2020.05.14 Thursday
「レオニー・ギルモア」(エドワード・マークス著 羽田美也子 田村七重 中地幸訳 彩流社)の「第4章 東京時代」についてのまとめを行います。世界的彫刻家イサム・ノグチの母であるレオニー・ギルモアはどんな生涯を送ったのか、本書の頁を捲りながら彼女の人となりを考えていきたいと思います。この章では母子が日本に到着し、父である野口米次郎が迎える場面から始まっています。「『おとうさんよ』とレオニーはイサムの顔を私に向かせようとした。しかしイサムは私を見ることなく、目をすぐに閉じた。まるで、父親というものが存在するとは考えたこともないようだった。実際、彼は私がアメリカを去ってしばらくしてから、妻が生んだ子供であった。~略~イサムは何でも動かなかったり音をたてないものは嫌いだった。何も遊ぶことがないと、障子を開けたり閉めたりし始めた。」マリー・ストープスの日本滞在日記が1909年に書かれ、こんな描写がありました。「私には、彼女(レオニー)の人生が灰色の影に覆われているように感じられました。でも彼女の小さな息子はその正反対で、まん丸い目にバラ色の頬をして、房のついた毛糸のとんがり帽をかぶり、まるでピクシーのようでした。まだ四歳だというのに、お母さんと女中の間の通訳をつとめていました。~略~なんとラフカディオ・ハーンの家に行き、奥さんやご家族の人たちにお会いしたのですよ!普段ハーンの家は聖域として外界から守られていますから、これはめったにない素晴らしい機会でした。私がお招きにあずかったのはN夫人(レオニー)の友情のおかげです。前にも言ったように、彼女はハーンの長男に英語を教えていて、心から慕われているからです。」来日した米人記者に日本の家について説明するレオニーの言葉がありました。「たいていの家は小さなサイズで、木や竹や瓦でとても軽く作られていますが、これは地震からの損害を少なくするためです。一般的に、最も経済的で実用的な家のサイズは、八部屋くらいある、二階建てのものですが、これが家に関する日本の共通規格でしょう。」最後にイサムの芸術に関しての文章を掲載しておきます。「最初からイサムの芸術的名声は、アメリカ人としての自己と日本人としての自己の狭間、つまりアイデンティティの相克の中から生まれた。~略~五歳のときのイサムの最初の彫刻の成功は、偶然ではなかった。レオニーは実際に何年もの間、最初の公の展覧会を準備していた。イサムがかろうじて14ヶ月の時、レオニーはヨネ(野口)に、イサムをアートスクールに送るという考えを書き送っている。この考えは徐々に彼女の頭のなかで固まっていき、時に並々ならぬものになった。~略~単に人と違っているのみでなく、文字通り差異の具現者であるイサムにとって、この『やり方』は二つの全く違う文化的なアイデンティティの間での生涯にわたる格闘を意味しようとしていた。」
2020.05.13 Wednesday
現在、世界的な彫刻家であるイサム・ノグチに纏わる2冊の書籍を読んでいます。イサム・ノグチは氏名の由来通り日系アメリカ人です。特異な環境の中で誕生し、人種差別があった時代に育ち、やがてグローバルな世界にアーティストとしての地位を獲得する人ですが、日米を往来する中で、2つの文化を複眼で見つめる視点を有し、それが前衛としても新しい価値観を持つことになった稀有な作家とも言えます。彼の成育歴や考え方やその独創的な感覚を理解しようと、私は実際の作品を見たり、書籍に親しんできました。今読んでいる一冊は「石を聴く」(ヘイデン・ヘレーラ著 北代美和子訳 みすず書房)で、これはイサム・ノグチ本人の伝記を著したものです。もう一冊は「レオニー・ギルモア」(エドワード・マークス著 羽田美也子 田村七重 中地幸訳 彩流社)で、イサム・ノグチの母の生涯を扱った書籍です。今のところ「石を聴く」より「レオニー・ギルモア」を優先して読んでいます。それはイサム・ノグチの出発点をより深く具体的に知りたいと私が考えたからです。アーティスト本人の目覚ましい活躍よりも、独自なアートを形成するに至った最初の契機、その過程に興味関心があるためで、それには母の生涯を扱った「レオニー・ギルモア」の内容をまず押さえるべきかなぁと思いました。