2020.02.16 Sunday
昨日、窯のメンテナンスを終えて、今日は窯入れの準備を行いました。今月の週末はずっと工房で板材刳り抜き作業を行っていたので、久しぶりの窯入れは新鮮でした。新作の屏風にはそれぞれ陶彫部品が接合される予定になっています。その陶彫部品は全て焼成が終わっているわけではありません。屏風は厚板6枚で構成しますが、5枚目と6枚目に接合する陶彫部品がこれから焼成をしていくのです。陶彫部品は乾燥すると、やや縮んできて、最後に焼成するとさらに縮んでいきます。今月は板材刳り抜きを始めている最中ですが、5枚目と6枚目に接合する陶彫部品の正確な大きさが焼成前は掴めないため、今日は板材刳り抜き作業を中断せざるを得なかったのでした。そこで乾燥した陶彫部品6点を今日窯入れすることになったわけです。窯入れの準備として、私は陶土表面の指跡を消すためにヤスリをかけていきます。その後に化粧土をかけて窯に入れます。窯内を3段に区切って、それぞれの段に2点ずつ陶彫部品を置きました。陶芸による器と違い、不規則なカタチをした陶彫部品はどうしても隙間が出来てしまいます。それでも組み合わせを工夫して、何とか6点の陶彫部品を窯内に収めました。6点の仕上げと化粧掛けとなると、ほとんど一日がかりで、今日はついに板材に取り組むことが出来ませんでした。今日は朝から若いアーティストが工房にやってきていて、染めの作品に挑んでいました。彼女は茨城県の展覧会に間に合わせるため、このところずっと工房に通ってきているのです。私は一人で制作しているよりも、勢いのあるアーティストが近くで制作してくれている方が張り合いがあって仕事が進みます。休憩時間に楽しい話も出来ました。私はテキスタイルは平面ではなく空間造形だと思っている節があります。布は空間を漂う素材です。そこに意図する何かが染められて、しかも染めが重層になっているのならば尚更空間的なものがそこにあるはずだと思っているのです。彼女も私の主張に納得しているようでした。寧ろ彼女の作品が極めて空間的なのかもしれません。私の作る彫刻は、実際の凹凸があって唯物的ですが、重層的な染めには、形而上的な距離感を感じるのは私だけでしょうか。染めには記憶もあると彼女は言っていました。そうなれば空間だけでなく時間もそこにあるはずです。話は尽きなくなるので、そこで打ち切りましたが、そんな会話が楽しめるのはとてもいいなぁと感じているところです。来週末も制作を頑張りたいと思っています。
2020.02.15 Saturday
週末になりました。今月の週末は朝から工房で木材加工に取り組んでばかりいて、単調な作業が続いています。今日も例外ではなく新作の屏風になる厚板材に格子模様を刳り貫く作業を行っていました。朝10時になると窯の世話をしていただいている業者がやってきました。工房にある窯は定期的にメンテナンスをしていただいていて、先週業者が見に来られた時に、窯の周囲の鉄板に錆が出ているのが気になると言っていました。今日はその錆を削りとって耐熱用の塗料を施すメンテナンスをやっていただきました。私は陶彫作家としては焼成の数が多く、それだけ窯を使用しているので窯の管理は欠かせません。ただし、私は焼成に釉薬を使わないので、釉薬が流れたり、飛び散ることがなく、窯の内部はいい状態に保てているのではないかと思っています。1時間くらいの修理で窯が生まれ変わったようになりました。日常では有り得ないほどの高温になる窯は、常に危険な要素を孕んでいます。自分の安心のためにもメンテナンスをやっていただいているのです。業者が窯の修理をしている間も、私は板材の刳り抜きをやっていました。漸く昼過ぎに5枚目の刳り抜き作業が終わりました。午後は自宅に戻って、このところ何回も続いている自宅のリフォームのための打合せを行ないました。2時ごろに建築業者が職人を連れて自宅にやって来ました。