心安全とはあたりまえのように存在しているのではなく、さまざまな立場の人が努力して得たものを、私たちが享受しているのです。それを改めて確認できたこの頃です。
    「アフタヌーン・インタヴューズ」・Ⅱについて
    「アフタヌーン・インタヴューズ」(マルセル・デュシャン カルヴィン・トムキンズ聞き手 中野勉訳 河出書房新社)・Ⅱのまとめを行います。ここではM・デュシャンの作品発想の鍵となった「コーヒー挽き」からインタヴューを始めています。「できあがってみると、客観的で具体的なコーヒー挽きをつくるんじゃあなくって、その仕掛けを記述するってことをやったわけです。歯車があって、回転ハンドルがてっぺんにあって、それから矢印を使ってどっちの方向にハンドルが回るかを示したんで、なのでこの中には、運動というアイデアがもうある。それにプラスして、ふたつの部分から機械を組み立てるというアイデア、あとになって、〈大ガラス〉の中に出てきたものの源です。」次にチャンス・オペレーション(偶然に基づく操作・制作)に話が移ります。「チャンスの任務というのは、わたしらの中の、理性的な部分を超えた、ユニークで不確定なものを表現すること。」という答弁に対し、聞き手は「あなたの頭の中でチャンスというのは、あなたの頭が及ぼしてくるコントロールを避けることを、理性的に表現したものである、と。」と解説を加えていました。それがレディメイドの基礎になっているようで、次の展開に続きます。「レディメイドの選択が、美的な歓びを受け取った結果だったことは一度もなかったという話。別の言葉でいえば、見た目が素敵だったとか、芸術的だったとか、わたしの趣味に適っていたとかいった理由で選んだんじゃあないということです。」それではM・デュシャンにとってアートとは何か、こんなことも言っています。「人がアートのことを、すごく宗教めいたレベルで喋々したりするときは、自分に対して心の中で、崇め奉るのに値するようなところなんざアートにはろくろくありゃしないんだ、と説明しようとします。麻薬ですよ。~略~アーティストが自分のアートを見るってだけじゃあ足りない。誰かがそれを観るんでなくちゃあならない。わたしは見物人に、アーティストよりも大きな重要性を与えている、と言ったってかまわない。だって見物人はただ見るだけじゃあなくて、判断を与えるんだから。」M・デュシャンが自分自身について話している箇所も引用しておきます。「わたしがデカルト的な精神の持ち主だもんだから、何であれ受け入れるのを拒否して、何もかも疑ったという、その事実のせいなんじゃあないかな。そんなだから、何もかも疑う中で、どんなでもいいが何かを産み出したいとなったら、わたしにいっさい疑いを抱かせないような何かを見つけなきゃあならなかった。」新しい芸術概念はこうして生まれたのでした。
    「発掘~聚景~」のイメージ
    厚板6枚で屏風を構成し、その屏風と床を使って陶彫部品を組み合わせた作品を「発掘~聚景~」と名づけることにしました。聚景は造語で「しゅうけい」と読みます。屏風には格子模様の穴を刳り貫き、その穴を避けるようにして陶彫による物体が屏風の壁を這っている状況を作りました。その陶彫の物体は壁から床に伸びていき、床には陶彫による集合体があって、そこに収斂していきます。屏風になる壁は廃墟のような荒涼とした風景にしたいと考えてザラついた砂で固めました。そんなイメージの源泉はどこにあったのか、そもそも陶彫による集合彫刻を思いついたのは、20代の頃に旅した地中海沿岸のギリシャ・ローマの遺跡の印象に起因しています。その後、アジア各地にある古代遺跡の数々を見て回り、そこに在りし日の栄華を極めた都市に思いを巡らすこともありました。「発掘~聚景~」の制作途中で母が他界し、自らの死生観を培ったことも作品に少なからず反映しているように思います。数日前のNOTE(ブログ)に書いた文章を引用します。「人間は生物的な死とは別の、たとえば魂の在り処がどこにあるのか、それが失われるとその人は外見だけを留めた存在になるのではないかと思います。死を哲学できるのは高度な知性を有する人間に限られていて、そのために他界への準備を行い、後に残された人々が死者が歩んでいくであろう死後の世界をイメージできるようになるのだと私は考えます。」こんな思いが制作中に頭を過りました。作品は魂の産物だと私は考えていて、2011年に制作した「発掘~混在~」では制作中に東日本大震災があり、作品に籠める思いが変わりました。今年の「発掘~聚景~」でも個人的には母の死や、世界的な規模になった新型コロナウイルス感染が多少なりとも影響を及ぼしています。イメージの起因はあっても1年間かけて制作しているうちにさまざまなことに遭遇し、自分の中でイメージを統括していくものだろうと思います。