イサム・ノグチが母と共に幼少時に住んだ日本の風物がどんな形であれ、アーティストに与えている影響は計り知れないものがあると私は察しています。書籍の内容から幼子イサムは大変利発な感じを受けるし、母が息子をアーティストにしたいという強い思いがあることが見受けられます。アーティストは勝手に育ってくれるものではなく、誰かが意図的に、または周囲の人からの影響で育っていくものだろうと思っています。特異な環境の中で誕生した者は、その独自性を保ちながら特異なアーティストになっていくものだと書籍を捲っているうちに感じ取れるようになりました。私が注目したのは辛い環境からの好転で、自分の宿命をプラスに変える力です。イサム・ノグチほど特異でないにしても、アートとして優れたものを作り出す力は、自分の中に何かを探り出して身につけていくものではないかと思っています。
2020.05.12 Tuesday
「レオニー・ギルモア」(エドワード・マークス著 羽田美也子 田村七重 中地幸訳 彩流社)の「第3章 ロサンジェルス時代」についてのまとめを行います。世界的彫刻家イサム・ノグチの母であるレオニー・ギルモアはどんな生涯を送ったのか、本書の頁を捲りながら彼女の人となりを考えていきたいと思います。「将来の彫刻家イサム・ノグチが、新聞のニュースに予期せぬ初登場をしたのは、誕生後ようやく1週間になろうかという時だった。ロサンジェルスの『ヘラルド』紙のレポーターが誕生を聞きつけて、ロサンジェルス郡病院の病室で、難産の後の身体を休めているレオニーのもとへやってきた。~略~ヨネ・ノグチのベイビー、病院の誇り 作家の白人妻、夫に息子を贈る(『ロサンジェルス・ヘラルド』1904年11月27日)」一方、野口は既に日本に帰国していました。「ノグチはニューヨークの通信社の従軍記者として八月に日本へ向かった。彼の妻は彼が日本へ発ったのと同じ頃にロサンジェルスにやって来て、それ以降当地に滞在している。~略~レオニーは、ヨネには彼らしく生きてほしいと、彼が望んだ返事をよこした。しかし子供のためには、いったん結婚と子供の存在を認めてほしいこと、そしてその上で法的に離婚してほしい、そうすれば彼はどんな女性とも自由に結婚できる、と書いてきた。」その後、レオニーはカリフォルニアでテントによる我が家を建てています。レオニーはそのことについて雑誌に詳細な記事を書いていて、当時の生活ぶりがよく分かります。旧知の修道女に書いた文章を引用します。「あれから色々ありましたが、一番にお伝えしたいのは私に男の子が生まれたことです。もうすぐ1歳になります。彼は日本人の血を引く元気な赤ん坊で、父親とよく似た穏やかな黒い目をしています。この1年ほどは、この赤ん坊に手を取られていますが、夫の文学上の細々とした仕事も手伝っています。夫ノグチはまだ東京にいて、大学でアメリカ文学についての講義を持たされているようで、この冬には辞めたいと考えていたのに、そうもできない状況のようです。だから、おそらく私の方が、来春にも赤ん坊を連れて日本へ行くことになると思います。」野口からの誘いの手紙もありました。「レオニー、これは重要な手紙なんだ。じっくり考えて、答えてほしい。以前僕は君に日本に来るように言った。僕はまたそのことを考えている。君と僕たちの赤ん坊にとって、そのほうがいいと僕は思っている。なぜかって?僕は赤ん坊を育てるのを助けることができるし、彼は父なし子にならないですむ。これはとても重要だと思う。また、君にとっても日本で生計をたてるほうが簡単なはずだ。君は学校教師として働けるし、仲間としても仕事ができる。」レオニー母子を日本に駆り立てたのは、実は野口からの切望ではなく、国際結婚が齎す弊害にあったようです。「ロサンジェルスはこれまでと変わりなく明るい気候であったが、日本人移民が歓迎されなくなりつつあるという怪しい雲行きを、レオニーは感じとっていたに違いない。ロシアの熊を相手に勇敢な戦いを挑んだ『小さな黄色い男たち』への熱狂は、太平洋におけるアメリカの利権や西海岸の安全を脅かす新たな黄禍論として、日本人への漠然とした恐れに取って変わられつつあった。」1907年の「国籍離脱法」がレオニーに日本行きを促す結果になりました。その法は「国際結婚をした女性の市民権は、その夫によるものとしている。」というわけで、「新しい法案はレオニーを大変困った立場に陥らせた。ヨネ・ノグチの妻とされている彼女はもはやアメリカ市民ではないのである。」