大幅に変更する和室の状態と入れ替えをするシステム・キッチンの具合を職人さんは念入りに下見をしていきました。今まで机上の打合せだったのですが、漸く工事が始まるのかなぁという意識になりました。実際の工事は3月中旬になりますが、この下見にも1時間半くらいの時間がかかりました。夕方、再び工房に戻って、板材の刳り抜き作業の続きをやっていました。板材の1層目は残り1枚で終わりますが、来週末から2層目に取り組めそうです。明日は久しぶりに窯入れを考えています。ちょうどメンテナンスを終えて良好な状態になった窯で焼成できることが楽しみになっています。
2020.02.14 Friday
「あそぶ神仏」(辻惟雄著 ちくま学芸文庫)のⅡ「近世禅僧の絵画ー白隠・仙厓」の中で、禅画とは何かを取り上げた箇所についてまとめを行います。「禅という、彼ら(欧米人)にとってはなはだ異質で難解な、それゆえ興味をそそる思想の図解として、禅僧の遺墨が期待されているむきがある。」という文章に示されているように、日本に興味関心が高い欧米人は、禅を知ろうとしてさまざまなアプローチをしている人がいます。私自身も禅のことをよく分かっていないのに、20代の頃ヨーロッパで暮らしていた時に、禅のことを彼らに問われて苦慮したことが思い出されます。私は禅について無知なことばかりで焦りを感じたと言った方がよいかもしれません。最近になって禅画の代表とされる白隠や仙厓のことを知り、禅画について、またそれが生まれる契機となった禅体験についても多少学ぶ機会を持ちました。「白隠の書画は、彼の禅体験と個性の結びつきから生まれた。他に類のないものであるし、仙厓の戯画もまた、南画や俳画と重なる要素を持つとはいえ、それらと一線を画すその独特な性格は、疑いなく彼の禅体験をくぐって生まれたと見られるからである。」ここで禅画の母胎となった道釈人物画についての説明がありました。「道釈人物画とは、仏教絵画に道教的な主題を合わせた呼称で、釈迦や観音、普賢、文珠、不動、羅漢、維摩といった仏像、達磨にはじまる禅宗祖師像、老子、蝦蟇鉄拐など、そして『禅機図』がこれに含まれる。」これはいわば絵のモチィーフです。さらに先を読んでいくと、私でも知っている禅僧が登場してきました。まずは雪舟の「慧可断臂図」で「禅と絵画との接点を彼なりに真摯に追求した気魄のこもる作品である。」とありました。次に一休で「一休の書は知られるようにきわめて個性的であるが、その画もまた稚拙なままに奔放な彼の個性をよく反映している。」そして沢庵。「春屋門下の傑僧沢庵宗彭もまた味わいある禅機図や山水画を手がけていた。」さらに先日NOTE(ブログ)で紹介した風外慧薫。「関東にあって文字どおり野の乞食僧としての生活に終始した曹洞宗の風外慧薫の画が注目される。~略~彼の画風もまた中世禅道の余技画の継承の、最後の余映として位置づけられるのだが、そこにはまた、同時代の上方の禅僧画の持たない素朴な野性や純真なユーモアが含まれていることも見逃してはなるまい。」禅画に関しては白隠や仙厓にまだ触れておらず、さらに知識をつけていきたいと思っています。
2020.02.13 Thursday
先日から「石を聴く」(ヘイデン・ヘレーラ著 北代美和子訳 みすず書房)を読み始めています。本書は「イサム・ノグチの芸術と生涯」を扱った評伝で、最初の章は両親について書かれていました。日米混血として誕生したイサム・ノグチ。その両親の事情は微妙な関係だったようです。結果論になりますが、イサム・ノグチが世界的な芸術家になったおかげで、両親も脚光を浴びたと言えます。父である野口米次郎は、アメリカでそこそこの活躍はあったようですが、日本では知られた詩人ではありませんでした。母のレオニー・ギルモアはノグチを育て上げた功績だけで、自身の文学は認められませんでした。文中からまず母についての文章を拾います。「レオニー・ギルモアは、並はずれて因襲にとらわれない独立独歩の女性だった。~略~写真では眼鏡をかけ、繊細で女教師風、いかにもアイルランド人らしいが、それが好もしい魅力になっている。」米次郎がアメリカで詩集を出すため翻訳を引き受けたのが、2人の馴れ初めでした。「米次郎のぎこちない英語にもかかわらず、詩の愛好家レオニーは詩の創造に関わるのがうれしかった。米次郎の詩はラプソディ風で陳腐になりがちだったが、レオニーがそのロマンティシズムに惹かれていたのは明らかだ。」次に米次郎についての文章を拾います。「長期にわたって外の世界から孤立していた日本は西欧に追いつくことを希求し、米次郎が慶應義塾に入学したとき、カリキュラムは西欧文化に重きをおいていた。米次郎は英語を学び、当時の多くの学生同様、渡米を夢見た。」アメリカにわたった米次郎は現地の小学校に通い、掃除、皿洗い、給仕などをやっていたようです。また文学者とも付き合い、その中で同性愛者だった詩人ストッダードとの愛情関係も取り上げられていました。米次郎はレオニーとはビジネスライクより一歩進んで親しい関係になったものの、彼にはエセル・アームズという恋人がいたようです。レオニーは米次郎の子を妊娠しましたが、エセルとの関係解消とはならず、レオニーは相当苦しんだことが伺えます。こうした事情を踏まえると、イサム・ノグチは焦がれて生まれた子ではなかったことが分かりました。帰国後の米次郎について、こんなことが書かれていました。「(米次郎は)日本語で書き、出版するのは不可能だと思い知る。日本人は、ヨネ・ノグチはその作品においてもあまりに西欧化されたとみなした。『どうみても異人らしく、眼玉の色の青い所など、なかなか日本人とは思われない』と有名な詩人の荻原朔太郎は書いた。何年もあと、米次郎はひとつの詩のなかで認めた。『僕は日本語にも英語にも自信が無い/云はば僕は二重国籍者だ』。同じようにイサム・ノグチは言うだろう。自分はどこにも所属しない、自分は世界の市民なのだ、と。」
2020.02.12 Wednesday
先日、東京上野にある東京国立博物館平成館で開催中の「出雲と大和」展に行ってきました。前にNOTE(ブログ)に書いた記事では、出雲と大和の相違を図録を利用して述べただけで、展示品については触れていなかったので、今回は銅鐸について述べていきます。さまざまな展示品の中で、私は形状から言って銅鐸に一番惹かれます。その鐸身に施された市松文様や重弧文や絵画的な線描にとりわけ興味が湧きます。私は銅鐸を純粋に美術作品として見て、自作に繋がる要素を見取っていると言えます。銅鐸がアートとして美しいと感じるのは私だけではないはずです。銅鐸は、弥生時代に中国大陸から伝来した鐘(鈴)で、鐸には青銅製の楽器という意味があるそうです。鐸身の内側に舌(ぜつ)を垂らして、それを揺らして音を鳴らしていたようで、梵鐘のように外から叩いた形跡はないのが分かっています。しかも時代と共に大型化して、楽器から祭器に変化したと推察されています。つまり聞くモノから見せるモノに変わったということでしょうか。銅鐸は西日本で多く出土しているため、日本の古代文化は西南が盛んだったことが判ります。図録に「近畿地方や北部九州と複雑に絡み合い、独特な青銅器祭祀を展開した出雲。この地域では弥生時代中期末から後期初頭において、他地域に先駆けていち早く銅鐸が埋納され、それ以降完全な形をした銅鐸は姿を消す。これは銅鐸が単なる農耕祭祀のシンボルではないことを示唆している。」(井上洋一著)とありました。まだまだ謎の多い銅鐸ですが、もちろん芸術的価値観など存在しない時代の産物で、古代の人々がどんな場面で使用したものなのか、またまとめて埋納したのは何故か、さまざまな学者の論考があるのも、私にとっては古代に対する魅力のひとつになっています。