2020.05.11 Monday
今年のRECORDのテーマを数ある色彩から一色選んで採用しています。5月は季節感のある「緑」にしました。相原工房から眺める木々の美しさにいつも心が安らぎ、陶彫制作の休憩には青葉若葉を楽しんでいます。これは亡父の残してくれた植木畑のおかげで、植木そのものは無造作になっているので亡父が造園業を営んでいた当時に比べれば商品になりませんが、木々の緑が齎してくれる憩いに、私は時折精神的に助けられているのではないかと感じています。緑にはさまざまな色彩の幅があり、それらが混在している山々の美しさを芳醇な空気の中で感じ取れる幸福は、何事にも代えがたいと思っています。そんな緑色を今月のRECORDのテーマにしています。しかしながら先月から続いていた自宅のリフォーム工事が漸く終了したにも関わらず、RECORD制作場所であるダイニングに雑貨を散らかしているため、なかなか下書きのRECORDに彩色できず、時間ばかりが過ぎてしまっています。今までもRECORDの下書きが先行し、ダイニングテーブルに山積みされていることもありましたが、今回ばかりは大変な状況になっていて、果たしてRECORDの進行が追いつくのかどうか不安に駆られています。一日1点の制作は、辛うじて下書きだけは守っているのですが、色彩をテーマにしている今年は未だ彩色をしていないRECORDが1ヶ月以上もあって、当初の色彩に対するイメージが薄れつつあるのも事実です。リフォーム工事で家内と一緒に今まで蓄積してしまった衣類や雑貨を断捨離していましたが、その影響はRECORD制作に及び、過去の残務整理と未来への創作が気分的には相入れないものだということが分かってきました。それでも何とかRECORDを先に進めていこうと思っています。10年以上も継続しているRECORDなので、ここが頑張りどころなのかもしれません。
2020.05.10 Sunday
今日は朝から工房に篭ってL字型陶彫部品の制作に励みました。L字型陶彫部品というのは、昨日から始めた屏風と床置きの陶彫を繋ぐ陶彫部品のことです。屏風は床から垂直に立ち上げているため床に接する陶彫部品は、屏風面(垂直)と床面(水平)を合わせ持つL字型の陶彫部品になるわけで、今回の「発掘~聚景~」では、6枚の屏風のうち3枚が床に繋がっているので、L字型陶彫部品を3点作ることになりました。昨日準備したタタラを使って、3点の成形をやってみました。過去にもL字型陶彫部品を作っていて、今回が初めてではないのですが、作品によって形態が異なり、過去の作品の応用は出来ないと思いました。その都度、形態を考えていくしかないなぁと思い、とりあえず3点の繋ぎのための陶彫部品を試みました。あれこれやっているうちにほとんど一日がかりになってしまい、これら3点の彫り込み加飾は次回にします。これは創作性の薄い部品ですが、屏風と床を繋ぐ重要なものになります。集合彫刻を作っていると、目立つ部品と目立たない部品があって、それが上手く機能をすると全体構成として成功するのだろうと私は思っています。あたかも人間の社会のようで、ウィークディは職場を管理する立場にいる自分は、これはちょっと面白いなぁと感じます。目立つ人ばかりでは組織は成り立たず、目立たないけれど重要な役どころで力を発揮する人もいて、また人と人とを上手に繋ぐ人もいます。組織の歯車がきちんと回っている時は、それぞれの持ち味を持った人が要所を締めていて、私は安心安全の上に立っていられるのです。今日作ったL字型陶彫部品は全体構成上は目立つものではありません。屏風に接合された陶彫部品を目立たせ、また床置きの陶彫部品を目立たせるための地味な繋ぎに過ぎませんが、これがなければ屏風と床の一体感は生まれないのです。 L字型陶彫部品の他に繋ぎに使う陶彫部品はまだまだ必要です。地味で重要な部品制作はまだ続きます。